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2014年11月 2日 (日)

揚げパン (三)

 揚げパンが給食のメニューとして登場した時期について,Wikipedia【揚げパン】は資料も示さずに勝手なことを書いているが,実はそのことを記した出版物を容易に入手できるのである.
 『なつかしの給食』(アスペクト編集部編,1997年第一版第一刷) がそれで,巻頭エッセイ『脱脂粉乳のアフタヌーン』の中で泉麻人が,揚げパンが,泉の母校である新宿区立小学校の給食に登場したのは昭和四十年だと書いている.泉麻人は自分のことは日記を基に書いているので間違いないところであろう.

 これに対してWikipedia【コッペパン】の中の揚げパンに関する記述は,揚げパンが給食に出るようになったのは学校給食が始まった昭和二十年代だとしているが,泉麻人の証言と二十年も (笑) 食い違っているし,昭和二十年代だとする根拠の文献を示していない.

 Wikipedia【揚げパン】に至っては,昭和四十年代を《児童らの栄養状態を安価に引き上げる》必要があった「戦後」だと思っているようで,これはもう話にならぬ.
 さらに言えば,【揚げパン】は記述の根拠となる文献資料を一つも挙げておらず,そもそも Wikipedia の項目の体裁すら整えていない.またそのことを指摘する者もいない.全くの独自研究としかいいようがない Wikipedia【揚げパン】は削除すべき項目といえよう.

 Wikipedia は,専門家ではない者たちが寄ってたかって素人知識に基づいて編集しても,いずれは正しい記述にたどり着くはずだという楽観的考えによって成り立っている.
 しかし,そのような項目もあるだろうが,そうでないことも多々ある.
 自然科学分野の項目は専門家が編集に参加することが多いので致命的な誤りはそう多くはないが,人文科学のうちの歴史分野,といっては大げさに過ぎるが,日本の戦後の生活に関する項目はだめだ.まだ当事者が存命しているのに,証言も文献も示さない勝手な記述がまかり通っているのが現状である.
 「いずれは正しい記述に」というが,やがて生き証人は亡くなり,一次資料は雲散し,Wikipedia は又聞きと孫引きで構成されたものになっていくのであろう.
 最初は真っ当な記述のなされていた項目が,無知あるいは悪質な執筆者による編集の結果,今では嘘八百に成り下がってしまったのを私は幾つも見てきた.それより酷い,最初から嘘八百である Wikipedia【コッペパン】の中の一部の記述と,Wikipedia【揚げパン】の内容を信用する人のいないことを祈る.

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