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2016年4月20日 (水)

国民食生活の史料

(本稿は予約投稿です.ブログ筆者はただ今東北旅行中です)

 別稿の連載《会津の旅》を書くために吉川英治『随筆 新平家』(講談社;吉川英治歴史時代文庫 補4) を読んだ.
 その最初の辺り (p.55) に次のような箇所がある.

《…… 日本歴史に欠けたものは何かと訊かれれば、女性史と庶民史と答える。
 最近でも、太平洋戦争に関する記録物とか現代史的な出版は、ずいぶんあったが、陸海空の戦史、外交史、政界史などのいわゆる舞台正面だけが歴史の全部のごとく思惟された著述ばかりで、まだ、おたがい無数の小生命が飢えおののいて来た“めし茶碗の中の戦史”というものは一書も出ていない。
 史観に立つと、そして、動乱を過ぎると、動乱の中の庶民生態史なんてものはくだらなく思えるのかしら。ぼく自身が「新・平家」を書くにあたって不便と痛惜を感じるのでいうわけではないが、戦時戦後のあの生々しい庶民生態は、重要なきのうの歴史ではないかと思う。現に、ぼくらを初め一般もそろそろ、あのころの体験を忘れかけ始めているにつけても痛切にそう思う。
 終戦に近い断末魔のころ、疎開先の山村に配属されて来た彰義隊式の兵隊が、幽鬼の歌みたいに歌っていたのが思い出される。“――かねの茶わんに、竹の箸、一ぜん飯とは情けない――” その一ぜん飯さえ食えなかった庶民史の方こそ、じつは歴史の主流なのだ。ところが、いつの時代の史料にも、日本ではそこが脱落している。

 まさにその通りだと思う.
 作家が時代小説を書くに際して,庶民の日常生活がどのようなものであったかを知ることは非常に大切である.殿様しか出てこない話であれば作家は楽かも知れないが,そんな時代小説はない.
 昔の庶民の日常生活のうち,住環境については絵が残されている.衣服は現物が残っている.しかるに食い物は,食ったらなくなってしまうから,後世の人間からすると昔の人たちは何を食っていたかよくわからぬという事態となる.
それをいいことに,関西の料理屋などが「和食」を外国人観光客を対象とするビジネスにしようとして,ユネスコ無形文化遺産への登録を企んだ.その動きに農水省と一人の御用学者とが加わり,ユネスコを騙して「一汁三菜は日本の伝統的食事である」という嘘をでっち上げることに成功した.でっち上げ成功の原因は,我が国の国民食生活の史料がなかったことである.

 ここで突拍子もない話を持ち出すが,百年後の時代小説作家が,現在の私たちの暮しを小説にしようとすると,やはり吉川英治のような苦労をするのではなかろうか.
 そこで私は思うのだが,国の機関,例えば国会図書館とか総務省統計局辺りが,「食べログ」他のグルメサイトのアーカイブを作れば,これは国民の食生活に関する貴重な史料になるのではないか.
 総務省がやる場合は,グルメサイトだけでなく,価格.com も対象にすればよい.「家計調査」を補強する資料になるだろう.もし役人に知恵者がいるなら,既に立案しているかもしれないが.

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