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2015年10月20日 (火)

イムジン河 (九)

 あわや北朝鮮の壊滅という状況にスターリンは,米国との直接衝突を避けながら事態打開するべく,同盟関係にある中華人民共和国に肩代わりを求めた.毛沢東にはスターリンから参戦要請の手紙が届けられたとされる.

 林彪らが参戦に反対する中,毛沢東は開戦前の朝鮮民主主義人民共和国との約束に従って中国人民解放軍を「義勇兵」として派遣することを決定した.この出兵は「義勇兵」とはいいながら彭徳懐が指揮する正規軍であった.
 平江での武装蜂起を指揮して以来,日中戦争を戦い抜いてきた歴戦の雄である彭徳懐にしてみれば,たかだか抗日パルチザンの一人に過ぎぬ金日成が勝手に起こした戦争に出兵せねばならなかったことは,よほど腹に据えかねたことと思われる.作戦にあれあれと口を出そうとする金日成に彭徳懐は,下っ端は黙っていろと一喝したという.

 ともあれ中国人民解放軍は,ソ連製ジェット戦闘機 MiG-15 の投入と,兵の損失をいとわぬ人海戦術で国連軍を押し戻し,1950年12月5日に平壌を,1951年1月4日にはソウルを奪回した.しかし補給線の伸びた中国軍は前線を維持できずに後退し,戦況は38度線付近で膠着状態となった.

 ここに至り米トルーマン大統領は,過激な戦争継続論を主張するマッカーサーを解任して停戦への道を模索した.
 戦争当事国双方による幾度かの交渉を経て,1953年1月にアメリカではアイゼンハワー大統領が就任し,ソ連では3月にスターリンが死去たことから状況が変化し,1953年7月27日に北朝鮮,中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれた.

 この戦争の北朝鮮側の死者250万人,韓国側の死者133万人といわれ,また北朝鮮から共産党支配を嫌った多くの一般人が南に逃亡したという.戦線が南へ北へと移動したため国土の疲弊も著しく,もはや北朝鮮に戦争遂行力はなかった.そこで金日成は半島の武力統一ではなく,国際政治的に韓国よりも優位に立ち,韓国包囲網を作ることを目指した.
 すなわち在日朝鮮人の帰還運動を開始し,経済発展著しく人道主義に立つ北朝鮮という大宣伝を行った.もちろん経済発展も人道主義も大嘘であったが,日本共産党の協力宣伝(*後述) により,社会党から自民党に至る超党派組織を作ることに成功した.そして日本の知識人もマスコミも,今から省みれば愚かとしか言いようがないが,まんまと金日成に騙されたのであった(**後述).
(続く)

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