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2016年1月25日 (月)

猫本と蕎麦 (五)

『江の島ワイキキ食堂1』は,「ここんとこのコマ割はこうしたほうがいいのでは」などとじっくり舐めるようにしても,二合の酒で読み切れほどの分量だった.
 それに,地縛霊ジバニャンに似ている猫のオードリーも,読み進むと何となく猫らしく見えてきた.コーヒーショップでお茶を飲みながらとか,こうして蕎麦屋で酒を飲みながら読むのにほどよいホンワカとしたストーリー展開で,いかにも人気の出そうなコミックスである.

 さて『江の島ワイキキ食堂1』を半分読んだあたりで最初に注文しておいた天ざるが運ばれてきたのだが,そこで酒を追加注文したので蕎麦はそのままになっていた.
 徳利は空になり,本も読み終えたので,やおら天ざるを載せた盆を手前に引き寄せて蕎麦をたぐろうとしたのだが,ここで私は失敗に気が付いた.蒸籠に乗った蕎麦が乾き,全体が一塊になっていたのである.蕎麦の塊に箸を差し込み,ゆさゆさと揺すってみたが結着したままで,どうしてもほぐれてくれない.

 中華四千年前漢九代宣帝期に桓寛が『塩鉄論』を著わして曰く,死して再び生きざれば窮鼠は猫を噛み,匹夫は蕎麦を噛む.

 周りの席に一人も客がいないことをよしとして,匹夫である私は箸で蕎麦の塊を持ち上げ,端からもぐもぐと食べ始めた.
 臨終の床で「一度でいいから蕎麦をよく噛んで食いたかった」と言い残した噺家は誰であったか.その気持ちはよくわかるが,蕎麦の塊を端からもぐもぐ食うのは,やはり度を越していると言わざるを得ない.諸兄はこのような事態に陥らぬよう,蕎麦が運ばれてきたらすぐ食うべきであると,衷心より申し上げたい.

 蕎麦をすごくよく噛んで食べたあと,レジで支払いを済ませたら,若い女性店員さんが「ありがとうございます.またお越しくださいませ」と言った.おお「またお越しくださいませ」とは久しぶりに聞くきれいな言葉である.きっと蕎麦屋主人の躾であろう.ほろ酔いの私は気分よく店を出て駅に向かったのであった.

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