甘藷と馬鈴薯 (二)
漫画作品が大人の鑑賞に耐え得るものとして人々に認識されたのは,昭和三十九年 (1939年) に『月刊漫画ガロ』で連載が始まった白土三平『カムイ伝』が端緒であった.この『カムイ伝』から始まって過去の白土作品や手塚治虫など他の作家の漫画作品が文芸評論の対象となっていったのである.
白土三平の父親はプロレタリア画家の岡本唐貴 (戦後の一時期に共産党員であった) で,白土の歴史認識 (←流行語を使ってみる ^^;) は父親の影響があるのだろう.白土自身も党員になろうとしたことがあるという.
前稿に私が書いた《百姓=農民=悲惨な生活という図式》は『カムイ伝』の基調となっている.この図式は私たち戦後世代が受けた学校教育による「百姓」観と同質のものであったが,現在の私たちの目から見ると,いささか単純すぎるのではないかという気がする. 白土三平は漫画家であって歴史家ではなく,どこまで資料にあたって作品を描いたかはかなり疑問であると考える.
これに対して,オリジナリティについて学問的な批判はあるにせよ,網野善彦が提示した「百姓」は,貧農から富裕な商人に至る多様な生産者像であった.
また時間軸に沿って概観すれば,我が国の食糧生産力は基本的に右肩上がりであった (先の戦争の期間に極端な農業生産力減少をみたような例外はある).農業人口増加と農業技術の向上の結果である.
国土を二次元でみれば,近世以前から耕作地は北に拡大を続けてきた.これも農業人口の増加が要因としてあった.
このようなダイナミックな日本農業の変化を鑑みれば,『カムイ伝』における《百姓=農民=悲惨な生活という図式》は,一体いつの時代のどこの話だということになる.どこもかしこも常に飢饉状態にあって,農民が飢えて悲惨な境遇にあるのであれば,人口が増加し,食糧生産力が増えるはずがないからである.
(続く)
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