O・ヘンリーと蕎麦 (九)
〈O・ヘンリーと蕎麦 (八) から続く〉
明確には言い難いが,spring à(or"a") la carte でウェブ検索すると実際のレストランの献立もヒットしてくるが,springtime à(or"a") la carte で検索すると上位にオー・ヘンリーの短編がヒットする.
では spring と springtime はどう違うのか.辞書的説明によると,early spring はあるけれど early springtime とは言わない.そういうニュアンスの違いがあるのだという.
その説明で言葉としての使い方の違いはわかるが,具体的に料理の場合はどうなのか,どうもよくわからない.一品料理を形容するのには spring でも springtime でもいいけれど,O・ヘンリーの小説の題は「Springtime à la Carte」だ,ということだろうか.
そこで,O・ヘンリーが小説中でどう書いているかだけを手掛かりに考えると,ヒロインのセアラが「三月のある日」に清書しているシューレンバーグ・ホーム・レストラン (セアラが住んでいるアパートの隣にあるレストラン;この店の献立の下書きをタイプライターで清書するのが彼女の仕事) の献立表 (メニュー) は,春らしい料理 (「ローストした子羊のケッパーソース」) もあるが,冬の食材を使った料理 (牡蠣料理や,「ローストした豚の蕪添え」) も載っている.このことから,この献立表の一品料理の部は単に「À la Carte」と書かれていて,「Springtime à la Carte」でも「Spring à la Carte」でもないことがわかる.単に「À la Carte」でないと冬の料理と春の料理を一緒には載せられないからだ.
それでは短編小説「Springtime à la Carte」の地の文に,これからあとの描写に献立表のことが出てくるかと言うと,出てこない.いかにも春らしい一品料理である「タンポポのゆで卵添え」の料理名をセアラがミスタイプし,それがために幸運にも恋人と再会できましたとさ,というハッピーエンドで話は終わるのである.
であるからして,いよいよ小川高義の訳になる「春はアラカルト」の意味が不明なのである.O・ヘンリーの文章中に「春はアラカルト(がお勧め)」とか「春はアラカルト(がおいしい)」などとは,( ) 内の言葉を匂わす一言すら出てこないのである.
この短編は,献立表に春らしい料理が並んだら,そのおかげでセアラにも春が来た,というハッピーなお話であるわけだから,そのストーリーをタイトルに反映させるとしたら,岩波版の「献立表の春」がふさわしいと私は思う.「Springtime à la Carte」の直訳である「春の一品料理」でもいいけれど.
これに対して小川高義訳のタイトル「春はアラカルト」と大久保康雄訳のタイトル「アラカルトの春」は意味不明で,誤訳と言うべきではなかろうか.
とまあ,小川高義訳「春はアラカルト」を読み,上に書いたようなことを考えながら,ちびりちびりと酒を飲んだのであった.
(続く)
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