猫物語
関川夏央が《昔私は群さんに猫でも飼ったら、となにげなくいったことがある。そのとき彼女は猫嫌いとはいわなかったが、飼うなんてとんでもない、と少し眉をひそめたのではなかったか。それが、いつの間にこれほど猫に愛着するようになったのか。そして、これほど巧みな「猫物語」を書くようになったのか》と書いている (『文学は、たとえばこう読む』,岩波書店).群さんとは,群ようこである.
それで群ようこの「猫物語」を四冊買って読み始めた.まだ最初の一冊『ビーの話』の途中なのだが,しかし関川が群ようこの書くものを「猫随筆」ではなく「猫物語」とした理由がすぐ理解できた.
犬のトレーナーは,限られた命令語だけで犬との意志疎通ができると聞く.たぶん猟犬の飼い主も同じだろう.何か犬に仕事をさせようとする場合は,そうするのがよいのだと思われる.
ところが犬には愛玩犬というのがあって,これは人から特に仕事を与えられない.人と一緒に暮らすことが仕事のようなものだ.
この種の犬は,命令語だけ理解できれば飼い主と意志が通じるというものではない.飼い主はもっといろんな言葉を発する.例をあげれば,犬がドッグフードを食べていると「おいちいでちゅか,あーそう,おいちいの,よかったねえ」などと言うのである.
猫の場合は,犬と異なって仕事猫というものはないので,人との意思疎通には命令語が使われない.愛玩犬と同様に専ら人と人との会話に用いられる言葉で意志の疎通が図られる.
例えば群ようこが世話している猫のビーが「うわおうわお」とか言うと,群にはそれが「遊んでください,お願いします」だと聞き取れるのであり,遊んでやるとビーは「んにゃっ」と喜ぶのである.
犬の飼い主には少ないが,猫の飼い主には「私は猫語がわかる」と言う人が少なくない.群ようこもきっとそう言うだろう.彼女と猫の間には会話が成り立っていて,心が通い合っている.だから群の本は「猫随筆」ではなく「猫物語」なのだ.
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