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2015年4月 2日 (木)

女子プロレス リングネーム秘話

 突然ですが,女子プロレスのこと.

 私が大学を卒業して就職した会社 (業界再編の中で吸収合併されて消滅) は食品会社であったが,この会社には非食品部門があって,大学では植物成分の有機化学を柱とする講座の出身だった私は,その非食品を扱う部門に配属された.
 この部門というか部署というかは,有体にいえば全くの傍流であって,普段から役員の人たちと顔をあわせる機会は少なく,当時の社長とは入社面接のときに会っただけであった.
 だからその社長の人物像については全く知らないのであるが,聞いた話では女子プロレス観戦を趣味にしているとのことであった.

 昭和四十年代後半の女子プロレス団体は,昭和三十年に発足した日本女子プロレス (日女) を離脱した赤木まり子やジャンボ宮本らが結成した全日本女子プロレス (全女) のみであった.
 この当時の女子プロレスは,定期的なテレビ中継放送があるわけでもなく,その興行はいささかマニアックなものであり,観客層は暗い顔つきの中年男たちと相場がきまっていたという .
 実は私は当時の女子プロレス事情を全然知らないのだが,学生時代に親しかった友人が卒業してスポーツ夕刊紙に就職したので彼から伝聞したプロレス界の話と,あとはネットにある資料を調べながらこれを書いている.
 冒頭に書いた女子プロレスファンだという社長は,大株主の銀行から送り込まれた六十歳近い小男であったが,そのお堅い銀行マン的な風貌と,趣味の女子プロレス観戦の関係が一体どうなっているのだろうかと,当時の私は思ったものだ.

 さてそのようにマイナーな女子プロレスの世界に颯爽と登場したのがマッハ文朱であった.
 マッハ文朱はもともとは歌手志望であったが,昭和四十九年,十五歳の時に一転して全日本女子プロレスに入門した.彼女には明るいスター性があり,いわば日陰のプロスポーツであった女子プロレスを彼女が日のあたるところに引っ張りだしたのであった.
 マッハ文朱のあとに,女子プロレス界が生んだ次のスターが,言わずと知れたビューティペア (ジャッキー佐藤とマキ上田) だ.
 ビューティペアは1976年2月に結成され,WWWA世界タッグ王座戦で赤城マリ子とマッハ文朱ペアに勝利してタイトルを獲得した.
 彼女らは,それまでの選手と一線を画する容姿で多くのファンを獲得し,試合会場を女子生徒で満杯にし,中年男たちをファン層から駆逐してしまった.
 ビューティペアが試合開始前にリング上で歌う『かけめぐる青春』はレコード八十万枚を売り上げたという.
 そしてその次が元祖ビジュアル系女子プロレスラーとして大きな役割を果たしたミミ萩原.彼女はデビュー戦以降,連戦連敗を続け,八十七連敗という未踏の連敗記録をうち立てた.1984年引退.
 その二年後の1986年,盛り上がる女子プロレス人気のもとにジャパン女子プロレスが設立された.

 さて,ここまでが話の前置きで,プロレスでいえば前座試合だ.
 前置きの最後にジャパン女子プロレス (ジャパン女子) を取り上げたが,Wikipedia【ジャパン女子プロレス】に,次のように書かれている.

ジャパン女子は全女のクラッシュギャルズ人気を引き金とする女子プロレスブームを背景に、「プロレス版『おニャン子クラブ』」を当初のコンセプトとして設立された。そのため、旗揚げ時には芸能事務所「ボンド」が関わり、おニャン子クラブをプロデュースした秋元康がアドバイサーとして関与していた。
元全女のジャッキー佐藤、ナンシー久美とシュートボクシングの風間ルミ、柔道の神取忍を四天王とし、1期生としてアイドル系の尾崎魔弓、キューティー鈴木、悪役(ヒール)のイーグル沢井などを輩出した。

 他種格闘技から転向したアイドル系レスラー風間ルミについて私は知識を持たないが,さすがに人気者であったジャパン女子一期生の尾崎魔弓キューティー鈴木は知っている.
 その尾崎魔弓とキューティー鈴木のリングネームと,秋元康のことが本稿の趣旨である.

 読売新聞 (Yomiuri Onlie 2014/11/25) のインタビュー記事によれば尾崎が,秋元康が最初に彼女につけたリングネーム「尾崎魔弓」は本名を一字変えただけだから嫌だ,かっこいいのが欲しいと言ったら,秋元は次に単なる「魔弓」を提示したという.
 読売の記事から引用すると
そうしたら、新しく考えてくれたのが「魔弓」で、尾崎をとっただけなんですよ。キューティーなんて、最初は「アップル鈴木」だったのを、「嫌だ」と言ったら、考え直してくれているのに、私の場合は、上をとっただけですからね。扱いが全然違うじゃないかって。
とある.

 へえ~おもしろい話だなあとこれを記憶していたら,四ヶ月後のつい先日,同じ読売新聞 (Yomiuri Onlie 2015/3/31) に今度はキューティー鈴木の証言が掲載された.
 キューティー鈴木本人の言によると,秋元康は最初から彼女に「キューティー鈴木」と名付けた.ところがキューティ鈴木は,こんな甘ったるい名前ではなくもっと強そうなのにしてくれと秋元に言った.
 やはり読売の記事から引用すると
考え直してくれるというので期待していたら、次に提案されたのが、「アップル鈴木」でした。「え~」って言うと、「キウイもあるよ」と言われたので、「もう、どれでもいいです」ということで、キューティーになったのです。

 つまり尾崎魔弓は「私とキューティとでは秋元さんの扱いが全然ちがった」と言っているが,本当は二人とも秋元康に希望を無視されたのであった.
 尾崎魔弓はこれで三十年近い長年にわたる誤解がとけたわけであるからして,女子プロレス門外漢の私も嬉しく思ったことである.よかったよかった.

[追記]
 西洋のことわざに “Every family has a skeleton in the closet” というのがある.アイドルレスラーを輩出して華やかにみえる女子プロレス界にも暗黒面はあり,それが自民党の元参議院議員である神取忍だ.ご興味ある向きは,この凶暴な女とジャッキー佐藤の伝説的な暴力的「試合」の動画が YouTube に載っているのを検索されたい.神取に敗北して「心を折られた」ジャッキーは,この「試合」の翌年に引退した.そして十年余ののち,女子プロレス界をかけめぐった青春は四十一歳の若さで没した.
 余談だが,鬼嫁の愛称でタレントとしても人気のある北斗晶が,神取忍に勝利したとき「プロレスはプロレスを愛する者にしかできない! 柔道かぶれのお前に負けてたまるか! 」と叫んだという.北斗が勝ってほんとうによかったよかった.

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