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2015年11月

2015年11月30日 (月)

納骨堂ビジネス

 歳をとると誰でも死後のことが気になるものであろう.西方浄土のことではない.墓の話である.
 以前にもこのブログに書いたが,私が死んだら散骨にして欲しいと息子と娘に頼んである.私がこの世で生きたことの痕跡が,物理的な意味で跡形もないようにしたいのである.息子と娘の思い出の中に私という存在があれば結構なことであるし,忘れられても構わない.実際,私は四十年以上も前に亡くなった母親のことは,ほぼ忘れた.怠け者で子を折檻するのが好きな,今でいうところの毒親だったから,積極的に忘れたのだった.

 まあ,私の場合は親類縁者が少ないので,散骨にしても文句を言ってくるやつはいないだろうが,世の中にはなかなかそうはいかない人々も多かろう.そんな人たちにとって墓の問題は頭が痛いことだろうと想像する.
 墓を持つということは,その墓地を所有する寺 (ここでは寺に限った話とする) と付き合うということである.
 墓の話がややこしいのは,一般的に寺とのあいだでは賃貸契約がないことである.墓は建前としては賃貸ではないので,一番最初に大層な額の「お礼」を住職に差し上げたあとは,賃借料の代わりに法事の際に「お布施」を払うことになるのだ.
 法事は毎年あるわけではないが,仏様のことを忘れてしまわない程度の頻度で執り行われる.寺から「来年は大切な供養の年ですよ」と連絡がくるから,いいえ結構ですとは言えず,その際にはまあそこそこの読経料を住職に差し上げることになるのである.
 この読経料が,寺によってかなりの違いがある.五万円でいい寺もあれば,何十万円も払う寺もある.いくら欲しいのか訊いても「お気持ちで結構です」と言うから始末が悪い.仕方なく檀家の有力者に相談して読経料を包むことになるのが普通である.
 自分の墓を持つと,法事の費用だけでは済まなくて,住職一家の生活を面倒みる必要がある.本堂や庫裏の修繕と称して,こちらは結構多額の寄付を強いられる.
 浄土にいる仏様はお気楽だろうが,遺族にはこんな面倒なことがあるので,私は散骨にするのである.息子と娘に迷惑をかけぬことが親としての私の責任であると思う.

 さて,朝日新聞デジタル (11/30 0:51) の記事《都心の納骨堂、宗教かビジネスか 想定外の課税で裁判に》よれば,東京都港区に,金沢市に本院がある宗教法人「伝燈院」が開設した納骨施設「赤坂浄苑」がある.
 赤坂浄苑の参拝用ブース (仏壇みたいなもの) 一区画の永代使用料は一基百五十万円で,毎年の護持会費は一万八千円だという.このブースの永代使用権の販売は仏壇・仏具大手の「はせがわ」に委託している.納骨堂の料金相場からして,ブース維持にかかる費用は,まあこんなものであろう.
 朝日新聞の記事は,赤坂浄苑に対して東京都が昨年度分の固定資産税四百万円を課税したことを報じている.以下に記事から引用する.
 《地方税法は、宗教法人が宗教目的で使う土地や建物は固定資産税などを非課税にすると定めている。寺や神社のほか、墓地も非課税扱いとされてきた。伝燈院は、納骨堂も墓地と同じ非課税扱いと考えていた。しかし都は、赤坂浄苑が宗派を問わず遺骨を受け入れたり、はせがわに建物内で営業を認めたりしていると指摘し、課税に踏み切った。
 《都も「課税するかどうかは実態に応じて個々に判断している」という

 ここで都が《課税するかどうかは実態に応じて個々に判断している》というのは,曖昧な言い方にすぎはしないか.
 都の言い分のうち,《宗派を問わず遺骨を受け入れ》ていることは,付け足しの言いがかりに過ぎない.ここは一つはっきりと「寺が自分で使用権の販売を行うのは宗教法人の活動として認めるが,民間企業 (この場合は「はせがわ」) に委託した場合は事業として課税する」と言いきればいいのである.

 伝燈院はこの七月に,都に課税取り消しを求める訴えを東京地裁に起こしたが,はたしてこの係争はどう展開するのであろうか.散骨希望の爺婆以外の老人は刮目して判決を待つべし.

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2015年11月27日 (金)

義務教育からやり直しなさい

 腰痛でベッドに伏せっている.私は慢性の腰痛持ちではあるが,今現在の痛みは「ギックリ腰系統」のやつだ.まあ数日でよくなるだろうとは思うが,このような何かにつけて不如意のときは大したことないことでも向かっ腹が立つ.こらえ性なく,スルーということができない.
 さっきラジオを聴いていたら,放送作家の増山実という人が書いた『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』なる小説を紹介していた.二年前に角川春樹事務所から単行本で出版されて,先月,ハルキ文庫に入ったという.売れているらしい.
 増山実の人物像はよくわからぬのであるが,大阪のABCテレビで放送されているバラエティ番組『ビーバップ!ハイヒール』の放送作家であるらしい.ネット上の顔画像をみたところ,若くはないが年寄りでもないという印象である.

 で,この小説の題を聞いて私はベッドからころげ落ちた.
「いつの日か」は,日時は定かではないが将来起きることについて用いる表現である.
 従って「いつの日か来た道」としたのでは,「いつの日か」が未来のことであるのに「来た道」が過去のことだから,まるで日本語になっていない.つまりこの増山実という男は「いつの日か来た道」と「いつか来た道」とをごっちゃにしているのだ.同じ意味だと思っているらしい.堂々とこんな本を書く男が放送「作家」だというから,驚きのあまり私はベッドからころげ落ちたのである.腰痛なのに.
 さらに言うと,角川春樹事務所には,無教養な著者に日本語の間違いをきちんと指摘できるまともな編集者がいないと思われる.角川春樹の会社だから仕方がないと言えば言えるが.

 アマゾンのレビューを読むと,この『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』には在日朝鮮人のことが出てくるようだが,この程度の頭の男の書いた話だから,読む前から程度が知れる.ええいっ,腰が痛いっ.

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2015年11月24日 (火)

借金の相談

 定年後に再就職した仕事からもリタイアして以来,外に出かけるのは週に一度か二度の食料品の買い出しと,月に一度の友人との昼食会だけである.
 あとは家にいて,本を読んだりDVD鑑賞三昧,あるいは暇つぶしにゲームで遊ぶかだが,そのあいだもラジオを垂れ流しに聴いている.
 ラジオは,かつて名機と呼ばれたソニーのアナログ機で,ニッポン放送に固定している.古いアナログ機 (しかしアナログ機最高の感度を誇る) だからメモリがなく,あちこちチューニングするのがめんどくさいからで,特にニッポン放送が好きというわけではない.

 そんなラジオリスナーとなって気が付いたのは,やたらと司法書士事務所のCMが多いことである.感覚的には五分から十分間隔でCMが流れるので,ほとんど連呼に近い.
 その司法書士事務所とは「司法書士法人新宿事務所」である.
 司法書士法人新宿事務所 (以下,新宿事務所とする) のラジオCMは,私が去年ラジオを聴き始めてからずっと一日中,繰り返し繰り返し「過払い金の返金期限が迫っています.最高裁で過払い金が認められて来年で十年.十年経つと過払い金は時効で消滅します」と叫んでいた.(今秋に一部修正があった;後述)
 ヨーゼフ・ゲッベルスは「大きな嘘でも頻繁に繰り返せば,人々は最後にはその嘘を信じるだろう」と言ったが,実はこの新宿事務所のラジオCMには微妙な嘘があった.
 過払い金返還の消滅時効は法律で十年だが,時効の起算点は完済した時点である.しかるにこの夏まで放送されていた新宿事務所のCMは,最高裁判決から十年経過すると時効となるかのごとき紛らわしい表現であった.
 CMの文言だけでなく,文言を読み上げる女性の声のトーンも債務者の危機感をあおる雰囲気があり,このCMは誤解を生むとの識者の指摘もあって,秋からは「完済から十年経つと過払い金は時効で消滅します」と修正された.このCMを毎日聴いていた私の印象では,誤解を生むというより債務者の危機感をあおるのがあからさまであったと思う.司法書士法人は公的な立場にあると思うが,新宿事務所は違うのだろう.

 さて過払い金時効についてのラジオCMを流しているのは新宿事務所だけではない.
 新宿事務所はCMの最後を「借金問題は新宿事務所」としているが,ある司法書士法人は〆の文句を「借金のご相談は○○事務所」と言っていた.
 借金問題の相談と借金の相談は全然違う.私はこれを聞いてイスから転げ落ちた.ここは金を貸してくれるらしい.

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2015年11月22日 (日)

設定の意味がわからない (補遺)

 昨日の記事《設定の意味がわからない》について補足する.
 まず,税についての基礎知識を短くまとめる.以下は日本の税金に関する説明であるが,諸外国でも先進諸国ではほぼ同じと考えてよい.

 税金には普通税と目的税とがある.
 普通税とは税収の使途を特定していない税金のことであり,一般税とも呼ばれる.
 この普通税に対し,予め税収の使途が決まっているものは目的税と呼ぶ.
 普通税は国や地方公共団体の一般財源に充当される税で,目的税と比べると課税対象者を限定せずに広く課税される傾向がある.
 代表的な普通税には,所得税,法人税,消費税などがある.税は,原則的に普通税である.
 普通税のうちで地方税法により税目が定められているものを法定普通税という.
 法定普通税の他に,地方自治体が条例の制定など一定の手続きを経た上で住民に課税するものを法定外普通税という.

 普通税に対して,目的税は税収の使途を予め特定している税金をいう.
 そのため、普通税に比べると税負担者が限定される傾向にある.その税収の使途によって恩恵を受けない者からも徴収することは,納税者の納得を得ることが著しく困難であるからである.例えばよくあるのは都市基盤整備に使用される「事業所税」であるが,これは法人から徴収し,一般市民には課税できない.
 目的税にも普通税と同様に,法によって定められた法定目的税と,各地方自治体の判断で設立される法定外目的税がある.一般に目的税と呼ばれているものは,法定目的税のことであるが,法ではなく条例によって課税する法定外目的税もないわけではない.

 さて話を映画『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』に戻す.
 この映画は,ヨーロッパのある地方都市で,雑種犬の飼い主に重税を課すという条例が制定されたということから始まるという.
 雑種犬の飼い主は,納税者の一部である犬の飼い主の,そのまた一部であるからして,その税収を一般財源に充てることには困難を伴う.仮に市長が,その税収を一般財源に宛てようとしても,これが近代的な (映画のプロモーション動画を観た限りでは,物語の舞台は北朝鮮でも中国でもなくヨーロッパである) 議会の承認を得られるとは思われない.
「雑種犬にのみ課税し,純血種には課税しない」というのは,ある種の不穏な意図を感じさせるのであるが,それは何であるか.単に「雑種犬の繁殖および所有を禁止する」とすれば,むちゃくちゃな条例ではあるが,物語の設定としてはあり得るだろう.しかし,雑種犬にのみ課税するということが,上に述べた現代の税の枠組みの中で,税制的に可能なのか.課税に耐えられれば雑種犬を飼ってもいいが,そうでなければ納税しなければいけないというのは,一体どんな税の論理なのか.
 さらに,こんな意味不明な条例が制定されたのに,その街の市民が唯々諾々と従っているのはなぜか.

 『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』の監督が,映画の冒頭で「雑種犬にのみ課税し,純血種には課税しない」条例について近代国家の納税者が納得できる説明をしているのならよいが,そうでなく唐突に「ある地方都市で,雑種犬にのみ課税し,純血種には課税しない条例が制定された」としか描いてないなら,この監督は,中学生以下の大馬鹿野郎である.
 もしも監督が反社会的な大馬鹿野郎でなく,『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』がまともな作品なのであれば,日本公開前にこの映画を観た者は,まずこの映画の税に関する設定について説明しなければならないが,誰もそうしていない.映画のレビューとして当然書くべきことを書かずに「犬版の『猿の惑星』だ」などと能天気なレビューを書くのは,監督同様の大馬鹿野郎である.『猿の惑星』に失礼だ.

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2015年11月21日 (土)

設定の意味がわからない

 映画『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(原題“Fehér Isten/White god”;2014年製作) が今日から上映開始だそうだ.製作国はハンガリー,ドイツ,スウェーデン.

本作は雑種犬の飼い主に重税を課す法律が施行されたある街を舞台に、野性に目覚めた犬たちの反乱を描く物語 》なんだそうだが,なぜ雑種犬の飼い主に重税を課すのか,理由が私の頭では想像もできない.
 犬が野生に目覚めようが人間に反乱しようが,それは構わない.しかしそういうストーリィを評価する以前の問題として,《雑種犬の飼い主に重税を課す》という意味不明な設定を解説してくれている映画レビューサイトはないかと思ったのだが,すごい映画だとか書いている人ばかりである.
 これが,為政者が雑種犬を嫌いなので雑種犬は殺処分する法律を作ったとかなら物語の設定としてわかる.
 例えば,犬ではなくて人間の話だが,《ユダヤ人の戦術は民族の特性を雑種化して、最も価値ある階級の人種的価値を低下させること》(Wikipedia【ナチズム】) であるとしてユダヤ人は殺されたのであるから,雑種犬が殺処分されるというならリアリティがあると思うのだが,しかし,なにゆえに《雑種犬の飼い主に重税を課す》のか.なにゆえに税金なのか.
 レビューを書いている人は「犬版の猿の惑星」だとか誉めているが,そんなレビューじゃ劇場に足を運ぶ意欲が起きないよ.何度も言うが,雑種犬の飼い主に重税ってのがわからんなあ.

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2015年11月17日 (火)

ゴーストバスターズ

 すっかりストーリーを忘れてしまったので,BDを購入して再度鑑賞した懐かしの『ゴーストバスターズ』の感想を短く以下に.
 この映画,現在の観客の鑑賞に耐える作品でありますね.三十年も前のものなのに,とても楽しい娯楽映画に仕上がっている.
 現在の高度なCGを駆使した映画に比較すれば,レトロ感はあるものの,蘇って降臨した破壊神とゴーストバスターたちの戦闘で高層ビルが爆破される映像なんか,よく撮れていると思う.ただし,その破壊神そのものは温泉場の場末にいるダンサーみたいな感じで,よろしくない.あー,場末のダンサーって私は見たことないですけどね.おい.
 この破壊神が,あの伝説の間抜けなボスキャラ「マシュマロマン」に変身するわけだから,それとの対比で,例えばおどろおどろしいメソポタミア風の豪華な美女とか,もう少しなんとかならなかったものか.

 こう書いて思ったのだが,映画『ネバーエンディング・ストーリー』のチープ感は,お粗末な特撮のせいもあると思う.とても『ゴーストバスターズ』と同年の作品とは思えない.
『スター・ウォーズ』が1977年だから,『ネバーエンディング・ストーリー』はその七年後に製作されたわけだが,特撮は『スター・ウォーズ』よりもずっと後退してしまっている.
 私たちが子供の頃,マンガ作品をテレビ化するときにアニメではなく「実写版」というのが作られたもので,鉄腕アトムなどは動画を今でも閲覧できる.『ネバーエンディング・ストーリー』には,その「実写版」のチープ感に近いものがある.
 だがしかし,とも思う.
 『オズの魔法使』(1939年) は「実写版」の手法で作られているが,歴史的名画の一つだ.
 つまり映画『ネバーエンディング・ストーリー』が愚作であるのは,原作 (原作者の品性) も脚本 (←いじめられっ子が仕返しのいじめをする) もダメなのに,特撮も手抜きだったからだ.酷評すぎますか.そうですか.

 ちなみに,アマゾンで『ゴーストバスターズ』のBDを買ったら,それ以来ブラウザに「ゴーストバスターズのコスプレ衣装」の広告がやたら出てくる.これは映画と異なって,セクシーな女性が着用している.
 ところがこのコスプレ衣装,オリジナルの『ゴーストバスターズ』で使われているバスターズ作業服とは全くデザインが異なる.
 不思議に思っていたら,これはどうやら企画倒れになったような『ゴーストバスターズ』第三作で使われるはずのものらしい.新しいゴーストバスターズは女性たちだけのチームだという.コスプレ好きの向きはご検討を願いたい.おい.

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2015年11月15日 (日)

郡司騒動

 つい先日,このブログへのアクセス数急増したと書いたら,waiwai さんから郡司和夫の書いた文章が原因かもという情報を頂いた (このブログの当該記事). いかにもありそうなことである.

 その Business Journal の記事《コンビニおでんは絶対に食べちゃダメ 》 に以下のように書かれている.

6~7年前のことです。焼きチクワやハンペンなどをつくる三陸海岸のある老舗の練り製品メーカー社長に、こんな話を聞きました。

と書いたのに続いて,

その練り製品メーカーは、大手コンビニチェーンとおでんの練り製品を納入する仮契約を結びました。仮契約には「仕様」という品質についてのさまざまな取り決めがあり、それらをすべてクリアできて本契約となります。当然、練り製品メーカーでは、仕様に沿った製品づくりを始めました。しかし、どうしてもクリアできなかったのが、「練り製品はおでんのダシ汁の中で8時間浮いていること」という仕様でした。
そこで社長は恥を忍んで知り合いの同業者に相談したところ、その人はこともなげにこう言ったのです。
「簡単なことだよ。原料のすり身にリン酸塩とソルビットをたくさん使えばいい。そうすれば、すり身の比率は下がり、おでんの汁も吸いこみにくくなる。使った添加物はキャリーオーバーということにしておけば表示の必要はないから、コンビニチェーンにも消費者にもわからないよ」
 大半のすり身は船上でつくられます。その際、品質保持や増量のためにリン酸塩やソルビットが添加されますが、使用した食品には影響が出ないということで添加物の表示は免除されます。これをキャリーオーバーといいますが、この制度をもっと利用しろというわけです。

としているが,これは郡司和夫が,どこかで聞きかじったネタをもとに頭の中で作った創作である.取材して書いたものではない.これが創作だという理由を以下に述べる.

 練り製品を製造する際に,当該業者がリン酸塩等を使用しない場合は,船上で製造されるすり身に加えられたリン酸塩等は,当該業者が自社製品を販売するにあたっては「キャリーオーバー」として表示義務の対象にならない.
 Wikipedia【キャリーオーバー】には簡単に次の説明がある.
食品業界において、原料中には含まれるが使用した食品には微量で効果が出ない為、法律によって表示を免除される添加物を指すのに用いられる。
 この引用文中の「原料」を「すり身」に,「使用した食品」を「練り製品」に置き換えて読むとわかりやすい.

 さてところが,この当該業者が練り製品を製造する際に,購入した原料のすり身に,自社の工程でリン酸塩等を添加した場合は,表示義務が生じる(*).おでんの出汁の中で八時間浮いているという効果が発現するからである.Wikipedia【キャリーオーバー】に《原料中には含まれるが使用した食品には微量で効果が出ない為、法律によって表示を免除される》と書いてある通り,逆に効果がある場合は「キャリーオーバー」に該当しなくなるからである.

 上に述べたことは食品製造のイロハであって,《知り合いの同業者》が《「簡単なことだよ。原料のすり身にリン酸塩とソルビットをたくさん使えばいい。そうすれば、すり身の比率は下がり、おでんの汁も吸いこみにくくなる。使った添加物はキャリーオーバーということにしておけば表示の必要はないから、コンビニチェーンにも消費者にもわからないよ」》と言うはずがないのだ.
 「キャリーオーバー」の意味は法律上明確に定められており,一介の事業者が《使った添加物はキャリーオーバーということにしておけば》などと恣意的に使うことができない用語なのである.ある食品製造業者が製造するところの,ある食品に含まれている添加物に関して,これがキャリーオーバーとして表示を免除されるか否かは,その事業者の所在地を所轄する保健所が判断する.当該保健所にて判断がつかない場合は,厚生労働省が判断する.しかるに郡司は《これをキャリーオーバーといいますが、この制度をもっと利用しろというわけです》と書いているが,これはもう消費者と行政の双方を愚弄する悪意のデマとしか言いようがない.

 さらにいうと,コンビニと練り製品メーカーの間には,おでんを製造するベンダーが存在する.練り製品メーカーはこのベンダーに製品を販売するのだが,製品納入にあたっては品質保証書をベンダーに提出しなければならない.そしてこの品質保証書には使用添加物を詳細に記述しないといけない.上の(*)に「表示義務が生じる」と書いたのは,正確には包装食品における原材料表示のことではなく,取引先から提出を求められる品質保証書に記載しなければいけないという意味である.
 日本の大手コンビニは販売する商品の品質について非常に詳しく把握している.そして時々は食品製造業者を査察して,原料メーカーから提出された品質保証書に虚偽の記載がないか確認している.この査察は,食品製造業者の査察を専門とする会社に委託して行われ,不合格ならバッサリと契約を打ち切られことになっている厳しいものである.
 従って《コンビニチェーンにも消費者にもわからないよ》ということはあり得ないのである.
 確実に,郡司はこのコンビニ商品の製造と流通の事情を知らないと思われ,郡司の書いた記事が取材と調査によるものでなく,頭の中で作ったものだと断定する所以である.

 ちなみに,ここまで郡司和夫のペテン師ぶりを明らかにしてきたが,コンビニ側は,コンビニ仕様のおでん向け練り製品に使用されている添加物の種類と添加量は承知している.場合によっては,中小の製造業者に対して,価格だけでなく使用原材料も指定してくることすらある.
 しかるになぜ郡司は,あり得ない嘘,つまり練り製品メーカーがコンビニに隠れて添加物を使用している (つまりコンビニ本部側は騙されている) と書いたのであろうか.練り製品メーカーは攻撃できても,コンビニ本部を批判できない後ろ暗い事情が何かあるのだろう.

 ついでに書くと,私はコンビニのおでんを一度しか食べたことがない.さして美味しくもない,むしろまずいのに価格が異常に高くてコスパ悪すぎだ.とてもじゃないが買う気になれない.
 高くてもいいなら,私は飲み屋に行く.若者よ,おでんを食うなら良心的な飲み屋に行こう .よい飲み屋さんなら,八時間も出汁に入れて煮ている (=味と食感の低下が甚だしい) なんてことはしないからである.
 ただし,飲み屋に行って酒を飲まずにおでんを食って帰るのは甚だしい営業妨害である.飲み屋のおでんは,酒を飲む客に対するサービス価格となっていて,利益がほとんどないからだ.下戸の向きは,ぜひとも普通の人の二倍は飲む大酒飲みに連れていってもらおう.あまり酒を飲めない若い娘さんがおいしいおでんを食べたいなら,この方法がおすすめである.

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2015年11月14日 (土)

キャスパー

 ここ最近,定年後の楽しみとして,昔つい見そびれた映画を安価なDVDで鑑賞している.
 先日の記事《果てしなくダメな物語 》で映画『ネバーエンディング・ストーリー』をこきおろしたが,この全編にテレビ映画のようなチープ感のみなぎる映画は1984年の作品である.
 昨日はスティーヴン・スピルバーグ製作総指揮による『キャスパー (Casper)』のDVDを観た.これは1995年の映画である.
 導入部分を紹介すると,大富豪の一人娘であるキャリガンは父親の遺言によりメイン州にある古びた屋敷を相続したのだが,この屋敷はゴーストたちの住処だったので,キャリガンと腰巾着の弁護士ディッブスの二人は屋敷の幽霊を追い払おうと悪戦苦闘することになった.
 この幽霊退治には悪魔祓いの神父が雇われるのだが,これは1973年の映画『エクソシスト』へのオマージュである.
 続いて,ちょっと格好いい作業服のような制服を着た男が登場する.これも1984年の映画『ゴーストバスターズ』のオマージュだ.
 この作品は劇場で観たのだが,ストーリィをすっかり忘れてしまった.これは『ネバーエンディング・ストーリー』と同じ年の作品だが,しかしそれほど安っぽい作りではなかったような記憶がある.だからスピルバーグにオマージュを捧げられるわけだ.
 さてCGに慣れた今の観客の目で見たら『ゴーストバスターズ』はどうなんだろう.それに私は続編を見そびれている.で,アマゾンで「ゴーストバスターズ1&2パック」というBD二枚組を注文してみた.明日届くので,来週にでも感想を書く.

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2015年11月12日 (木)

最近の温暖化懐疑論 (何度かの追記あり)

 現役の会社員だった頃,私の主たる仕事は製品の品質保証業務であったが,同時に環境関連の業務を行う部門長も兼任していた.
 環境関連の業務とは,一口に説明しにくいのであるが,省エネルギーとか省資源とか炭酸ガス排出量削減とか,そういった諸々の取り組みである.
 炭酸ガス排出量削減の目的は言うまでもなく地球温暖化対策であるが,私自身はどうしても地球温暖化論に同調できなかった.
 というのは,私たち一般人は様々な地球観測の生データを入手も理解もできないわけで,そのため研究者たちが観測データを画像に加工したりグラフ化したものを見ることになるのであるが,しかしそれらのグラフ等を見ても,私にはどうしても温暖化が進行していることを示すデータだとは思われないのである.「どうしてこんなグラフから地球が温暖化してるなどと言いきれるわけ?」と思うのだ.

 地球温暖化論の総本山は『気候変動に関する政府間パネル』(IPCC) であるが,Wikipedia【地球温暖化】によれば,《IPCC第4次評価報告書によって、人為的な温室効果ガスが温暖化の原因である 確率 は「90%を超える」とされる》となっている.
 正直に言うと私は「IPCC第4次評価報告書」原文を読んでいない.読んで理解する能力がない.それでこのWikipedia【地球温暖化】の記述が「IPCC第4次評価報告書」に基づいているとしての話であるが,引用文中に下線をつけた「確率」という語は,このような場合に使用してはいけない.これは高校数学の基礎知識である.従ってもしも「IPCC第4次評価報告書」に本当に「確率」と書かれているのならば,『気候変動に関する政府間パネル』(IPCC) は馬鹿である.
 この例に限らないが,どうも IPCC という組織は,まともな研究者の集まりではないような気がするのである.
 これまでに, IPCC によるデータの捏造や画像の修正,取り換えなどが発覚している.しかし本当に地球が温暖化しているのならば,どうしてそんなことをする必要がある?
 つまり私が上に《地球温暖化論に同調できなかった》と書いたのは,正確には「IPCC に同調できなかった」ということである.繰り返すが,私には地球温暖化論が正しいか否か判断する力がない.
 しかし私のような一般人が抱く疑問なんかではなく,地球科学の専門家には温暖化に対して懐疑的な少数の人々がいて,これまでにいくつかの懐疑論 (Wikipedia【地球温暖化に対する懐疑論】) が提出されてきた.
 ところがこれらの懐疑論に対する IPCC の立場は「議論する段階はおわった.今は行動に移すときである」として,全く相手にしていない.無視している.
 そして温暖化論の根拠に援用してきた論文の誤りが発覚すると,論文の誤りは認めても「結論はかわらない」と主張して,懐疑派を無視してきた.
 でも,本当に地球が温暖化しているのならば,新たな懐疑論が出てきたら論争して論破すればいいじゃないか.

 というようなわけで,IPCC に無視されるであろうが,最近の温暖化懐疑論を一つ紹介しておきたい.

深井 有 (中央大学理工学部名誉教授)
地球はもう温暖化していない

 ただし,上の深井氏の文章にも疑問の点はある.冒頭の

確かに過去100年にわたって気温はじわじわと上昇してきたが、実は最近18年間、それはピタリと止まっているのだ。米国の気象学者クリスティがまとめた最新のデータを図1に示す。これは2015年5月の下院諮問委員会の資料から転載したものである。地球全体をカバーする気象衛星データと膨大な気球観測のデータはよく合っていて、1998年以降はほぼ頭打ち、最近はむしろ下降傾向にある。一方、世界で100以上のグループがCO2温暖化を仮定して行った計算ではCO2増加につれて気温は上がりっぱなしで、実測との乖離は年々大きくなっている。CO2温暖化論は破綻したのだ。

であるが,ここに掲げられた《「図1.1979年以後の世界平均気温:観測とCO2温暖化論による予測の比較 (クリスティ2015)」》を見ると確かにこの十八年間の気温は上昇していないように見える.
 しかしこれまで,《地球全体をカバーする気象衛星データと膨大な気球観測のデータ》によって,最近の大気温度は跳ね上がるがごとく上昇しているように描かれていたはずではなかったか.
 それがどうしてクリスティによれば停滞しているように描かれ,IPCC によれば極端な上昇を示すように描かれるのか.
 実は,膨大な生データをグラフ上の一つの点に表現する際に,どのような論理に基づいて計算したかが異なると,全く異なる結論が出せるのである.
 実にいいかげんである.
 気象「学」においては,こうあって欲しいという予断に基づいて,それに合致するようにデータをグラフ化できるのである. (平均気温計算式の中のパラメータを変化させるとどのように平均気温が変化するか,実際にコンピュータ計算を行い,結論をいかようにも変えられる気象「学」のカラクリを解説しているネット記事がある.関心ある向きは検索されたい)
 地球温暖化論にしても温暖化懐疑論にしても,こんなものが科学であるはずがない.やっていることが,あの小保方と同じレベルだ (遠い目).
 だからこそである.IPCC は最新の懐疑論には最新の反論を行って論争しなければならないのだ.それを「議論をする必要はない」などとうそぶいているのは,自分たちの計算に何か「不都合な真実」を隠していると疑われてもしかたがない.
 一方の深井名誉教授も,自論を展開するならば《「図1.1979年以後の世界平均気温:観測とCO2温暖化論による予測の比較 (クリスティ2015)」》の描画論理が正しい (すなわち論理的であって恣意的ではない) という検討結果を先ず示さねばならない.それをしないのは,深井名誉教授もまた「不都合な真実」を隠している可能性がある.こうなるともはや目くそが鼻くそを笑

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2015年11月10日 (火)

フードファディズム業界

 このブログには毎日四十人前後の訪問者があり,普段はあまり変動がない.
 ところが一昨日と昨日,突然に閲覧数が増加した.昨日は正味の訪問者数が二百五十八人,延べ訪問者数が二百六十九人,ページビューが四百四十四であった.
 なんだなんだと驚いてココログのアクセス解析を調べたところ,増加したアクセスは『ペテン師郡司和夫』(10/2) に集中していた.

 ペテン師の郡司和夫が良識ある人々の眉をひそめさせていたのは以前からのことであるから,ここ数日の人気沸騰は,何か悪事を働いたかと思ったのだが,そうでもないらしく,理由がわからない.ま,いいや.

 ところで今日は,フードファディズム業界の大型新人である南清貴を紹介しよう.私の見るところ,この男の舌先三寸のペテンで世渡りする生き方は,郡司和夫にひけをとらない.

 まずはこのウェブ記事《コンビニおでんは超危険!がんや記憶力低下の恐れ 危ない添加物を非表示で大量使用! 》の末尾のプロフを引用する.(記事タイトルからしてフードファディズム丸出しだなあ.もう少し知的な見出しを付けられぬものか)

南清貴(みなみ・きよたか)
フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事。舞台演出の勉強の一環として整体を学んだことをきっかけに、体と食の関係の重要さに気づき、栄養学を徹底的に学ぶ。1995年、渋谷区代々木上原にオーガニックレストランの草分け「キヨズキッチン」を開業。2005年より「ナチュラルエイジング」というキーワードを打ち立て、全国のレストラン、カフェ、デリカテッセンなどの業態開発、企業内社員食堂や、クリニック、ホテル、スパなどのフードメニュー開発、講演活動などに力を注ぐ。最新の栄養学を料理の中心に据え、自然食やマクロビオティックとは一線を画した新しいタイプの創作料理を考案・提供し、業界やマスコミからも注目を浴びる。親しみある人柄に、著名人やモデル、医師、経営者などのファンも多い。

 冒頭のこけ脅しの肩書《フードプロデューサー》って,どうなの.フードプロセッサなら英語だけどね.
 《一般社団法人日本オーガニックレストラン協会》は,例えば理事一覧とか協会会員一覧とか,どのような法人なのか全く公開されていない.えてしてこういうのは組織実体がない.公益法人は行政によって厳しく監督されているが,一般社団法人なんてのは,やりたい放題,言いたい放題ができるのである.(もちろん,誠実な事業活動を行っている一般社団は多いが,インチキ社団もあるのだ)
 さて問題は次からだ.《栄養学を徹底的に学ぶ》《最新の栄養学を料理の中心に据え》とあるが,ネットで閲覧できる南清貴の文章を読めば,南が郡司和夫と同類のペテン師であることが明らかである.郡司と異なるところは,南は自分のエプロン姿の画像を公開していて,郡司よりも多少おしゃれ度が高い点であろうか.
 ま,これからどんなトンデモ活動を展開するか,南清貴の活躍に注目したい.

[補遺]
 こんなのもある.「超危険!」シリーズだ.(笑)
外食の揚げ物は超危険!発がん性や糖尿病誘発…危険な油使用

 文中に《加えて、揚げ物をつくっている間に油が高温にさらされることによって酸化してしまいます。酸化した油ほど体に悪いものはありません。食べた後に酸っぱいゲップが出たら、食べた揚げ物に使われていた油が酸化していたことを疑うべきでしょう》とあるのだが,これは南清貴の思考経路が「酸化→酸→酸っぱいゲップ」という中学生並の水準であることを示している.「酸化」の「酸」は「酸素」の「酸」であって,「酢酸」や「クエン酸」「塩酸」「胃酸」の「酸」ではないということは高校化学の知識であり,この基礎ができていないと栄養学どころではないのだが,《栄養学を徹底的に学》んだはずの南清貴には,なぜか高校生レベルの知識がないのである.
 この程度の頭の男に騙される《著名人やモデル、医師、経営者》(プロフより) てのは一体どんな人々なのであろうか.

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2015年11月 9日 (月)

着香水

 先日会った知人が,日本コカ・コーラの「Toreta!(とれた!)」という飲料を飲んでいた.初めて見る製品なので手に取って表示を読んでみたのだが,奇妙な商品だとの印象だった.

 同社のサイトから,商品説明と原材料表示を以下に引用する.

産地にまでこだわった15種類の国産果実と野菜のエキス、ミネラルで作った、カラダにやさしい日常生活での水分補給にぴったりの柑橘系水分補給飲料です。
みかん、きんかん、ゆず、レモンの柑橘フレーバーで、大人も子供も飲みやすい、さわやかな口当たりに仕上げています。
また、瀬戸内海の海塩を使用し、甘味料は植物由来のものを使用したローカロリー設計となっているため、日常の水分補給だけでなく熱中症対策にもぴったりで、公益財団法人 日本学校保健会推薦の熱中症対策飲料としても認定されています。

原材料・栄養成分・その他
原材料名 :  糖類(砂糖、果糖)、はちみつ、塩化Na、金柑エキス、アロエエキス、温州みかんエキス、梨エキス、ぶどうエキス、ももエキス、ゆずピールエキス、りんごエキス、レモンピールエキス、アスパラガスエキス、にんじんエキス、ブロッコリーエキス、ほうれんそうエキス、よもぎエキス、海藻エキス、香料、クエン酸Na、クエン酸、リンゴ酸、塩化Mg、酸化防止剤(ビタミンC)、塩化K
種類 :  清涼飲料水
発売年月 :  2015.6
エネルギー :  16kcal/100ml

 上記の原材料表示を読んで,大抵の人は「エキスって何?」という疑問をもつであろう.この鬼面人をおどすが如き (物のたとえです) 原材料表示には,日本コカ・コーラも自ら「これはちょっとまずいなー」と思ったのかも知れないが,同社サイトのQ&Aに以下の説明を掲載している.

よくあるご質問
Q.「Toreta! (とれた!)」には、果実と野菜のエキス入りと書いてあるのに、無果汁なのはなぜですか?
A.「Toreta! (とれた!)」には、果汁を使用していません。果実と野菜の風味や香りを楽しんでいただく目的で、それぞれの果実と野菜から抽出した成分(エキス)を使用しています。

Q.果汁とエキスの違いはなんですか?
A.果汁は果実の搾汁のことです。エキスは、動物、植物などから水やアルコールで特定の成分を抽出して得られたものです。

 こんな説明では何だかわからない人が普通であろう.
 そこで更にウェブを検索していただければ,日本香料工業会 (法人ではないようだが,香料関係の企業が網羅されている団体) のウェブサイトにあるこの記事に辿り着くことができる.

 要するに,日本コカ・コーラの「Toreta!(とれた!)」は天然香料で着香した水なのである.昔懐かしJT「桃の天然水」と同類だ.
 飲料業界で,この種の商品が復活の兆しだと言われたのが今年の初め頃であったか.その流れの中で開発されたものだろうが,如何せん内容が複雑すぎて,一般消費者にはコンセプトが理解できないのではなかろうか.

 ま,それは日本コカ・コーラさん頑張ってね,ということであるのだが,冒頭に私が感じた「奇妙な商品」という印象は,ボトルに書かれているコピー《15種類の国産果実と野菜のエキス、ミネラル》のミネラルについて,非常に小さく読みにくい印字で,ミネラルとはナトリウムのことです,と書かれていることによる.
 言うまでもなくナトリウムはミネラルの一種である.だがナトリウムをナトリウムと呼ばずにわざわざ上位概念であるミネラルと書くと,「飲料食品の説明としてそれはどうなの?」という道義的な問題が生じる.例えば醤油メーカーは絶対に「ミネラル豊富」などと醤油容器に書くことはないのである.
 日本コカ・コーラの「Toreta!(とれた!)」には,消費者を煙にまいて騙してやろうという魂胆があからさまである.しかもナトリウムとミネラルのすり替えは,容器には書いてあるが同社のサイトの文章では伏せられている.姑息極まりない.
 こんな商品を売っているようでは,日本コカ・コーラの品質保証部門に心正しき人物はいないと見た.(経営層は言わずもがなである)

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2015年11月 7日 (土)

果てしなくダメな物語

 空想癖は小学生くらいの子供の頃にありがちなことだろうと思う.しかしそれはいつしか消えてしまう.子供は,自分の手に余る現実への対応で,とても空想どころではなくなってくるからだ.
 心理学に詳しい人に教えて欲しいと思っているのだが,小さな子供の空想には二種類あると思われる.それは一つには漫画月刊誌の『鉄腕アトム』を読んで,科学の発展した明るい未来を夢見るといった類の空想(A)と,もう一つ,何かにつけて自分に辛くあたる母親が実は実母ではなく,本当のやさしい母は遠く離れたところにいるのだと思う空想(B)の二つである.
 空想(A)には,ディズニー映画のようなファンタジー世界の空想も含まれるだろう.もちろん(A)と(B)は排他関係ではないから,空想癖のある子供の心の中には,ファンタジー世界と,自分は橋の下に捨てられていた孤児なんだという物語が同居していると思われる.

 それはさておき,かつて話題になったけれど何となく見損なってしまった映画を,このところ安価なDVDで観ている.先日の記事に書いた『ニューヨーク東8番街の奇跡』もその一つだ.
 『ネバーエンディング・ストーリー』は,映画会社 (ワーナー) と原作者との間で一悶着あったことで私の記憶に残った作品である.
 原作はミヒャエル・エンデの『はてしない物語 (Die unendliche Geschichte)』である.その「一悶着」を Wikipedia【ネバーエンディング・ストーリー】は次のように書いている.

決裂を決定的とする上で致命的だったのは、映画のラストシーンが、エンデの意図とは正反対であることである。映画の主人公バスチアンは、本の世界「ファンタージェン」の力を借りて、現実世界のいじめっ子に仕返しをする。エンデはこれについて真剣に腹を立て「このシーンをカットして欲しい」と告訴に踏み切る事となった。裁判の結果は、エンデの敗訴となり、「ミヒャエル・エンデ」の名前をオープニングから外す事で、なんとか和解した。

 さて映画『ネバーエンディング・ストーリー』を観ての感想だが,これはもう駄作の一言に尽きる.
 子供は,自分の手に余る現実への対応で,とても空想どころではなくなってくると,その心の中の「ファンタージェン」は崩壊してしまう.しかし心の中には「ファンタージェンの女王」が生き残っていて,砕け散った「ファンタージェン」の欠片の一粒を持っている.それさえあれば,また「ファンタージェン」は復活できるのだ.
 これは,児童向けファンタジー映画に込められたメッセージとしてまことに正統的なものであるのだが,それが唐突にラストシーンでぶち壊しになる.Wikipedia が書いている通り《映画の主人公バスチアンは、本の世界「ファンタージェン」の力を借りて、現実世界のいじめっ子に仕返しをする》のである.「ファンタージェン」のドラゴン「ファルコン」が何の説明もなく突然として現実世界に登場し,それに打ちまたがった主人公バスチアンは,自分をいじめた子等に仕返しをし,高らかに笑うのである.もうほんとに児童向け映画としてサイテーのラストシーンである.

 「ファンタージェン」の道具でいじめっ子に仕返しをするのは『ドラえもん』と同じ筋立てである.しかし『ドラえもん』各話の最後において,のび太は「ひみつ道具」を使った仕返しがむなしいことであることを悟り,成長していく.映画『ネバーエンディング・ストーリー』のそれと比較して,なんと素敵なメッセージだろうか.

 私は映画『ネバーエンディング・ストーリー』があまりにも酷かったので,これに怒ったという作者の原作『はてしない物語』を読んでみるかと思ったのだが,Wikipedia【はてしない物語】を閲覧してみたら,こんなことが書いてあった.

登場人物
バスチアン・バルタザール・ブックス (Bastian Balthazar Bux)
現実世界に住む、デブでエックス脚ののろまな少年。いつもいじめに遭っている主人公。イニシャルはBBB。ファンタージエンでは美少年に姿を偽る。

 これには私は実に驚いて,椅子から転げ落ちた.
 つまり作者によるいじめられっ子のキャラクター造形は,「デブ」「エックス脚」「のろま」なのである.「エックス脚」が「いじめられ要素」である理由はよくわからぬが,『はてしない物語』は「デブ」な「のろま」が《美少年に姿を偽る》という話であるらしいのだ.
 こんな話は読んでみるまでもない.ミヒャエル・エンデというサイテー野郎が,よくまあサイテー映画に異議を申し立てて裁判にしたものである.映画がダメダメなら原作も目くそ鼻くそなのであった.
 昭和の中頃まで,この国には,容姿や体形などの外観でひとを嘲笑ってはならぬという価値観が生きていた.そういう価値観で生きてきた私は思うが,子供には『はてしない物語』なんぞ買い与える必要はない.アニメ『ドラえもん』のほうがはるかに優れた童話だからである.

 余談だが,『はてしない物語』に登場する書店主カール・コンラート・コレアンダー (Karl Konrad Koreander) のイニシャルは KKK だと Wikipediaにある.KKK ってのは問題にならぬのであろうか.

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2015年11月 4日 (水)

命あるUFO

ニューヨーク東8番街の奇跡

 アメリカの1980年代は,そんな大昔に実際に米本土へ旅行したのは一度しかなくて,その旅行の記憶と映画とか絵とかを見ての印象なのだが,都市でも田舎でも,飲食店とかアパートの建物に独特のレトロ感がありましたな.大衆食堂であると,ジュークボックスが店の隅に置かれていたりする.

 その頃のニューヨークの東8番街で,古い小さなビル群を壊して近代的な高層ビルを建てる都市開発が行われようとしていて,私たちの若い時代にもあった「地上げ屋」が活躍していた.
 その地上げ屋に最後まで抵抗していたおんぼろアパートがあった.そこに残った数人の住人に起きた奇跡のお話.
 たわいもないSFファンタジーであるけれど,どこか懐かしく,いつも涙腺が緩んでしまっている年寄りの鼻の奥を湿らせるには,こんな小品で充分だ.

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2015年11月 3日 (火)

還暦すぎてなお

@nifty 経験の達人」に,以下に引用の投稿が掲載されていた.

ATMで振込を繰り返すのは迷惑  投稿者:ゆうのちさん 千葉県 60代 男性
  投稿日:2015年10月14日
ATMでお金を引き出すために並んでいると、振込を次から次へと長時間占領する人がいる。自分もそこに至るのに行列に並び待ったのだからその嫌な思いをしたはずだけど、自分のことになればそれをすっかり忘れて、行列に並ぶ人がイライラしようともまったく関係なく、5回も6回も振込を繰り返す全くの迷惑人。どうして口座振替やクレジットカードを利用しないのだろうか。そんなに相手方を信用できないなら、現金払いの取引しかしなければ良いのに。

 投稿者はプロフに定年退職者だと書いている.
 長いこと会社勤めをして,還暦もすぎているのに,そんなことも知らんのかと驚いた.
 連続振込みをしているのは,一般家庭の人が自分のうちの公共料金を振り込んでいるわけではない.零細な事業者が,取引先から銀行振り込みを指定された日に,支払いをしているのだ.
 あるいは,給料日に従業員の給与を振り込んでいることもある.従業員が少ない場合は,給与振り込みの仕組みを使うよりも人力でやるほうが簡単なのだ.

 ATM で連続振込みをしている人を見て迷惑に感じたり不思議に思ったら,会社に行って周囲の同僚に訊けばいいではないか.きっと誰かが教えてくれただろう.
 身の回りのごく普通のことを,何も調べずに思い付きでネット投稿する「ゆうのち」氏は,きっと大きい企業に勤めていた頭のすごく悪い人なのだろう.しかも不寛容.
どうして口座振替やクレジットカードを利用しないのだろうか。そんなに相手方を信用できないなら、現金払いの取引しかしなければ良いのに》に至っては全く意味不明だ.
 信用できない取引先だったら,なおのこと銀行を介在させねばならない.集金にきた者に百万円を現金で渡して持ち逃げされたらどうするんだ,ゆうのち氏は.
 また,取引先から支払い方法として銀行振り込みを指定されれば,そうするしかないではないか.この人は自分が何を言ってるのか,わかっていないのだ.

 で,問題は「@nifty 経験の達人」は,投稿を読んだ人が「よっ!哲人」「お見事」「応援します」の三つの評価しかできないことだ.
 従って,上の「ゆうのち」氏の投稿には「無知!」とか「あほ!」とすべきであるが,
「よっ!哲人」    8
「お見事」      5
「応援します」   29
となっている.(11/3 現在)
 この投票結果に舌打ちしている零細企業の人々がたくさんいるはずである.

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2015年11月 1日 (日)

ネット上の文章作法

 私のブログに,工藤憲雄という人物がコメントを書き込むのであるが,ネット上の文章作法をわきまえぬコメントなので公開していない.
 最近の書き込みは,全文以下の通りである.

「ステマ工藤憲雄先生のコメントが短すぎて不明」に答えます。わかりやすく書いてもみなさんには100頁ほどになりますので無理です。「閾値をもたない糖鎖腫瘍マーカー」をお読みくださればほとんどご理解できます。最もこれだけでも数百ページございますが。知りたければ面倒がらず探索ください。ステマ工藤憲雄先生だけでなく協和キリン・三菱化学メディエンス・群馬大学の研究員が開発スタッフとして参加しています。特許の発明者に群馬大学の研究員が名を連ねています。近藤氏の応援団どころか近藤氏の重大な誤りを指摘して科学的根拠にもとずく「がんもどき理論」の誤りを報告しています。江分利万作さんはお読みになっていないようですね。

 ブログの記事へのコメントは,記事中のどの部分に対する意見であるかを先ず書かねばならない.これはブログ記事に限らず,およそ文章のやり取りにおける最低限の約束事である.
 しかるに工藤憲雄氏のコメントは,ブログ記事のどの箇所に関する意見であるかが書かれていない.というより,ブログ記事に無関係に自分の書きたいこと (不特定多数に対してアピールしたいこと) を書き込むのである.そのことについて私は「ステマ」と皮肉り,
この御仁は,コメントを書き込むのはいいが,短すぎて何がいいたいのか不明だ.このブログだけではなく,あちこちのブログに,記事に何が書かれているか全く無関係に自分の言いたいこと (私はパテントを取ったということ) を書き込む.スパムのようなものだ.ネット上にも礼儀と作法というものがある.困った人である
と記事に書いた.工藤憲雄氏のやっていることは,掲示板への投稿であれば「自分のブログに書け」と叱責される行為だからである.

 そしたら《わかりやすく書いてもみなさんには100頁ほどになりますので無理です》だと.「わかりやすく書いてもみなさんには無理」ならば,他人のブログにコメントなんぞ書き込むなと言いたいが,私が言っているのは,そもそもそういうことではなく,ブログ記事へのコメントに関する最低限の約束事をわきまえた,まともな日本語の文章を書いてくれということなのである.

 例えば《…をお読みくださればほとんどご理解できます》は日本語になっていない.「ご理解していただけます」または「ご理解いただけます」,あるいはただ単に「理解できます」でよろしい.一番良いのは「理解できます」だ.
 それから《100頁ほどになりますので》についてだが,ブログのコメント欄には「頁」という概念がない.文章の長さを言いたいのなら,「頁」でなく「字数」を用いるべきである.
 また,このセンテンス《わかりやすく書いてもみなさんには100頁ほどになりますので無理です》を日本語として適切な語順に書き直すと,「わかりやすく書いても100頁ほどになりますのでみなさんには無理です」となるのであるが,すると今度は「みなさんには無理です」が意味不明となる.「みなさんには理解することが無理です」なのか「みなさんには読むこと自体が無理です」か,どっちなんだ.このような場合は,例えば次の例文のように書かねばならない.
 例文;こういう非論理的な文章を書いて平然としている工藤憲雄氏には,日本語よりも論理的な言語である英語で書かれた論文を読んで理解することは無理です.

 しかし,だなあ.これじゃあ中学生の作文を採点している国語教師の気分である.こんなことも一々指摘しなきゃならん御仁につきあっている暇はないのだが,時間を割いて添削して差し上げた.感謝してもらえれば幸いである.(公開が憚られる無礼なコメントをつけられたので,慇懃無礼に書いてみた〈笑〉.これでストーカー行為をやめてもらえれば嬉しい.無理かな.無理だろな)
 以上.

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