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2016年1月12日 (火)

オリンピック映画のこと (三)

 この《映画《東京オリンピック》は何を「記録」したか》は [1],[2],[3] の三ページに分割掲載されているが,[3] の冒頭までの要旨は以下の太字部分の通りである.

 渡辺教授による「記録映画」は,一切の演出を含まないものを指している.
 一般に「やらせ」という言葉は,事実を歪曲するほどの演出や捏造を行った映像作品を指弾するときに用いられるが,渡辺教授の定義によれば「記録映画」に演出は許されないから,事実の歪曲や捏造が行われていなくとも,演出を行った「記録映画」はすなわち「やらせ」であるという.
 市川崑監督『東京オリンピック』には多彩な演出が行われているから,従って,渡辺教授によればこの映画は「やらせ」であり「つくりもの」である.

「やらせ」は,事実の歪曲や捏造を行っておきながら,情報の受け手にはそれを秘匿し,事実であると思い込ませることを言う.激しい非難の言葉である.
 お笑い番組以外のテレビ番組で「やらせ」が発覚すれば,放送局の重役が謝罪会見をしなければならぬほどのことである.
 しかし,映画『東京オリンピック』は「やらせ」であるとまで市川崑監督を非難しておきながら,なぜか突然,渡辺教授は [3] で自分の立ち位置を変えて,次に示す四センテンスにあるように,市川崑監督を擁護する側にまわってしまう.

この映画には、富士山をバックに聖火ランナーが走る場面、女子体操のチャスラフスカ選手のスローモーション演技が黒バックで映し出されるところなど、大会後に撮影された明白な「やらせ」場面が他にもいろいろあるが、それらもほとんど批判されていない。
表現すべき事柄をきちんと描くことが第一で、そのための細工ならかなりのことが許容されたのである。そう考えれば、入場行進のシーンも十分に許容範囲内だったに違いない。
こう考えてみるとむしろ、ドキュメンタリー映像にはその時の実際の音がついていなければならないと考えて、こういうものを「つくりもの」呼ばわりしてしまうわれわれの心性の方が奇妙にみえなくもない。
実際の音と違うなどというつまらないことにこだわることが、表現の多様な可能性をつぶしているのでは、などとも考えてしまう。

 読者は,この四つの引用箇所を読むと「それじゃ,この時評全文の三分の二を使って映画『東京オリンピック』は「やらせ」だと断罪した論旨は一体どうなっちゃったの?」と言いたくなる.
 マッチ (=映画『東京オリンピック』は「やらせ」である) ポンプ (=こういうものを「つくりもの」呼ばわりしてしまうわれわれの心性の方が奇妙にみえなくもない) とはこのことだ.

 続いてこの時評の《一九六四年と二〇二〇年の二つの東京オリンピックの間に横たわっているのは》から末尾までは,国立競技場の建設費とエンブレムデザインの剽窃のことについて書かれていて,《映画《東京オリンピック》は何を「記録」したか》という表題と無関係である.なぜこの話が突然登場するのか,理由が不明だ.
 しかも,この時評は最後を
今のわれわれからみると、いかにも素朴で天真爛漫にみえる市川監督のオリンピック映画だが、あのような時代はもう終わった、と片付けてすむ話ではない
として,尻切れトンボのように終わってしまっている.
 この渡辺教授の時評は論旨が一貫せず意味不明であるが,もし《あのような時代はもう終わった、と片付けてすむ話ではない》のであれば,どういう話なのか結論を書く必要がある.

 もう一つ付け加える.渡辺教授は《いかにも素朴で天真爛漫にみえる市川監督のオリンピック映画》と書いているが,それは誰が言っていることなのか.
 渡辺教授より年上の私たちは,映画『東京オリンピック』が,事前に市川監督自身と脚本家の和田夏十および白坂依志夫,そして谷川俊太郎によって緻密な脚本を練り上げ,市川監督の技術の限りを尽くして製作された作品であることを,マスコミの報道や担任教師の解説によって映画公開時点で既に知っていた.
 だから映画『東京オリンピック』には素直に感動したし,今も私たちの思い出話の定番なのである.もしも映画『東京オリンピック』が実況放送を繋ぎ合わせたような《素朴で天真爛漫》な作品であったら,公開五十年後に誰が記憶なんぞしているものか.
 市川監督以外に映画『東京オリンピック』の監督を打診されたのは,黒澤明,今井正,今村昌平,新藤兼人らの方々であるが,どなたが監督を引き受けたとしても実況放送を繋ぎ合わせた「記録映画」は作らなかったと思うのである.

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