« イムジン河 (七) | トップページ | イムジン河 (九) »

2015年10月19日 (月)

イムジン河 (八)

 私は昭和二十五年の春,朝鮮戦争 (勃発から昭和三十年代には朝鮮動乱といったが今は朝鮮戦争と呼ぶのが普通;確かに「動乱」程度のことではなかった) の直前に生まれた.
 今はやりの「終活」は,身の回りを整理していつ死んでも家族が困らぬようにしておくのが主な意味で,これを「暮らしの終活」とでもいうなら,自分自身の内部での「人生の終活」もまたあるだろう.
 例えば,私が生まれてから流れた六十五年の歳月について,どれくらい世界史的な理解を自分ができているかというと,甚だ心許ない.会社員生活を終えてからしみじみと思ったのは,自分が生きたこの世の中の歴史について無知のまま死ぬのは嫌だということである.今からでもきちんと勉強して,すべてとはいわないが六割七割程度の理解をしてからあの世に行きたいと思う.

 そんなわけで,この記事を書くことになったきっかけは,青山繁晴という嘘つき評論家が「安倍総理の祖父である岸信介は在日朝鮮人の帰還事業に反対していた」「だから安倍総理にとって拉致被害者問題の解決は祖父岸信介以来の悲願なのだ」「小泉元総理は拉致問題について北朝鮮と密約をしたが,それは父の小泉純也が北朝鮮の傀儡だったからである」などとするデマをラジオで放言したのを聴いて,「それは私が知っている歴史と違うぞ」と批判することだったのだが,つい熱くなって長文の「人生の終活」のようになってしまった.
 熱くなってしまったのは,いわゆる団塊の世代が生まれてすぐに起きた朝鮮戦争は,私たちその世代の人生に大きな影響を与えたからであり,従って青山繁晴ごときデマゴーグが歴史を,ひいては私たちの人生を捏造するのは許しがたいと思ったからである.

 さて,仁川上陸作戦においては,兵員六万五千名と六十輌以上の M26重戦車が揚陸された.
 仁川上陸作戦の結果,北朝鮮軍の補給路は断たれて敗走が始まったのであるが,腰抜けは往々にしてお調子者であり,李承晩もその例に漏れなかった.李承晩は勝勢に浮かれて北進し,韓国軍は単独で38度線を突破した.するとなぜか米軍もこれに同調して38度線を越えた.Wikipedia【朝鮮戦争】は以下のように記述している.

さらにアメリカ軍を中心とした国連軍も、トルーマン大統領やアメリカ統合参謀本部の命令を無視し北上を続け、中国軍の派遣の準備が進んでいたことに気付かずに敗走する北朝鮮軍を追いなおも進撃を続け、日本海側にある軍港である元山市にまで迫った。さらに先行していた林富澤大佐率いる韓国陸軍第6師団第7連隊は10月26日に中朝国境の鴨緑江に達し、「統一間近」とまで騒がれた。
(続く)

[筆者註]
 前回と今回の記事に,北朝鮮軍が使用したソ連製のT-34戦車と,米軍のM26戦車にリンクを設定して説明を加えたのは,両戦車が朝鮮戦争において重要な役割を果たした兵器だったということが一つ.
 もう一つは,昭和三十年代に,第二次大戦で使用された兵器のプラモデル製作に熱中したおとーさんたちに,昔を懐かしんでもらいたいと思ったからである.こらこら.

|

« イムジン河 (七) | トップページ | イムジン河 (九) »

新・雑事雑感」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: イムジン河 (八):

« イムジン河 (七) | トップページ | イムジン河 (九) »