屋台のDNA (六)
前稿の『世界の立食い蕎麦』は冗談だが,「純蕎麦屋」と「立食い蕎麦屋」の対比は割と真面目に思いついた概念である.ヾ(--;)思いつきかよ.
私の思いつきに基づく「純蕎麦屋」,つまり長寿庵や大村庵とか増田屋といった屋号の大衆的な蕎麦屋は,古いものでは江戸期の創業で,それが暖簾分けで増えていったものであるが,「立食い蕎麦屋」は別の起源を持つ.その起源とは駅弁だ.
駅弁の元祖については諸説あるが,全国に旅客鉄道網が敷設されると,長距離旅客のニーズに応えて各地に弁当調製業者が発生した.鉄道事業が工部省や内務省,逓信省などの現業であった十九世紀後半 (明治時代前半) に早くも駅弁調製業者は営業を始めている.
これらの業者がいつ頃から駅構内で蕎麦屋を始めたかについては寡聞にして文献を承知していないが,駅弁の誕生よりずっ遅く,都市部のターミナル駅においてであるとして,Wikipedia【駅そば】は次のように記述している.
《都市近郊からの電車通勤が拡大した高度成長期から、大都市ターミナル駅で駅そばが増え始めた。1960年代中頃の品川駅、荻窪駅、新宿駅がこのタイプの最初期と見られている。》
Wikipedia【駅そば】は《最初期》と書いているが,JR通勤客にはおなじみの常盤軒が品川駅で蕎麦屋を開業したのは昭和三十九年であり,前に述べた駅蕎麦のパイオニア,大船軒の立食い蕎麦に遅れること七年であった.
さて駅蕎麦の営業形態的な特徴は何かというと,厨房がないことである(註*).自家製あるいは仕入れの茹で蕎麦と蕎麦つゆを階段裏やプラットホームの店舗に持ち込んで開業している.
どういうわけか昔は,麺が茹で蕎麦なのに,天ぷら (かき揚げ) をホームの小さなブース内で揚げていたところがかなりあった.差別化ということだろうか.今でも小田原駅の在来線ホームの蕎麦屋は天ぷらを揚げている (ただし蕎麦うどんは冷凍麺).なくなってしまったが,以前は新橋駅の銀座口改札を入ると立食い蕎麦があって,ここも天ぷらを揚げていた.
(註*) 余談だが,JRがエキナカ事業を始めるはるか前に,コンコースで厨房のある歴とした食堂を営む例があった.東北地方あるいは新潟や北関東から上野駅に上京してくる集団就職の少年たちを題材にした井沢八郎『あゝ上野駅』(作詞関口義明,作曲荒井英一) は昭和三十九年の大ヒット曲であるが,当時の上野駅には,薄暗い通路に,一軒の蕎麦屋があったのである.
この店は立食いではなく普通の蕎麦屋であったから,集団就職者だけでなく,何やら思案げな旅客が一人ビールを飲んでいたりした.わずかな金を財布に入れた家出青少年もいたであろう.この蕎麦屋と『あゝ上野駅』を記憶している団塊世代は多いだろう.
(続く)
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