太宰治の辞書 水仙 前橋
北村薫は昭和二十四年 (1949年12月28日) 生まれで,私と同世代である.関川夏央も同年の生まれ (1949年11月25日) である.ほぼ一ヶ月の間に新潟県で関川夏央が,次いで埼玉県で北村薫が生まれたわけだ.
埼玉と新潟に挟まれた群馬県が私の育った故郷ということもあって,私は私と同時代を生きてきたこの二人の作家の大ファンである.
半年前に出版された北村薫『太宰治の辞書』には,小説新潮に掲載された「花火」「女生徒」の二作と,書下ろしの「太宰治の辞書」が収められている.
『太宰治の辞書』は,ミステリィ読者に「日常の謎」ジャンルを初めて提示した「空飛ぶ馬」に始まる「円紫さんと私シリーズ」の最新作であるが,謎が解決されるという意味でのミステリィではない.「私」シリーズの形をとって北村薫の太宰治観が語られている作品である.
ところが私は太宰治の良い読者ではなく,北村の太宰観については特に書くべきものを持たないので,作品の本筋と離れたところの感想を二つ.
「太宰治の辞書」の中ほどに
《水仙――といえば、うちを建てた冬、目隠しに植えた高い夏椿の木の脇に、水仙が咲きだした。小さな白と、少し大きな黄色の花が、寒々としたフェンス際を飾ってくれた。
――植えてもいないのに。
と、嬉しかった。
うちの子が、
――誰かが植えていったんじゃない?
と、素敵なことを言った。入れた土に種があったのだろう。
――太宰治の辞書という種から、何か花は咲くだろうか。》
という箇所がある.
私は園芸には全く素人で,水仙は球根を植えるものとばかり思い込んでいたので,「入れた土に種があったのだろう」にびっくりした.
あわてて調べてみると,普通は球根で株を増やすが,植えてから開花までに時間はかかるけれど種から花を咲かせても別段の支障があるわけではなく,というかむしろ,異なる園芸種を色々と交配させ,種を採取して園芸を楽しんでいる人のブログなどもみつかり,私の無知に恥じ入った.
上の引用箇所に続く「太宰治の辞書」の結末に近いところで,主人公の「私」は前橋にある群馬県立図書館を訪れ,ここで彼女の書物探索の旅は終わることになるのだが,「私」は敷島公園,大渡橋,新前橋駅,前橋市内を流れる広瀬川など萩原朔太郎の詩にゆかりの各所を巡る.
このあたり,前橋で生まれ育った私には大変懐かしい思いがしたのだが,しかしどうも北村薫は広瀬川を過剰に美化して書いているのではあるまいかとの印象も持った.
それでネットにあたってみると,北村がことさらに広瀬川をヨイショしているのではなかった.この川が前橋市内を流れる流域 (といっても水路のようなもの) はきれいに整備されて,私の少年時代とはかなり様子が違っていたのである.
広瀬川の画像をご覧頂きたい.
往時茫々.昭和三十年代の広瀬川は変哲もない用水路のような雰囲気だったような気がするのだが,今の前橋がこんな川の流れる地方都市なら,「私」の歩いたあとを私も散策してみたい.自分の故郷だけれど観光するのだ.(笑)
ちょうど今年は年末に,身罷って久しい父の供養がある.広瀬川の流れに沿ったあたりには洒落たレストランやバーもあるらしいから,法事のあとに姉弟と出かけてみようか.
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