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2016年3月29日 (火)

会津の旅 (五)

 昨日の記事の末尾に,「飯盛分店」公式サイトの記述を引用し,白虎隊自刃事件の生存者である飯沼貞吉の手記『白虎隊顛末略記』の記述と矛盾することを指摘した.
 Wikipedia でも,【白虎隊】と【飯盛山】では書いてあることが異なる.Wikipedia【飯盛山】は「飯盛分店」公式サイトと同じく,次の引用に示すように,「落城と誤解して悲観し自刃」説に立っている.

士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。

 両説 (以下,白虎隊生存者飯沼貞吉の『白虎隊顛末略記』に基づくものを「武士の本分」説,「飯森分店」サイトに記述されているものを「落城と誤解して悲観し自刃」説と呼ぶ) のいずれが広く支持されているのだろうか.話は横道に逸れるが少し調べてみた.ただし,『白虎隊顛末略記』については記憶違いやいくつかの矛盾があり,中には飯沼貞吉は集団で自刃した隊士たちと一緒でなかったのではないかと推測して資料的価値を疑う指摘もある. だから,幕末の会津藩史について門外漢の私が軽々に「武士の本分」説が真実だと主張するわけではない.以下は,飯盛山に立って往時を偲んだ一人の旅行者が,興味を持ったというに過ぎない.

 まず一般財団法人会津若松観光ビューローが運営するサイトの一部である《会津の歴史 》から《白虎隊のお話7 (白虎隊の悲劇)》を閲覧してみよう.ちなみに一般財団法人会津若松観光ビューローは私的組織であるが,会津若松市議会の議決を経て公の施設の管理運営を行う指定管理者の一つである.

体験したことのない凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足と少年たちは疲れ切っていました。
 そして、高台からみた鶴ヶ城は黒い煙につつまれ、五層の天守閣の白壁には赤い炎が燃えさかっているようにみえました。また、ほんど火の海となった城下からは、絶え間なく砲声と銃声がとどろいています。
 少年たちは予想もしなかった この光景に思わず息をのみました。命とたのむ鶴ヶ城ももはや、落城の運命かと思うと全身の力が一度に抜けていってしまうような悲しさが、少年たちの胸にこみ上げてきました。
「城を枕に討ち死にするつもりでここまできたが、もうお城へ入ることはできない。すべてはおわったのだ。」
 一人がこういってがっくり首をたれました。
すると傷ついた一人がいいました。
「このままぐずぐずしていれば、敵の手にかかって後の世までも恥じをさらすようなことになるぞ」
「そうだ、最後まで会津の武士らしく、いさぎよく、みんなここで切腹しよう。」
 こうして、少年たちは、遥かにお城をのぞむといずまいをただし一礼してから自刃しました。
 少年たちの静に閉じたまぶたのうちにはなつかしい父や母の姿がまた、可愛らしい妹や弟の顔が、そして楽しかった数々の思い出が、美しくうかんでいました。


 この記述は,小説的修飾はあるものの,《「このままぐずぐずしていれば、敵の手にかかって後の世までも恥じをさらすようなことになるぞ」「そうだ、最後まで会津の武士らしく、いさぎよく、みんなここで切腹しよう。」》という箇所は一応『白虎隊顛末略記』を下敷きに書いてある.従って一般財団法人会津若松観光ビューローの見解は「武士の本分」説である.(実際には,少年たちの自刃は血みどろにして凄惨な地獄絵図なのだから,最後の一行みたいに能天気な爽やか物語にしてしまうのは,介錯もなく苦痛のうちに死んでいった白虎隊士を愚弄するものであり,不見識甚だしいと思うが)

 次に会津若松市と同市教育委員会だが,資料集と論文集は発行しているが,公式な郷土史編纂事業は行っていないようである.また会津若松市文化課および行政機関である会津若松市歴史資料センター (平成二十六年にオープン) は所蔵・展示資料をウェブ公開していない.どうやらこの機関の白虎隊に関する見識は,同センターに出向いて調べるしかないようだ.しかし市サイトからは一般財団法人会津若松観光ビューローのサイトへリンクは張られている
[3/31 訂正;上の取り消し線部分は「会津若松市史が刊行され頒布されている.しかもその歴史篇7には,新政府側が会津側戦死者の埋葬を禁止したとする従来の説が事実でないことを認める重要な記述がある.」と訂正する]

 

 もう一つ.飯盛山の近くで妙なものを見つけた.観光者向けの掲示物だが,設置者が書かれていないのである.土産物屋,駐車場とか食堂など,この付近の業者が据えたものだろうか.

20160329a

 自刃に関する箇所を拡大すると下の画像.

20160329b

 文中に《命と頼む鶴ヶ城も最早落城の運命かと思うと》とある辺りは会津若松観光ビューローの記事をパク,いやコピ,いやいや踏襲してはいるが,隊士たちの会話がなくなっているために「落城と誤解して悲観し自刃」説のようだ.

 さてこの旅行記,話が長くてなかなか先に進まないのをどうしよう.まだ一日目の昼過ぎなのだ.
(続く)

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