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2015年9月15日 (火)

甘藷と馬鈴薯 (十)

 先日,テレビ番組で博物館網走監獄 (明治時代に建造された網走刑務所の建物を保存公開している歴史野外博物館;本物の網走刑務所から少し離れたところにある) が取り上げられていた.
 この番組で刑務所の構造を知った人が多いと思うが,昔の監獄は,看守が立つ監視室を中心にして放射状に獄舎が延びる構造であった.
 この網走刑務所と同じ様式の古い建築だったものに前橋刑務所がある.
 戦前のことは知らない (調べておけばよかったと今にして思うが,もはやその手立てがない) が,私が生まれた昭和二十五年には,煉瓦造りの前橋刑務所の西側に看守の住む公務員宿舎 (官舎とよばれていた) があり,私はそこで生まれ育った.

 映画『フラガール』には,かつて実際に人が住んでいた「炭住」の様子が描かれている.
 前橋刑務所の西側に隣接して,上に引用した炭住の画像中にあるような瓦葺板壁の四軒一棟の長屋  (この原稿を書いた時点で上の画像検索結果のトップにある「500x295 mokuu.cc」〈出典はここ〉がそっくりである;テレビで『フラガール』を観たとき,懐かしさに感動したあまり即座にDVDを Amazon に注文してしまった) が四棟あり,その西側には菜っ葉や芋,かぼちゃを植えた広い畑があった.そのまた西は利根川の河川敷である.
 畑は懲役囚が農作業し,収穫物は看守にもたまに現物支給が行われたが,さらに官舎に住む刑務所職員たちは,長屋と長屋のあいだの隙間にかぼちゃを植えたりしていた.
 昭和三十一年の経済白書には《もはや「戦後」ではない》と記述されたが,庶民の食生活はそれからあとも五年ほどは戦後状態が続いた.
 私が覚えている最も古い頃の記憶では,食事は麦飯と芋やかぼちゃの煮物と漬物であった.魚がちゃぶ台に乗るようになったのは昭和三十年代後半であり,豚の細切れ肉の登場はもう少しあとのことである.
(続く)

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