福島観光点描 (三)
ツアー二日目の昼食は,会津若松の七日町通りに店を構える渋川問屋で.
この渋川問屋,会津若松の観光ガイド的サイトには必ず書いてあるといっていい有名店だ.会津戦争の東軍墓地がある阿弥陀寺のすぐ近くにある.
七日町通りのことは別稿《会津の旅》で触れる.
前回の会津若松旅行の時には,渋川問屋は予約客で混雑していて,私は一人客であったから入れなかった.
この店は料理旅館という飲食店ジャンルで,そもそもは海産物問屋として財を成したらしいが,現在は郷土料理店を営む.宿泊もできるし食事だけの利用もできる.
宿泊施設としてのことは知らないので,ここでは初めて訪問した郷土料理店としての印象を記す.
さて店の前には観光バスが停められる駐車場があり,昼飯時にはバスが何台も駐車し,団体客がぞろぞろと店に入っていく.もうこの辺で,例によって例の如き団体飯なんだろうなという予感がした.
私たち一行は立派な玄関の暖簾をくぐり,キリンビールの大きな看板が掛けられているカフェを左に見て進み,中庭から店に入った.
不愛想なおねえさんから「靴は,ここからここまでのあいだに脱いでください,はみ出すと他の団体さんの靴にまじってしまいますっ」と御指示を頂いて,その通りにする.
二階にあがって椅子席の部屋に通されると,既に配膳済みである.
献立は〈祭り御膳「鶴」〉というもので,二千二百円也.
先付の松前漬,鰊の山椒漬,鰊の昆布巻,棒鱈煮は常備菜だから冷たいのは承知の上だが,椀の「こづゆ」,鰊の天ぷら,御飯,蕎麦粒粥は,すべて冷め切っており,温かい料理は一品もなし.
しかもあとで,バスの中で気が付いたが,水菓子は配膳落ちであった.
鰊の山椒漬は,前回の旅の際に他店で口にして,なかなか酒肴としてよいものだと思ったのだが,渋川問屋のそれは堅いだけで旨くも何ともない.
要するにこの渋川問屋,団体客用の食事は大層お粗末である.とても二千二百円の価値はない.千円でも私は嫌だ.もしも明子がこんな料理を食膳に載せたら,父一徹は,ちゃぶ台返しをしているはずだ.何の話だ.
二,三人で予約を取って出かければ,作り置きではない,まともな料理が提供されるのかも知れないが,ツアーの昼食としては「輝け!世界三大がっかりランチ大賞」の本戦トーナメント出場資格ありだと私は思う.
旅行者が,質素でも心温まる福島の郷土料理を食べてみたいと思うなら,市中の居酒屋を探索するがよいだろう.私も次回はそうしたい.
昼食を済ませた私たち一行は,観光バスに乗り,会津の桜の名所「米沢の千歳桜」を見物に向かった.
この桜の古木は,会津若松駅のほぼ真西にあたる会津美里町にある.会津若松駅を出た只見線がいったん南下し,再び北上する辺りである.
今回は見学しなかったが,野口英世の母シカの信心で知られる普門山弘安寺,通称中田観音が近い.
高校出てガイドになって今年で三年目なんですと自己紹介してくれたバスガイドさん (推定年齢四十六歳) の説明によると,シカは英世の手の火傷治療回復を弘安寺の観音様に祈願するため,毎日,猪苗代から歩いて参拝したという.
今なら健脚この上ない女性トップアスリートである.
これにはツアー一行から,おおー,という声があがったが,あとで弘安寺のサイト を読んだら,シカの参拝は月に一度であった.以下に引用する.
《会津が生んだ世界的な医聖・野口英世の母シカもこの金銅造十一面観音立像を信仰し、毎月17日午前1時頃になるとはるばる猪苗代から歩いて一晩観音堂におこもりをして帰っていく月詣りをして英世の無事を祈願し続け後に、大正4年9月15日郷里に帰った英世が母シカ、小林先生と3人で深々と頭を下げ一心に祈り立身出世ができたお礼まいりをしたことで知られています。》
しかし祈願が月に一度でも,子を思って猪苗代から中田観音まではるばる歩き続けた母の心の尊さに変わりはない.
野口英世は人格的にかなり問題のある人間であった上に,医学者として業績を上げたとは言いにくい.だから英世はいつか歴史から忘れ去られるだろうが,しかしその母シカのことは日本人の記憶にいつまでも残るであろう.
話が逸れた.
千歳桜は,うれしいことに,まだ花をつけていた.
古樹の傍らに立てられた案内板によれば,昭和の終わり頃に樹齢七百年である.
しかし観光サイト,例えばここでは樹齢八百年となっている.
まあ,あちこちの木の「樹齢〇百年」は,大抵こんなもんである.
私の学生時代の恩師から聞いた話.「ある日のこと安房の清澄寺を訪れたら,樹齢五,六百年と案内板に記された杉の木が境内にあったんだが,数年後に再訪したら樹齢千年になっていたので驚いたよ」
いくら何でも千年はあんまりだということだろうか,今は清澄寺のサイトでは《樹齢およそ800年といわれています》と書かれている.しかし名称は千年杉のままだ.あとまだ二百年もある.頑張ってください.南無妙法蓮華経.
千歳桜鑑賞のあと,バスは再び会津若松市内へ.
鶴ヶ城の桜は一輪の花もなく葉桜であったので特段の感想なし.
ちなみに鶴ヶ城天守閣の中を見学していたら,展示物に「会津藩士池上四郎は秋篠宮妃の曽祖父である」と書かれていた.そういえばそうでしたなあと思い出したことである.
鶴ヶ城をあとにして,途中の車窓から猪苗代の山里の桜を見ながら,バスは再びホテルへ.
(次回完結)
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