O・ヘンリーと蕎麦 (十)
〈O・ヘンリーと蕎麦 (九) から続く〉
さて話が長くなったが,病院の帰りに早めの夕食をとることにした私は,藤沢の蕎麦屋「すい庵」に立ち寄り,蕎麦前に清酒と板わさ,天ぷらを注文した.「すい庵」は店内が狭くはないが広過ぎもせず,遅い午後に一人で酒を飲むのにちょうどよい.私はのんびりと新潮文庫『賢者の贈りもの O・ヘンリー傑作選I』(小川高義訳) に収められた Springtime à la Carte のページを繰り,前回書いたようなことをつらつら思いながら,酒二合でほろ酔いになった.友人たちに「お前,最近酒が弱くなったなあ」と言われるのだが,自分でもそう思う.五十年弱も働き続けてくれた肝臓に,そろそろアルコール御免の時が近づいたということだろう.
適量ならば酒は百薬の長だという.適量ってどれくらいのことですかと医者に問うと,清酒なら一合ほどと答える.ほかの酒の適量はアルコール換算するわけだ.その適量も毎日飲んではだめで,週に二日は休肝日にしなさいと言う.還暦を迎えるころまでは,なかなかこの適量が守れなかったのであるが,というより端から適量という考え方を無視していたのだが,最近はもう体が酒を欲しない.月に一度,友人たちとの食事会と称する飲み会ではワインを一本飲んでしまうが,あとは週に一度くらい晩酌するだけだし,気が付いたら十日間も酒を飲んでいないことがあったりする.
そんな状態だから,「すい庵」にもたまにしか行かないのだが,この蕎麦屋は酒を飲む客に親切で,午後の通し営業をする上に,季節の酒肴を出してくれる.秋冬は牡蠣,春は山菜という具合.肴に工夫がある蕎麦屋は他にもあるのだけれど,藤沢駅周辺で通し営業している店は「すい庵」以外に私は知らない.(「高田屋」はあるが,これは蕎麦屋とはいいにくい)
で,春の山菜だけれど,蕎麦屋だけでなく料理屋でもタンポポが献立にあるのを見たことがない.しかしアメリカのレストラン (といっても百年前だが) では,Springtime à la Carte を読んだ限りでは,ごく普通の一皿のような印象を受ける.そこでネット検索してみたら,アメリカでは普通の料理だと書いてある日本語のサイトがあった.
日本ではどうなんだろう.検索するとタンポポとは無関係のタンポポオムライスがやたらとヒットするが,植物のタンポポを使った料理もちゃんとレシピが紹介されている.例えば,《タンポポ葉のレシピ 24品 》とか《タンポポ料理 》《春先にオススメ! タンポポ料理6つのレシピ 》などだ.もしかすると,女性が好みそうなしゃれたレストランに行くと,春のアラカルトで「温野菜のタンポポ スクランブルエッグ添え」なんてのを食べることができるかも知れない.ま,私は蕎麦屋でタラの芽とかフキノトウの天ぷらを口にするだけで春気分になれるので,タンポポ料理を食べることはないだろう.
この日は〆に盛りを一枚平らげて勘定を済ませたら,夕飯の客が次々に入ってきて賑やかになった.本を読みながら一時間ほど居座っていただろうか.牡蠣料理の時季が終わり,献立表の春がやってきたらまた来よう.
余談だが,新潮社のサイトのコンテンツ《名作新訳コレクション 》を覗いてみると,『賢者の贈りもの O・ヘンリー傑作選I』に《クリスマス、若い夫婦に感動の奇跡が訪れる――。短篇の名手による珠玉の名作を新訳!》という説明書きがついている.もちろん「賢者の贈りもの」の結末に感動の奇跡なんか起きないわけであるから,この惹句を書いたやつは「賢者の贈りもの」を読んでいないのがあからさまだ.この様子では新潮社の海外文学出版って,今は随分と程度が低くなったようだ.原作タイトルが間違っていたり,訳文に賛成できない箇所があるし,これなら『O・ヘンリー傑作選』の,あとの二冊は買わぬほうがよさそうである.
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