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2014年11月 1日 (土)

揚げパン (二)

 Wikipedia【コッペパン】に揚げパンに関する記述《揚げパン - パンを油であげてきな粉や砂糖などをまぶしたもの。学校給食にパンが登場したばかりのころは、まだ一般市民にパン食の習慣がなかったため、子どもたちにパンを残さず食べてもらう工夫として登場した》があり,それが大嘘であるという話の続き.

 次に揚げパンが給食に登場した時期について述べる.
 まず同じく Wikipedia の Wikipedia【揚げパン】を見てみよう.こう書かれている.

栄養的にはカロリーが非常に高い食品であり、元々は戦後児童らの栄養状態を安価に引き上げるため、大田区立嶺町小学校で最初に開発された料理で、一定以上の年代、地域育ちの人にとってはミルメークなどと並んで懐かしいメニューである。現在でも児童には人気のあるメニューだが、そのカロリーが逆にネックとなり献立に入る頻度は少なくなっている。

 上の引用部に《一定以上の年代、地域育ちの人にとってはミルメークなどと並んで懐かしいメニューである》とあるが,その《一定以上の年代》の人たちがどの世代なのかここには書かれていない.(それを書くと,この【揚げパン】の記述がでたらめであることが明らかになってしまうからなのであるが)

 実はミルメーク (コーヒー牛乳の素) は,大島製薬所 (現在は大島食品工業) が昭和四十二年 (1967年) に開発して発売したものである.この頃になると学校給食から脱脂粉乳は姿を消して牛乳に切り替わっていたのだが,その牛乳を残す子供がいたため,栃木県の学校給食会が大島製薬所に開発を依頼したものであった.
 すなわち,給食の揚げパンとミルメークは昭和四十年代に小学校時代を過ごした人たちの「懐かしのメニュー」なのである.

 しかるに Wikipedia【揚げパン】の執筆者は,《元々は戦後児童らの栄養状態を安価に引き上げるため》に開発されたと述べている.自分が何を書いているか理解できぬ阿呆としかいいようがない.
 昭和四十年代は,小学校の給食から脱脂粉乳が消え,我が国においては欠食児童という言葉が死語となり,児童の栄養失調も解消し,そして学校給食の目的が児童の栄養改善および福祉から,教育的側面の重視に移行した時代である.
 その昭和四十年代に《戦後児童らの栄養状態を安価に引き上げる》ために揚げパンが作られたとは全くもって意味不明である.もうそんな必要はなくなっていたのだ.この執筆者は「戦後」の意味するところをわかっていないのである.

(想像するに,Wikipedia【コッペパン】の項に揚げパンの説明を挿入したのは,この Wikipedia【揚げパン】の執筆者であろう)

(続く)

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