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2016年1月10日 (日)

オリンピック映画のこと (二)

 まず最初に指摘しておかねばいけないのは,この時評《映画《東京オリンピック》は何を「記録」したか 》の筆者である渡辺裕・東京大学大学院人文社会系研究科教授は私より四学年下なので,小学校の頃にリアルタイムで東京オリンピックをテレビで,あるいはもしかすると肉眼で観たはずであるし,市川崑監督作品映画『東京オリンピック』を義務教育の視聴覚教育で鑑賞しているに違いないということだ.当時は義務教育における学校行事 (文部省との関わりについては資料が見当たらないが) として映画『東京オリンピック』鑑賞が全国的に行われたのである.
 この映画『東京オリンピック』鑑賞会のことは今でも覚えている.私が少年時代を過ごした群馬県前橋市では,映画が公開されるや連日,市内全域の小中学校生徒(*) を教師が引率し,学校から市の繁華街にあった大映画館まで徒歩隊列をなして鑑賞にでかけるという壮大な催しであった.当時の映画は国民的娯楽であったから,映画館は現在のそれとは観客収容数が全く違う大きなものだったが,それでも私が通った中学は全校生徒約二千五百人であり,他にも幾つか中学があったから,映画鑑賞会は「壮大な催し」となったのである.
 (*) Wikipedia【東京オリンピック】
また映画館の他にも日本各地の学校や公民館で上映会が開かれたことから、その観客動員数は一般観客750万人、学校動員1600万人の合計2350万人で、事実上日本映画史上最多であるといわれている。》(下線はブログ筆者による)

 渡辺教授は《二〇二〇年の東京オリンピックの開催が、国立競技場やエンブレムの問題などで最初からつまずいている。そんな折、一九六四年の東京オリンピックの記録映画《東京オリンピック》をじっくり見る機会があった。オリンピック映画史上最高とも評される市川崑監督の作品である。見直してみると、この五〇年余の間の世の中の変化の大きさをあらためて感じる》と,この小時評を書きだしているが,これを読むと学年が少し違うだけで随分と違うものであるなあと思う.
 私たちいわゆる団塊世代にとって東京オリンピックは思い出話の定番である.そして一世代下の諸君に「君たちは東京オリンピックを知らないだろうが,あの頃,円谷幸吉というランナーがいてね…君たちにこんな話をしても理解できないだろうが,その遺書が残した文学的影響は…ほら高倉健の『駅 STASION』って映画でさ,あ,それも知らないの? ふーん…」と人を小馬鹿にしたような昔話をして嫌われるのが大好きである.
 そんなわけだから,東京オリンピック四十周年記念の市川崑ディレクターズ・カット版DVDが発売されたとき私は早速購入し,以来これは愛蔵版なのである.

 さてそのDVD『東京オリンピック [四十周年記念] 市川崑ディレクターズ・カット版』の箱にはこう書かれている.
1964年に開催された東京オリンピックの全貌を記録し、ドキュメンタリー映画、記録映画というジャンルを確立、現在もその頂点に燦然と輝く歴史的大作

 もしかすると渡辺教授が《オリンピック映画史上最高とも評される市川崑監督の作品である》と書いたのは,この惹句《現在もその頂点に燦然と輝く歴史的大作》の受け売りかも知れないが,実はこれは正しくない.
 Wikipedia【ドキュメンタリー】に書かれているように,ドキュメンタリー映画,記録映画というジャンルが確立したのはずっと古く,そして記録映画というジャンルが生まれてから,このジャンルの意味するところは時代と共に変遷してきたからである.
(続く)

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