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2015年1月 5日 (月)

楓や蔦は

 高野辰之作詞,岡野貞一作曲の『紅葉』は懐かしい唱歌だ.
 これは今でも,歌の名を『もみじ』に変えて小学校で教えているらしい.

 昨年末に『発言小町』に立てられたトピで,子供の学校の先生が『もみじ』の歌詞中「楓や蔦は」の「は」を「ha」と発音するように教えているのだが,これは間違いで「wa」ではないだろうか,という相談があった.
 その先生の無教養ぶりは高等教育を受けているとは思えないほどだが,このトピについているレス (すなわち『発言小町』編集者がトピに反映させるに値するとして選択したレス) にも驚き呆れる.

 まずハンドルネーム「蓄」という人の珍説を紹介する.
「蓄」氏は「童謡や唱歌で,昔と現代で歌詞が部分的に違っていたり,濁点を濁らずに歌ったりするが,これは方言の一種だろうか」として,その例に「春の小川はサラサラ (ブログ筆者註;正しくは〈さらさら〉である) 流る…」「たれか故郷を…」を挙げている.
 唱歌『春の小川』にはいくつかの歌詞があり,「春の小川はさらさら流る…」と歌うのは1912年に尋常小学校の教科書に載ったもの.戦時中に改変されて国民学校教科書では「春の小川はさらさら行くよ」となった.「蓄」氏は「流る」は「行くよ」の方言だというのだが,もう何と言っていいのかわからない.
 例の二つ目,歌詞に「たれか故郷を」とある唱歌童謡なんかあるのだろうか.私は「誰か故郷を想はざる」なら知っている.西條八十作詞,古賀政男作曲,霧島昇が歌う戦時歌謡である.もちろん学校では教えない.この歌で「誰」を「たれ」と読むのは方言なんかではありえないが,この人は高校でちゃんと授業を受けたのであろうか.
「さらさら流る」版の『春の小川』や戦時歌謡を知っていたりして,どうも「蓄」氏は年齢不詳である.

 次に「みんなのなかへ」氏が,岩波文庫『日本唱歌集』と講談社文庫『日本の唱歌』を挙げて,この本に書いてある歌詞が正しい歌詞だと主張している.
 無論そんなわけはない.
『日本唱歌集』も『日本の唱歌』も,歴史的かなづかいで書かれた歌詞を作詞者の了解なく勝手に現代かなづかいに変えてしまっているのであるが,元々が歴史的かなづかいで書かれた詩歌を現代かなづかいに書き直すと,不都合が生じることがある.
 例えば島崎藤村の『小諸なる古城のほとり』から一節を引く.(ブログというものの都合上,敢えて以下の引用中の漢字は現代日本語の漢字を用いる)

  千曲川いざよふ波の  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて  草枕しばし慰む

 この部分の「いざよふ波」を,声に出して読むときに「イザヨオ」と発音するのは高校の知識である.
 また例えば,戦時歌謡『愛国の花』の一節「地に咲き匂ふ国の花」を歌うときは,「匂う」なら「ニオウ」だが,歌詞が「匂ふ」なのだから「ニオオ」と発音せねばならない.それが証拠に渡辺はま子も島倉千代子も皆「ニオオ」と歌っている.

 こういうことを『日本唱歌集』も『日本の唱歌』も無視しているわけで,つまりこの二冊に書かれている唱歌の歌詞は,作詞者の意図を無視しているのである.従って正しい歌詞であるわけがない.
 このような「みんなのなかへ」氏の如き人が出てこないようにするには,出版物においては,現代かなづかいに書き換えた歌詞に添えて元の歌詞を参考として併記するしかないと思うのである.

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