瑞獣かはたまた妖怪か (二)
「(続く)」と書いて四ヶ月も経ってしまったので,そのあと何を書くつもりだったのか,すっかり忘れてしまった.う~む.(困惑)
で,三浦義明と上総広常の八万の大軍勢が攻め立てたものだから,さしもの大妖怪も最後の時を迎えるのだが,あちこちの資料を矛盾なく統合して記述するのが面倒くさいので Wikipedia【玉藻前】から引用してしまう.
《そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた。
だが九尾の狐はその直後、巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪った。そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れたといわれている。南北朝時代、会津・元現寺を開いた玄翁和尚が、殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝わる。》
このように書いてあるが,玉藻前伝説の初期の形と思われる能「殺生石」では,毒石と化した玉藻前の霊魂は玄翁和尚によって仏道に導かれ,もう悪事はいたしませんと誓って静かに消え去る.それでこそ高僧玄翁和尚の法力であるわけだ.
これが一番納得できる結末なのであるが,それでは面白くないからだろう,おそらく江戸期に《破壊された殺生石は各地へと飛散した》という具合に話が変形する.
その《各地》がどこかというと Wikipedia【殺生石】には
《その後、至徳2年 (1385年) に玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。
玄翁によって砕かれた殺生石が飛来したと伝えられる地は多くある。一般に美作国高田 (現岡山県真庭市勝山)、越後国高田 (現新潟県上越市)、安芸国高田 (現広島県安芸高田市)、または、豊後国高田 (現大分県豊後高田市) と言われている》
と書かれているのだが,まず第一になぜ「高田」という名の土地に飛んで行ったのかが不明である.
次に上の四ヶ所の「高田」に本当に殺生石があるのかが不明.そしてあろうことか,玄翁和尚は最初に砕け散った三つの破片をさらに細かく砕き,それが全国に飛び散ったという尾鰭がついた話もあるのである.
伝説の原型では玉藻前の霊魂は玄翁和尚によって成仏し,殺生石はめでたく解毒できたのであるが,後でできた話では毒石が全国に拡散してしまったことになる.こうなってはもうお話に結末がなく収拾不能だ.だめじゃん玄翁.
(続く)
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