甘藷と馬鈴薯 (三)
前稿で《このようなダイナミックな日本農業の変化を鑑みれば,『カムイ伝』における《百姓=農民=悲惨な生活という図式》は,一体いつの時代のどこの話だということになる》と書いたが,しかし時代小説でも漫画でも,時代背景をどのように設定するかは基本的に作者の自由である.史実と異なるとリアリティが希薄になるが,それとて「時代伝奇小説」「時代SF小説」などという枠組みを設定すればなんでもありなのだ.
それが創作というものなのだから,昭和四十年代の学生たちが勝手に白土漫画から「史観」を読み取り,その「史観」を政治的に批判弾劾するなんてのは,お門違いもいいところなのであった.
ついでに言うと,漫画の深読みが好きなその種の学生 (私も含めて) が当時どれくらい間抜けな阿呆であったか,今も思い出せば悔恨で胸を掻きむしりたいほどだ.その間抜け漫画世代の中でも,私が言ったわけではないが,あの声明文に「われわれは明日のジョーである」と書いた野郎こそ極北の間抜けであった.
連中の阿呆ぶりを Wikipedia【よど号ハイジャック事件】から引用する.
《身辺に捜査が及ぶことを恐れた田宮高麿をリーダーとする実行予定グループは、急遽3月27日に計画を実行に移すことを決定。しかし飛行機に乗り慣れていなかった犯人グループの一部が遅刻したために計画を変更。実行は4日後の3月31日に延期された。》
《よど号は北朝鮮に向かうべく板付空港を離陸。機長が福岡で受け取った地図は中学生用の地図帳のコピーのみで、航路の線も引かれていない大変に粗末なものだった。》
《なお犯人グループは、亡命希望先の北朝鮮の公用語である朝鮮語はおろか英語もほとんど理解できなかったため、これらのやりとりに対して疑問を呈することはなかった。》
《「…われわれは明日のジョーである」(原文ママ。正しいタイトルは『あしたのジョー』)》
どうですか.恥ずかしいでしょう.私は彼らとは無関係ながら,上に引用した彼らの体たらくが同世代者として恥ずかしい.あの頃,一度も飛行機に乗ったことがなく,地理が不得意で,英語が全く理解できなかった私は,あの時代をなかったことにしたい.それくらいに思っているのに,彼らはそうではなかった.飛行機に乗り慣れず英語もできないない奴がなぜハイジャック実行を思いついたのか.頭が軽い.軽すぎる.
うう.彼らと一面識もない私がこれほど恥ずかしく思っているのに,ドタバタ喜劇のように北朝鮮に行った小西隆裕,魚本公博,若林盛亮,赤木志郎の鉄面皮四人組は,今度は日本政府に無罪帰国を求めているという.たとえ木の葉が沈み石が流れようと,無罪のはずがないではないか.なめとるのか.彼らの無駄に年老いた人生が軽い.軽過ぎる.そういうのは帰ってこなくていいですから.
閑話休題.
物語の設定にかなり無理があるのに『カムイ伝』のようには非難されない白土作品の一つに『はごろも』がある.
(続く)
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