『フラガール』について (一)
先日の記事《アイナふくしま》に書いたように友人たちとスパリゾートハワイアンズへ一泊二日旅行に行ったのだが,鑑賞したショーの素晴らしさに高熱を発し,帰ってきてからもずっとフラガール熱が下がらない.
それで,映画『フラガール』のDVDをまた何度も繰り返し観ている.
明らかな自覚症状によればこの熱病の原因は,スパリゾートハワイアンズとそのビーチサイドショーが,ショーとしての魅力は別として,私が敗戦直後に生まれた年寄りであるがゆえに,この国の戦後風景の一つである「常磐ハワイアンセンター」を想起させることにある.
映画『フラガール』は2006年9月に全国公開された邦画で,第80回キネマ旬報ベストテン・邦画第1位,第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品だが,この映画の評価にはなかなか難しいところがあると思う.
例えば前田有一という映画批評家が書いている《超映画批評》と題したサイトでは百点満点で六十点をつけられ,
《そのほか演出の問題点としてはこの映画、かなりお涙頂戴が露骨だ。それは韓国映画並のくどさで、後半1時間はずっとそればかりやっている。劇伴音楽もいかにも泣いてくださいといわんばかりだし、踊りの得意な蒼井優のワンマンショーとなるクライマックスのフラシーンにしても、素晴らしい見せ場ではあるが、時間がやたらと長く、やりすぎだ。
結局のところ、『フラガール』は題材選びなど着想は良かったが、もう少し抑え気味にドラマを構成していったらなおよかった。これを楽しめるのは、たとえば韓流メロドラマで泣けてしまうような、演出に抑制の無いドラマでも大丈夫、という人に限る。》
とボロボロに貶されている.《これを楽しめるのは、たとえば韓流メロドラマで泣けてしまうような、演出に抑制の無いドラマでも大丈夫、という人に限る》とは,また随分な言いぐさである.しかしこの上から目線の批評文中に基本的な誤りがあるので,同サイトの記述から少し引用しつつ書いておく.
さて前田の文章の冒頭はこうだ.
《時代は、エネルギー源が石炭から石油に代わりつつある昭和40年。いわき市の常磐炭田も、閉山が相次ぐ全国の他の炭鉱同様、大不況を呈していた。町の人々も、長年町の経済を支えてきた炭鉱業にしがみつく保守的なグループと、湯量豊富ないわき湯本温泉を利用したリゾート施設の建設に賭けるグループに分かれていた。後者の人々は、名門の松竹歌劇団にいたダンサー(松雪泰子)を東京から呼び寄せ、町の少女たちにフラを教え、施設の目玉にしようと画策する。》
『フラガール』は常磐ハワイアンセンター誕生の実話を題材にしているから,実話部分 (日本戦後史の文脈で語られる部分) は説明が省かれている.従って批評する者はそれを資料で補完しなくてはいけないのだが,この前田有一という人はそれをしていない.
まず前田は《時代は、エネルギー源が石炭から石油に代わりつつある昭和40年。いわき市の常磐炭田も、閉山が相次ぐ全国の他の炭鉱同様、大不況を呈していた》と書いているが,これは『フラガール』冒頭の画面に「昭和四十年」「福島県 いわき市」とあるのを鵜呑みにしたものと思われる.実は平市,磐城市,勿来市,常磐市,内郷市の五市を中心にした十四自治体による対等合併により「いわき市」が発足したのは昭和四十一年なのである.
映画ではそんな細かい町村合併の説明をしているわけにはいかないし,映画の後半は常磐ハワイアンセンターの開業と同じ昭和四十一年のことだから,冒頭の背景説明画面で「昭和四十年」「福島県 いわき市」としても構わないが,映画批評の文章中で《時代は、エネルギー源が石炭から石油に代わりつつある昭和40年。いわき市の常磐炭田も、閉山が相次ぐ全国の他の炭鉱同様、大不況を呈していた》としたのでは明白な誤りである.「福島県内郷市(現いわき市)」と書かねばいけない.
次に,前田は《町の人々も、長年町の経済を支えてきた炭鉱業にしがみつく保守的なグループと、湯量豊富ないわき湯本温泉を利用したリゾート施設の建設に賭けるグループに分かれていた》と書いているが,実際には《町の人々》ではなく映画に描かれているように,炭鉱住宅の人々 (労組員) の中に対立があったのである.
しかも前田は《リゾート施設の建設に賭けるグループ》が《名門の松竹歌劇団にいたダンサー(松雪泰子)を東京から呼び寄せ、町の少女たちにフラを教え、施設の目玉にしようと画策する》とデタラメを書いているが,ちゃんとスクリーンを観て物語の筋を理解していないのではないか.《施設の目玉にしようと画策》していたのは,常磐炭鉱の子会社であるハワイアンセンターである (実際には常磐湯本温泉観光株式会社).それは映画の冒頭で,会社側の労務担当管理職が組合員に人員削減を提案する場面で説明されているのに,前田はしょっぱなから居眠りをしていたとしか思えない.そんなことでよく《これを楽しめるのは、たとえば韓流メロドラマで泣けてしまうような、演出に抑制の無いドラマでも大丈夫、という人に限る》とエラソーに書けるものだ.
(続く)
| 固定リンク
「 続・晴耕雨読」カテゴリの記事
- エンドロール(2022.05.04)
- ミステリの誤訳は動画を観て確かめるといいかも(2022.03.22)
- マンガ作者と読者の交流(2022.03.14)
コメント