甘藷と馬鈴薯 (五)
鬼面山を越えた向こう側にある「米のかわりになる草」を手に入れるにはどうしたらいいのか.
村人が相談していると通りかかった老人が「凧を使えばよい」と教えた.
村人が名を訊ねると,老人は伊賀名張の住人百地三太夫(*) であると名乗った.
(*) 現在の通説では,百地三太夫は伊賀流忍術の祖とされる百地丹波 (1512年 - 1581年) の孫である.この物語が1562年のことというのであるからして,時代考証としてその老人は百地三太夫ではあり得ず,百地丹波でなければならない.しかし白土三平が『はごろも』を描いた頃は百地三太夫=百地丹波というのが一般的な認識だったようだ.
そこで村人たちは大きな凧を作り,これに乗って鬼面山の頂上に飛ばすのだが,乱気流のせいで失敗する.
そこにまた百地三太夫が現れる.伊賀に行ってまた戻ってきたというのだが,そこで村人が「ここから伊賀は七、八十里のとこだ」と言う.今の感覚でいうと,村は伊賀から二百キロ圏内であろう.村の南側が山脈であるから,物語は飛騨地方のことなのかも知れない.
百地は新たな策を村人たちに授けるのだが,その策を実行するには,若く勇気のある娘を三年間修業させねばならぬと言う.
すると,村に孤児で吹雪という名の娘がいて,この娘が「あたいがやる」と申し出た.
その後のストーリィはネタバレなので略するが,色々あったのちに吹雪は鬼面山の向こうの地方から「米のかわりになる草」を持ち帰る.すなわち甘藷であった.
(続く)
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