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2014年12月 4日 (木)

たとえ出自は卑しくとも,か

 朝の連続ドラマ『マッサン』の影響で国産ウイスキー市場が好調なんだそうである.
 朝日新聞 (朝日新聞DIGITAL 10/1 7:22) によると,朝日新聞の取材に対してサントリー酒類社長の小泉敦氏は《サントリー創業者の鳥井信治郎氏は飲みやすい味を、竹鶴氏は本格的なくさみを追求した》と述べている.
 鳥井信治郎が追及した《飲みやすい味》とはなんだったのか.長いが,Wikipedia《トリスウイスキー》から以下に引用する.

寿屋の創業者である鳥井信治郎は、1907年(明治40年)に赤玉ポートワインを発売し、同社の土台を築くと共に、海外からさらなる洋酒を国内に広めるべくヒントを得ようとしていた中で、ある時海外からウイスキーとは名ばかりの模造アルコールに近い商品を手にする。当然これでは売り物にならないため、葡萄酒用の樽に寝かせておいた。
数年後、この液体は琥珀色に熟成し、鳥井はそれがウイスキーであることを確信した(ただし、現在の基準ではウイスキーとは認められないものである)。その後、この液体を「トリス」と名付けて売り出したところ、あっという間に売れた。これを機に、鳥井は国産初のウイスキー製造に乗り出す決意を固め、1923年(大正12年)、京都と大阪の境、山崎に蒸留所の竣工に踏み切ることになる。
》 (下線はブログ筆者による)

 このように鳥井信治郎は,最初から模造ウイスキーを作る気満々で事業を始めたのである.Wikipedia《トリスウイスキー》は《数年後、この液体は琥珀色に熟成し》などとヨイショしているが,琥珀色に熟成したのならなぜ更にカラメルで着色し,模造日本酒と同じ手法を用いて化学調味料で味付けしたのか.(*註)
 トリスウイスキーがウイスキーではなく只の着色アルコールであったことは,実際にあれを飲んだ経験のある私たち年寄りは皆が知っていることだ.あれは本当に酷い酒だった.あれが《琥珀色に熟成し》たものだというなら,そう書いたやつは自分で飲んでみろと言いたい.一度飲めば,頼まれても二度と飲みたくないこと請け合いだ.
 この Wikipedia《トリスウイスキー》を書いたのが誰かは知らぬが,鳥井は《それがウイスキーであることを確信した》のではなく,「それが模造ウイスキーであることを確信した」が実際であったと想像に難くない.普通の常識では,そんなものがウイスキーであろうはずがないからである.

 このサントリーの模造魂は長く保持され,現在の大事業の礎を築いた.
『マッサン』のモデル,竹鶴政孝は山崎蒸留所を作ったあと,(小泉サントリー酒類社長が言うところの《飲みやすい味》の) 模造ウイスキー作りを追求する鳥井と袂を分かって余市に移り,山崎蒸留所は模造ウイスキーを作り続けた.
 ところがのちに竹鶴政孝もサントリーに対抗する営業上の理由から模造ウイスキー作りに手を染めたのである.なんのこっちゃだ.国産ウイスキー作りにかけた志はどこに行ったのだ.ここら辺はドラマは描かないだろうが.

 その恥ずべき歴史の山崎蒸留所の名を冠した「山崎シングルモルト・シェリーカスク2013」が,イギリスのウイスキーガイドブック World Whisky Bible 2015 で世界最高のウイスキーだとされた.
 なるほど.過去は問わないというのも一つの見識ではある.私はいやだが.

 もう一つ.
 サントリーもニッカも,『マッサン』を機会に,角瓶やハイニッカなどの復刻版を販売するという.今更模造ウイスキーを販売できるわけもないから,復刻版というのは嘘であろう.

(*註) 余談だが,私の大学時代の恩師は戦時中に学生であったが,所属する研究室が軍から代用燃料の研究を委託され,それで研究室には資金と試薬が供給されたと伺った.試薬の中にはエチルアルコールがあり,ダルマ試薬瓶と呼ばれた大きな容器に入れて無造作に廊下に置かれていたという.
 我が恩師は市中の模造ウイスキーを分析した結果に基づいて,そのエチルアルコールにカラメルとグルタミン酸ナトリウムを加え,代用ウイスキー (模造ウイスキーのことを当時はそう呼んでいた) を製造して飲んだと私たちに語った.あれはトリスと同じ味がしたとも.

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