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2014年10月15日 (水)

屋台のDNA (四)

 私の友人で「うどんは食い物だが,蕎麦は哲学である」と言う男がいる.蕎麦屋も客の蕎麦食いも,やたらに薀蓄を垂れることを皮肉ったものである.

 もう何年も前のことであるが,自分で蕎麦を打つ趣味がはやったことがある.誰が仕掛けたことか知らぬが,会社一筋で生きてきたために何の趣味もない (主として団塊世代の) 男たちが一斉に蕎麦打ちに走った.
 蕎麦打ち道具一式と蕎麦粉がワンセットで通販されたが,もとより趣味というものは形から入るのが常道であるからして,かっぱ橋まで出かけて道具を吟味購入した者も多かった.

 道具だけではない,作務衣もよく売れた.蕎麦打ちブームが去った今 (註*) でも作務衣を着ている団塊爺さんは多い.こういう爺に会ったらさりげなく蕎麦の話題を振るといい.打ちたてがどうの,茹でたてがこうのと貯め込んだ薀蓄を垂れはじめるであろう.(こういう爺については残間里江子『それでいいのか 蕎麦打ち男』(新潮社) がある)

 この種の面倒くさい人物が蕎麦屋を始めると厄介なことになる.『注文の多い料理店』の山猫軒ではないが,いちいち客に注文をつけるのだ.
 品書きには蒸籠蕎麦しかなく,天ぷら蕎麦も鴨南蛮もない.仕方なく蒸籠を注文すると,蕎麦猪口に水を入れてもってくる.そして「蕎麦というものは香りが命ですから,まず水で味わってください」などとぬかす.

 何を言うか.あるかなきかの蕎麦の香りを楽しみたいのなら,蕎麦粉をなめるのが一番に決まっておる.むせるけど.

 その一方で,蕎麦なんてものは救荒作物であり,蕎麦切りは小腹がすいたときの食い物だから腹に入ればそれでいいのだという漢らしい (若者ぶってみました) 立場もあるわけで,それが立食い蕎麦である.

(註*) ブームが一過性に終わったのは,週末になると必ず蕎麦を食わせられる家族に疎まれ,結局自分で作って自分一人でさみしく食うしかなくなったからであるといわれる.

(続く)

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