風に立つライオン
尾籠な話をを開陳してまことにお恥ずかしいのであるが,私は頻尿気味になって久しい.
友人たちも皆おなじで,たまに会って酒を飲んでいると,頻繁に誰かしらがトイレに立つ.
仲間の中では私はまだ長いこと我慢できるほうなのだが,それでもビールという飲料の威力は大したもので,一時間はもたない.
話は一転して映画のことなんだけれど,洋画ではやたらに二時間を超える長尺物が多くて,だから,こういう作品を観るのは私にはもう無理なんだと思う.
加えてこのところの腰痛だ.
イスに腰掛けているときはいいのだが,長時間同じ姿勢でいると,そのあとが痛みに苦しむことになる.
こんなことを書いたのは,いま三池崇史監督の映画『風に立つライオン』(原作;さだまさし,主演;大沢たかお) が上映されているからだ.
観にいきたいなあ,と思うのだけれど,無理なのが私の現状だ.
しかし,捨てる神あればなんとやら,いい時代になったもので,映画は上映終了後,しばらく待てばディスクに収められて発売される.それを待つことにしよう.
『風に立つライオン』は さだまさし の若いときの作品で,他のたくさんの曲と同じく物語性の高い歌だ.
だが,この歌の背景にあるものがどんな物語なのかがわからず,長いこと知りたいと思ってきた.
ところが,ひょんなことから,映画『風に立つライオン』の製作開始前,企画が持ち上がった頃に さだ 自身が語ったものを見つけたので,ここにアップしておきたい.
風に立つライオン (1)
風に立つライオン (2)
風に立つライオン (3)
風に立つライオン (4)
風に立つライオン (5)
歌『風に立つライオン』は,さだ が若いとき (二十歳の時だそうだ) に知り合った長崎大学熱帯医学研究所の柴田紘一郎氏のエピソードに着想を得たものの,長い間そのままになっていたのを,ようやく1987年に一曲にしてリリースされたのだという.
その後,さだ は多くの医療従事者と知り合うこととなり,その人々のエピソードも映画『風に立つライオン』に盛り込まれている.さだ の歌作りは,無名の人たちとのめぐり会いが原動力のようだ.
さだ の歌を嫌う人もいるが,私は素直に,さだまさし はよい歌の作り手であり,優れた歌い手であると思う.
私の青春時代の短い一時期,西日本とりわけ関西に,フォークソングと呼ばれたジャンルの歌が生まれて,それは直接的にあるいは間接的に社会へのメッセージを歌うことを特徴としていた.さだ の歌の物語性はフォークソングの直系子孫だ.(残念なことにフォークソングはすぐに,男女の愛だとか恋だとかばかりを歌う商業性の強いポップスによって駆逐されてしまったのだが)
上に示した YouTube のトークの中で,さだ は漆塗り職人のことを話している.
この国で連綿と伝えられてきた技術が,後継者がいないということで絶えようとしている.その理由は,その伝統技術ではもはや食っていくことができないからだ.
それを さだ は,歌『風に立つライオン』と同じ言葉を引いて,《僕たちの国は残念だけれど何か大切な処で道を間違えたようですね》と言う.残念だけれど私もそう思う.
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