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2015年9月28日 (月)

甘藷と馬鈴薯 (十三)

 欧州に馬鈴薯が持ち込まれたのは十六世紀後半らしい.スペイン人が新大陸から本国にもたらしたものと言われ,やがて欧州各地に伝播したとされるが明確でない.

 鑑賞植物ではなく明確な食糧,つまり「芋」として位置づけられて馬鈴薯が栽培されるようになったのは,ヨーロッパにおける覇権を確立しようとするハプスブルク家と,それに対抗する勢力間の国際戦争として1618年から1648年にわたって戦われた三十年戦争の時代とされる.

 三十年戦争後,国土荒廃したプロイセン王国のブランデンブルク地方は寒冷で痩せた土地が多く,そのためしばしば食糧難に悩まされた.しかしこのような土地でも栽培可能な馬鈴薯を,フリードリヒ二世が勅命をもって普及させたという.

 ドイツなどに比較するとフランスで馬鈴薯が普及したのはかなり遅れた.
 欧州というところは戦争ばかりしていたのであるが,七年戦争でプロイセン軍の捕虜となった農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエは,捕虜の時に馬鈴薯に接した.パルマンティエがパリに戻った十八世紀後半,フランスでは法律で馬鈴薯の栽培が禁止されるなど強い偏見が支配的だったが,彼は精力的に馬鈴薯の普及に取り組んだ.
 ここで馬鈴薯栽培史に一輪の紅いバラが登場する.
(続く)

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