瑞獣かはたまた妖怪か (三)
さて生き物としての九尾の狐は三浦介と上総介の連合討伐軍に敗れて息絶えたが,玉藻前の霊魂は激しい執念によって那須ヶ原の石に憑りつき,近寄る者すべてを殺すほどの毒を放散する殺生石となった.
死してなお魂魄この世に留まりて殺生してやまぬ玉藻前の執念とは何か.
西洋中世ファンタジーから特撮戦隊モノに至るまで,「悪」と「正義」が戦う形の伝奇物語に共通するのは,「悪」側の目的意識が判然としないことである.
「悪」は一応,世界支配の野望を持っているとか漠然と設定されるのであるが,世界支配したあとどうすんの?と訊ねられたら彼は言葉に窮するだろう.そして「正義」は,「悪」を倒すことしか考えていない.「悪」を倒したらもうやることがない.こういうお伽噺が大人の鑑賞に堪えない所以である.ファンタジーの金字塔『指輪物語』もその批判を免れ得ない.
古くから本朝に伝えられた玉藻前伝説においても,猛毒殺生石に凝集した玉藻の執念がいかなる故のものか分明でない.
これでは単なるお伽噺であるが,そこに NHK人形劇『玉藻前』 は新解釈を加えたのであった.人形劇ではあるが,この作品は子供番組ではなかったと資料にある.(ただし私が観たのは,1961年に放送されたリメイク版を子供時間帯に再放送したものであるらしい)
このNHK人形劇『玉藻前』は岡本綺堂原作とされていたと思うが,私の記憶ではかなり原作と異なっている.
どう違うかというと,妖狐が朝廷に仇なすどころか,玉藻前は鳥羽上皇を愛してしまうのである.上皇もまた玉藻を熱愛した.
しかるにそこに登場した陰陽師安倍泰親が「玉藻前の正体は妖狐である」として呪術を行い,玉藻を宮中から追放してしまう.
そして上皇は安倍泰親の言を容れて玉藻前討伐の命を発する.
こうして玉藻は心から愛した鳥羽上皇と引き裂かれたのみならず,その上皇に討たれるべき身の上となってしまった.
女としてこれほど悲しく口惜しいことがあろうか.
こうして玉藻は憎悪に燃え上がったのである.
いいでしょ.女の愛と,裏切られた故の悲しみと憎しみ.
これなら立派に近代的な物語である.といっても当時の私は中学生だったわけだが.
余談だが,近代的なファンタジーでは,「悪」あるいは「妖怪」は美しい女性として造形されることが多いように思う.原作のコミカライズに際して水玉蛍之丞がキャラ造形した『まおゆう魔王勇者』もその一つだろうか.
NHK人形劇『玉藻前』はリメイク版の映像が残っているそうである.もしかすると鳥羽上皇を愛してしまう玉藻前というのは私の記憶違いかも知れない (人間が記憶を修正してしまうのは各位ご承知のとおり) から,再々放送されたらいいなあと思うが,デジタルリメイクしないと画質が放送には耐えられないかも.
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