納骨堂ビジネス
歳をとると誰でも死後のことが気になるものであろう.西方浄土のことではない.墓の話である.
以前にもこのブログに書いたが,私が死んだら散骨にして欲しいと息子と娘に頼んである.私がこの世で生きたことの痕跡が,物理的な意味で跡形もないようにしたいのである.息子と娘の思い出の中に私という存在があれば結構なことであるし,忘れられても構わない.実際,私は四十年以上も前に亡くなった母親のことは,ほぼ忘れた.怠け者で子を折檻するのが好きな,今でいうところの毒親だったから,積極的に忘れたのだった.
まあ,私の場合は親類縁者が少ないので,散骨にしても文句を言ってくるやつはいないだろうが,世の中にはなかなかそうはいかない人々も多かろう.そんな人たちにとって墓の問題は頭が痛いことだろうと想像する.
墓を持つということは,その墓地を所有する寺 (ここでは寺に限った話とする) と付き合うということである.
墓の話がややこしいのは,一般的に寺とのあいだでは賃貸契約がないことである.墓は建前としては賃貸ではないので,一番最初に大層な額の「お礼」を住職に差し上げたあとは,賃借料の代わりに法事の際に「お布施」を払うことになるのだ.
法事は毎年あるわけではないが,仏様のことを忘れてしまわない程度の頻度で執り行われる.寺から「来年は大切な供養の年ですよ」と連絡がくるから,いいえ結構ですとは言えず,その際にはまあそこそこの読経料を住職に差し上げることになるのである.
この読経料が,寺によってかなりの違いがある.五万円でいい寺もあれば,何十万円も払う寺もある.いくら欲しいのか訊いても「お気持ちで結構です」と言うから始末が悪い.仕方なく檀家の有力者に相談して読経料を包むことになるのが普通である.
自分の墓を持つと,法事の費用だけでは済まなくて,住職一家の生活を面倒みる必要がある.本堂や庫裏の修繕と称して,こちらは結構多額の寄付を強いられる.
浄土にいる仏様はお気楽だろうが,遺族にはこんな面倒なことがあるので,私は散骨にするのである.息子と娘に迷惑をかけぬことが親としての私の責任であると思う.
さて,朝日新聞デジタル (11/30 0:51) の記事《都心の納骨堂、宗教かビジネスか 想定外の課税で裁判に》よれば,東京都港区に,金沢市に本院がある宗教法人「伝燈院」が開設した納骨施設「赤坂浄苑」がある.
赤坂浄苑の参拝用ブース (仏壇みたいなもの) 一区画の永代使用料は一基百五十万円で,毎年の護持会費は一万八千円だという.このブースの永代使用権の販売は仏壇・仏具大手の「はせがわ」に委託している.納骨堂の料金相場からして,ブース維持にかかる費用は,まあこんなものであろう.
朝日新聞の記事は,赤坂浄苑に対して東京都が昨年度分の固定資産税四百万円を課税したことを報じている.以下に記事から引用する.
《地方税法は、宗教法人が宗教目的で使う土地や建物は固定資産税などを非課税にすると定めている。寺や神社のほか、墓地も非課税扱いとされてきた。伝燈院は、納骨堂も墓地と同じ非課税扱いと考えていた。しかし都は、赤坂浄苑が宗派を問わず遺骨を受け入れたり、はせがわに建物内で営業を認めたりしていると指摘し、課税に踏み切った。》
《都も「課税するかどうかは実態に応じて個々に判断している」という》
ここで都が《課税するかどうかは実態に応じて個々に判断している》というのは,曖昧な言い方にすぎはしないか.
都の言い分のうち,《宗派を問わず遺骨を受け入れ》ていることは,付け足しの言いがかりに過ぎない.ここは一つはっきりと「寺が自分で使用権の販売を行うのは宗教法人の活動として認めるが,民間企業 (この場合は「はせがわ」) に委託した場合は事業として課税する」と言いきればいいのである.
伝燈院はこの七月に,都に課税取り消しを求める訴えを東京地裁に起こしたが,はたしてこの係争はどう展開するのであろうか.散骨希望の爺婆以外の老人は刮目して判決を待つべし.
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