(tak さんのコメントに対する返信の続き)
他人を責めるのは好きだが自分には大甘な人間というのは嫌われ者です.
全国紙の新聞がこれと同じで,御存じのように新聞は他紙の不祥事を好んで報道します.
例えば読売新聞関係者の暴力沙汰を朝日新聞が報道すると,朝日新聞関係者の盗撮事件なんてのを読売新聞が伝えて報復したりします.
一般市民にとってはどうでもいいそんな事件を,各紙ニュースサイトのトップページに置いたりして,まことに見苦しい限りであります.
だがしかし,両紙がお互いに触れない相手の恥部があります.それが拡張団の存在です.我が国におけるタブーの一つであるといっていいでしょう.
私は学生時代から現在までに十数回の転居をしましたが,そのたびに読売と朝日の購読勧誘員の訪問を受けました.そして何度か読売の拡張団員に,玄関先で大声を出されたりドアを蹴られるなどの脅しを受ける目にあいました.
毎日と日経の勧誘員がきたことはありません.日経は各戸訪問して部数拡張する必要がない新聞だからであろうし,毎日新聞はそういう部数拡張競争をやってこなかったから現在のような状態になったといえます.
従って部数拡張競争,つまり拡張団の問題は読売と朝日の問題といえます.
ネット上には朝日新聞拡張団員による暴力的勧誘に関する記事もありますが,私の体験に基づく印象では,暴力団構成員は読売拡張団に多いのではないかと思います.
なぜ暴力団構成員が読売拡張団に多いのか.実は読売拡張団の問題の前に,読売新聞社そのものと闇社会との関係に注目しなければなりません.
Wikipedia に詳しく記述されているように,読売と組織暴力との関係は,読売中興の祖と呼ばれる正力松太郎社長の時代に始まります.
Wikipedia【正力松太郎】に以下のようにあります.
《東京帝国大学法科大学卒で内務省に入り、警視庁警務部長になったが、虎の門事件の警備責任から引責辞職した。
翌年、経営難で不振の読売新聞を買い受けて社長に就任し、新聞界に転じた。以後、政財界に影響力を拡大。1940年(昭和15年)の開戦時は大政翼賛会総務であったためにA級戦犯の第三次戦犯指名となり、逮捕されたが、起訴はされず、巣鴨プリズン収容者の1人となった。このためしばらく公職追放処分を受けた。
戦後は、MLB選手を日本に招聘して日米野球を興行するなど野球界で尽力したが、一方で長期にわたる中央情報局(CIA)への協力(非公式の工作活動)をおこなっていたことが、アメリカで保管されている公文書により判明している。》
また Wikipedia【読売新聞】には次のように書かれています.
《社務を統括する総務局長に警視庁特高課長の小林光政、販売部長には警視庁捜査係長の武藤哲哉、のちの読売巨人軍代表の品川主計など、警視庁人脈を中枢に入れて社内の労務支配をおこない》
《後の法務大臣、秦野章の証言によれば、
販売にも警視庁の刑事あがりを使ったというんだな。あの当時は、“オイコラ警察”の時代だから、刑事あがりにスゴまれりゃ、新聞をとらざるをえない。そうやって片っぱしから拡張していったんだって、正力さんは自慢そうによく言っていたな。》
《競馬の予想記事や漫画欄を作ったりして、庶民向きの読みやすい紙面作りを進めたが、その推進役は編集局長になった柴田勝衛である。…この柴田が正力社長の下で起死回生を狙ったのが、日本各地に縄張りを持って君臨していた、素性の知れたヤクザの親分衆36人を選んだ企画であり、『人物の森』風の人物評伝に仕立てて連載すると、それが評判になり売り上げを大いに伸ばした。
連載が終わった年の正月のことである。紋付きハカマに正装した36人の親分衆が市電を止めて数寄屋橋の大通りに並び、読売新聞社の正面玄関に向かい土下座して一斉に頭を下げると、「柴田編集長にご挨拶したいので、読んで頂きたい」と申し入れた。…柴田は悠然と正面玄関に現れたのであり、その前にひれ伏した親分衆の代表が、「われわれのような日陰者を、こんな晴れがましい紙面で世間様に紹介くださり、光栄の至りに思う次第であります。このご恩は孫子末代まで忘れることはせず、…、われらの血筋が続く限り読売新聞の進展に死力を尽くすことを、ここで一同で誓約いたします」と言って、粛然と引き上げていったそうである。》
《田辺則雄発行名儀人(昭和27年頃)の話によると、読売新聞の社会部は大躍進を遂げ、親分衆の協力による物凄い特ダネ続きとなり、下町衆の支持を受け売り上げを伸ばした。…社会部長の田辺則雄も、読売の名物男で、戸籍にバツ印(×)が11も付いており、幾ら日本の新聞界に人材がキラ星でも、前科11犯はそうザラにある話ではない。…親分衆から一目を置かれる存在だったという。こんな伝統があることが大きく影響して、朝日を始め他社は暗黒街の取材が仲々出来ないのに、読売の社会部だけはスクープを記録し続け、新聞界では未だに一頭突出するのだそうだ》
このようにして警察出身者によって作られた読売新聞社と闇社会の関係は,関東のローカル新聞に過ぎなかった読売新聞が全国紙化するにあたって大きな戦力となりました.
(もっと続く)
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