偽善者あるいは犯罪者
専業主婦の贅沢ランチとか昼カラオケのマーケットはかなり以前からあるわけだが,今やいわゆる団塊世代がほぼ完全に年金生活に移行して暇をもてあました結果,「昼間の宴会=昼飲み」という新しいマーケットが生じた.
昼飯時にビアホールとか気安く入れるレストランに行くと,爺さんたちがランチメニューを食いながらワインなんぞを飲んでいるのをよく見かけるようになった.
昔は昼酒を食らうのはろくでなしであったが,昨今は普通の年寄りが昼酒をのむようになったのである.というか,団塊世代は元々がろくでなしであったのかも知れぬが.
というのは言い訳で,先日,昔からの友人たちとの定期的昼酒会に出かけた.会場のレストランの最寄り駅まで一時間以上かかるので,車中の待ち時間つぶしにいい本はないかと駅ビルにある本屋に入ったら,『こんなに変わった歴史教科書』(山本博文,新潮文庫) が目についたので購入した.
この本は,昭和四十七年と平成十八年に発行された中学校の歴史教科書 (社会科の一部) を比較して,どこがどのように変化しているかを紹介している.変更された事項の多くは新聞などで記事になったものであるが,改めておさらいという姿勢で読んでみると,なかなか面白かった.
なるほど,とおもしろく思ったことの一つ.
私たちが使用した社会科教科書には,明治維新後,江戸時代の古い身分制度を廃止せんとする政府の一連の政策に関して,「四民平等」という言葉が書かれていた (白状すると,すっかり忘れていた) が,現在の教科書には「四民平等」の語はないのだそうである.
明治四年 (1871) 八月二十八日の太政官布告すなわち穢多非人等の賤称廃止令 (正式な名称はなく,解放令あるいは身分解放令と呼ぶことも多い) によって,封建的身分制度における最下層の賤民身分 (穢多,非人など) は廃止され,その身分は平民と同様であるとされた.
大切なことは,これが見かけだけの,偽りの改革だったことである.
というのは,政府自身が旧賤民身分の人々を,新たに作った新平民という語で呼んで区別したのである.この区別は当然ながら差別を生んだ.何のことはない,身分の言い方がかわっただけで,「新平民」は庶民のあいだに差別用語として定着し,これが現在まで続く差別の始まりとなったのであった.すなわち言葉だけで実態のない「四民平等」は教科書に載せる価値がないというのが現在の教科書編纂者の立場であるとのことである.なるほど.
そもそも明治政府は,賤称廃止令は天皇制と矛盾すると考えていたのである.それなのになぜ,この布告が公布されたかという事情は Wikipedia【解放令】を参照されたい.要点を以下に抜粋しておく.
《明治4年8月28日の解放令公布の後、明治政府は実質的な解放政策を一切行わなかった。当初から解放令の公布は天皇制の否定に直結しかねない行為であり天皇制と矛盾する、といった意見が明治政府内から数多く出ていたため、明治政府としては部落解放政策は勿論の事、解放令の存在も到底認めがたい物でしかなかった。まして、明治政府から見れば解放令はあくまでも欧米諸国から押し付けられた物に他ならなかった。結果として、身分解放は「四民平等」理念による身分の解放ではなく、「地租徴収」実施のためだけに出された名だけの身分解放にとどまり、渋沢・杉浦の「四民平等」を追求した人権論に根ざした早期開放論も、大木・大江の「生活改善」による格差是正後の漸進開放論も最初から無かった事となった。被差別部落住民に対する集団リンチ事件といえる解放令反対一揆の取り締まりも皆無であった。》
《そして皮肉にも、解放令によって部落の生活水準は下降した。元被差別身分が差別から解放されることはなく、むしろ江戸時代に有していた所有地の無税扱や死牛馬取得権などの独占権を喪失した上、大木の構想した生活改善事業も行われなかったためであった。このため、洞村移転問題など解放令の趣旨とは全く正反対の事例も数多く発生した。また、解放令とともに戸籍法の手直しが行われたものの、現場担当者の事務処理の混乱や意識改革の遅れもあって翌年編製された壬申戸籍における「新平民」表記問題につながることになった。全国水平社の設立後も部落の生活水準の改善はほとんど行われず、完全なる平等を謳った日本国憲法の施行によってようやく実質的な解放政策が行われることとなったのである。》
さて昼酒の会.
ある友人が,先月,信州を旅したときのことを話題に出した.『夜明け前』に「すべて山の中である」と書かれた木曽路を辿ったのだと.
それで私は,上に挙げた文庫本のことと明治の賤称廃止令,そして島崎藤村の『破戒』を彼の話題に繋げた.
島崎藤村は,『破戒』出版の前年,明治三十八年(1905) に,途中まで書き上げた原稿を持って上京した.これに妻冬子と三人の幼い娘を帯同した.
上京してはみたが全く生活能力のない藤村は,この年と翌年の続けざまに,結核に感染した娘たちを貧窮故の栄養不良で死なせた.切り詰めた暮らしのために若い妻は夜盲症になった.
悲惨な暮らしの中で冬子はさらに男児二人を生み,上京の五年後,四人目の女児出産のときに産褥で死んだ.
冬子は,有体にいえば,藤村の節度ない性欲の犠牲となって短い人生を終えたのであった.
性欲だけのことではない.藤村島崎春樹は,女性を人間として扱わなかった.そして恥知らずでもあった.不幸にも不倫相手に選ばれてしまった姪島崎こま子が藤村の犠牲者であることに異論を唱える人は少ないのではないか.
妻と三人の娘と姪を我欲の犠牲にして,まだ平然と生き続けるような男が,よくまあ被差別民のことを小説にしたものだ.
私がそう言うと,件の友人は「だけど漱石は『破戒』を絶賛したんだぜ」と答えた.彼は漱石の良い読者なのであるる
負けずに私は「漱石といえども誤りはある.芥川龍之介は藤村を偽善者と呼んだ.花田清輝は藤村を犯罪者と言い切った」と返した.そして友人は苦笑して,この話題は終わりとなった.島崎藤村の弁護は難しいのである.
中学の国語教科書は知らず,高校の現代国語教科書には,もしかすると『破戒』か『夜明け前』が抜粋されているかも知れない.
昔の高校生なら,よほどの文学好きでなければ島崎藤村の人間像を知ることはなかっただろう.しかし今はネットがある.ネット情報から辿っていけば,藤村という男が偽善者あるいは犯罪者と呼ぶべき人間だったと容易に知ることができる.
作者と作品は別物だという人がいるが,そんなことはない.獣が書いた小説は,題材が何であれ,またどんなに文学的な感動に誘うように書かれていようとも,結局は獣の心が作り出したものなのだと私は考える.
あーオチがないのだが,『こんなに変わった歴史教科書』の感想文は以上.
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