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2015年9月22日 (火)

人類の友 (三)

(前稿末尾再掲)
これと反対に,叱られるとシュンとしてうなだれる.もしかすると,この時犬の目には涙がいつもより多く分泌され,つまり「泣く」ことがあるのではないか.そういう疑問を持ったのである.

 ここで私が「犬は泣くことがあるのではないか」と書いたのは,犬に悲しみの感情があることを前提にしている.
 しかし「そんな馬鹿なことはない」とするのが一般常識というものである.仮に私の飼い犬のトイプードルが,私に叱られて目に涙をためたとしても,それが「悲しい」からだと思うのは荒唐無稽の擬人化だと言うだろう.それは私は百も承知だ.

 動物好きの人は『ソロモンの指輪』(コンラート・ローレンツ著,日高敏隆訳;早川書房,ハヤカワ文庫NF ) を若い時に読んだことだろう.
 ローレンツは動物の擬人化を嫌ったが,動物と人間に共通する行動があることは認めていた.そしてその行動は,私たちの中にある動物的な部分,ローレンツの言い方では「前人間的」なものだと言っている.
 とすると,もし犬が目に涙をためることがあるとすれば,「悲しくて泣く」ことは私たちの中に動物的なものとして残っているものであって,逆に言うと犬にも悲しみの感情があるという仮説を立ててもよいことになりはしないだろうか.
 さあ動物の行動に関する諸科学の研究者が,涙と悲しみについて,将来どのような研究をしてくれるのか,私が生きているうちに進展するととても嬉しい.犬好きの者は必ずや「犬だって悲しいことはある」と確信していると思うのだが.

 さて私の他にも,犬にも悲しみの感情はあると信じていた人が,漫画家が,いた.白土三平である.
 白土三平という人は野生動物の物語が好きで,シートンの原作に基づいて『シートン動物記 (1~2巻)』(小学館文庫) を描き,第四回講談社児童まんが賞を受賞している.
 この『シートン動物記』の著者あとがきには
私は野生動物の物語が好きだ。それは、ひたすら己れの生きかたを生きることによって滅び、滅びることによってのみ己れの存在を主張するものの挽歌であり、その供犠を見つめる人間の心の詩(うた) でもある。
と書かれている.

 この《滅びることによってのみ己れの存在を主張するものの挽歌》を描いた彼の動物漫画最高傑作が『風魔』(白土三平選集16,秋田書店) である.
(続く)

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