« 会津の旅 (二) | トップページ | 会津の旅 (四) »

2016年3月27日 (日)

会津の旅 (三)

(昨日の記事《会津の旅 (二) 》には,最初の投稿後,これ以降の旅行記記述に必要な補足と推敲を多く行った)

 そもそも飯盛山とは何か.
 かつて戊辰戦争の前のこと,現在の飯盛山一帯は,幕末まで山中にあった旧飯盛山正宗寺および現在も山の中腹に祀られている厳島神社が所有するところであり,神仏習合の信仰が行われていた.
 戊辰戦争後,正宗寺住職の宗潤は,会津藩藩医佐藤青龍の次男である佐藤正信を養子とした.

 その後,慶応四年(西暦1868年) から明治元年(同左) にかけて明治新政府により発せられた神仏分離令の結果,無檀家寺であった正宗寺は廃寺となり,最後の住職であった宗潤は正宗寺の山号から名字を採って還俗し,飯盛正隆と名を改めた.
 このことに関して《白虎隊の飯盛山は、山の麓に飯盛さんというお宅があり、そのお宅の所有だと言う、だから、飯盛山という名が付いたそうだ》と記したブログがあるが,これは話が逆のデタラメである)

 正宗寺を廃寺とした際に,飯盛正隆の養子,飯盛正信は厳島神社の初代宮司となった.この時に仏像は他寺に移されたが,旧正宗寺の土地は明治新政府の登記を受けて飯森家の所有となった.飯盛山に現存する円通三匝(さんそう)堂 (通称「会津さざえ堂」または単に「さざえ堂」) と宇賀神堂は飯森家本宅に付属する建物として,またその境内は宅地として飯森家の所有地となった.旧飯盛山正宗寺から神道が分離されたあと郷社の社格で存続した厳島神社は,現在は福島県神社庁の系列下に近郷滝沢部落の総代が管理している.
 一方,飯森家はさざえ堂脇に茶店を営みつつ農耕と畜産に従事していたが,第二次大戦後は飯盛山の参詣客が増加したため,社堂の管理と店舗経営を家業とするようになった.これが現「有限会社山主飯盛本店」である.飯盛家は飯盛山上の白虎隊墳墓のすぐ近くに土産物屋を経営しており,これが「飯盛分店」である.

 会津さざえ堂
20160327a

 上に述べてきた飯盛家と白虎隊の関係は会津戦争後に始まる.会津戦争は,戊辰戦争のうち会津藩と新政府軍が戦った局面をいう.
 ここでは詳しい記述を避けて,Wikipedia【松平容保】 から一部を引用する.

会津戦争
8月21日、会津藩は各国境へ主力を送り出し守備に付かせていたが石筵口である母成峠の戦いにて東軍が破れ、西軍は破竹の勢いで進行した。

8月22日、容保、滝沢本陣にて宿陣。戸ノ口原の守備を固めるため白虎士中二番隊もここより出陣。

8月23日、戸ノ口原の戦いにて東軍が崩れ、西軍が若松城下に侵入。城下の戦い。籠城始まる。これより一ケ月余りの長い籠城戦の中で会津藩の家臣達は婦女子や子供に至るまで戦い、又は自決をし、会津の武士道に殉ずる道を選び、多くの悲劇を生んだ。西郷頼母の家族に代表される婦女子の自刃は140家族239名にのぼり、白虎隊の飯盛山での自刃、中野竹子ら娘子隊の戦いなどがおこり、その他多くの会津藩士が胸に辞世の句を入れるなどして戦った。対する西軍は32藩からなり大砲100門、3万ないし4万人に上り城を包囲し一昼夜鶴ヶ城へ砲弾を打ち続けた。

9月22日、会津藩降伏。鶴ヶ城開城。容保は滝沢村の妙国寺へ移される。
10月19日、容保、会津を発し東京へ護送、池田邸に永預けとなる。

 上の引用にあるように,慶応四年(1868年) 八月二十二日,会津藩主松平容保は飯盛山に近い滝沢本陣に出陣した.この時,容保は藩士をその身分により,年輩武士で構成される予備役の玄武隊,実戦部隊である朱雀隊,国境守備隊である青龍隊,予備役少年兵の白虎隊の四隊に編成した.
 各隊は,士中隊 (上級武士),寄合隊 (中級武士),足軽隊に分かれ,士中隊と寄合隊はさらに一番隊と二番隊を構成した.
 容保は滝沢本陣に出陣した時,白虎士中一番隊を自分の護衛に残し,白虎士中二番隊を戸ノ口原 (会津若松から越後街道を東へ行くと,猪苗代湖の手前に古戦場跡がある) の戦闘に差し向けた.

 白虎隊出撃の本陣跡
20160327c

 そもそも実戦経験皆無の少年兵に旧式銃を持たせて,新式銃を装備した精鋭新政府軍と戦わせるなどはこれ以上の愚はない.当然の如く,たちまちのうちに白虎士中二番隊は散り散りに敗走し,辛うじて飯盛山に逃げてきた少年兵たちは,出陣のわずか翌日に飯盛山の中腹で自刃したのであった.

 白虎隊士自刃の地
20160327b

(続く)

|

« 会津の旅 (二) | トップページ | 会津の旅 (四) »

冥途の旅の一里塚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 会津の旅 (三):

« 会津の旅 (二) | トップページ | 会津の旅 (四) »