« 『フラガール』について (一) | トップページ | 『フラガール』について (三) »

2016年2月14日 (日)

『フラガール』について (二)

 映画「批評家」前田有一の,中学生の書いた映画感想文のような「超映画批評」に比べると,「ぴあ映画生活」に掲載されている《Re: 良い点と課題点 2006/11/14 0:57》,《私の考えるフラガール‐何が良かったか? ネタバレ 2006/11/16 1:00》,《私の考えるフラガール-ここはこう直すべき ネタバレ 2006/11/18 22:33》と題した MA さんの投稿は,このかたは映画が好きなんだろうと思わせる説得力ある文章で,私は好感を持つ.

 MA さんは投稿《私の考えるフラガール‐何が良かったか? ネタバレ 2006/11/16 1:00》の中で,
物語の価値は後半の連続する人間ドラマでしょう、人と人の間の対立、葛藤、すれ違いにこそドラマが存在するというのは演劇の普遍の鉄則ですが、後半ではそれを経て和解が生じ、緊張が解き放たれるカタルシスの瞬間を何度も味わうことが出来ます。
と書いているが,まことに行き届いた作品解釈で,全く同感である.
 上に引用した MA さんの『フラガール』評価に対して,映画「批評家」の前田有一は《旧態依然とした男社会の代表である豊川悦司と、松雪泰子の対立の構図》と書いているが,この人は物語のどこを観ているのだろう.

 MA さんが指摘している「対立と和解」は『フラガール』の中で幾重にも設定されている.最も重要な「対立」は,言うまでもなく谷川紀美子(蒼井優) とその母である谷川千代(富司純子) の対立であり,次に平山まどか(松雪泰子) と谷川千代の対立がある.そしてこれに平山まどかと谷川紀美子の,思いのすれ違いが絡んで物語は進行する.
 谷川洋二朗(豊川悦司) は,もともと平山まどか(松雪泰子) と対立というほどの対立はしていないのだ.洋二郎は,都会から来た女の平山まどかに最初は反感を覚えるものの,すぐに妹紀美子への兄弟愛によってその反感を克服し,以後はむしろ紀美子と平山まどかの応援団になるのだ.
 MA さんはそのことを映画中の台詞を引いて
そう考えると劇中、メンバーが他の人間に対して言ったセリフが実は観客に向けて投げつけられていたと考えることもできます。洋二郎がまどか先生が一人飲んでいる飲み屋に行き散々文句を言った挙句、最後に「紀美子のこと頼む、たった一人の妹だ」と頭を下げる場面では観客はその真意にハッと胸を突かれます。
と書いている.
 さらに別の場面で洋二郎は,平山まどかと口論してレッスン場を飛び出してきた紀美子に,「おめえは,プロになるまで,もううちには帰って来るな,……あの先生を信じて最後までやり通せ」と諭す.また平山まどかにまとわりつく借金の取立屋を撃退するのも洋二郎であり,前田有一が言う《豊川悦司と、松雪泰子の対立の構図》なんか初めからないのである.
 小説でも映画でも,読者なり鑑賞者による「多様な解釈」は当然あり得る.しかしストーリーを捻じ曲げてよいわけがない.映画「批評家」の前田が「超映画批評」中でやっているのは,そういう歪曲なのである.
 また前田は《旧態依然とした男社会の代表である豊川悦司》と言うが,これまたとんでもない間違いで,《旧態依然とした男社会》の価値観を体現しているのは,ちゃんと目を開けてスクリーンを見ていれば誰でも理解できることだが,洋二郎ではなく母の千代なのだ.
 フラのレッスンを始めた紀美子を連れ戻しにきた千代がまどかに言い放つ《山の女は子供産んで育てて山で働く亭主を支えるもんだ》がそれを示している.
 そして,母の,女はこうあるべしという価値観に,紀美子は「オレの人生はオレのもんだ!」と叫んで対峙する.この母と娘の対立が物語の骨格を形成している.また実はこの母娘の対立構図の裏側に,母親のこしらえた借金のためにダンサー生命を絶たれた平山まどかの人生が暗示されている.平山まどかと母親は和解するのか否か.それは観客の解釈にまかされている.上に《小説でも映画でも……「多様な解釈」は当然あり得る》と書いたのはまさにそのことである.

 実は,私は『フラガール』初見のとき,クライマックス直前まで,まどかの母親は金銭にだらしない駄目な女だろうと決めつけていた.しかし映画のクライマックスで,紀美子の晴れ舞台に思わず駆け寄る千代の姿を見て,まどかは笑みを浮かべながら滂沱と涙を流すのだ.このシーンの千代は,自分の人生を支えてきた価値観を捨ててでも娘を愛する母親という存在の象徴である.その千代を見てまどかが流す涙は,まどかの人生を壊してしまった母を,まどかが許したことを意味している.だとすれば,母の借金は父親の病気治療か何かで必要になったやむを得ないものに違いないと,私は脳内脚本を書きかえたのである.
(続く)

|

« 『フラガール』について (一) | トップページ | 『フラガール』について (三) »

続・晴耕雨読」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『フラガール』について (二):

« 『フラガール』について (一) | トップページ | 『フラガール』について (三) »