« 東海道立食蕎麦 | トップページ | 屋台のDNA (二) »

2014年10月12日 (日)

屋台のDNA (一)

 私が大学に入学して上京してきたのは昭和四十三年である.
 このときは,今はもうない中野刑務所の近くに学生寮があり,そこに住むことにした.
 西武新宿線の沼袋駅がすぐ近くにあったが,群馬の田舎からのぽっと出で,かつ貧しい私は,中野駅北口まで歩くことにした.
 その途中の商店街に「梅もと」の立食い蕎麦店があった.調べると「梅もと」が立食い蕎麦の出店を開始したのは昭和四十年だというから,「梅もと中野店」はできて間もない頃だったようだ.
 当時から東京のあちこちに立食い蕎麦屋はあったけれど,それらは店舗名があるかどうかもわからぬスタンドアローンであり,屋号を掲げて多店舗展開しようとしていたのは「梅もと」くらいではなかったかと思う.

 さて上京してすぐのこと,「梅もと」に入って蕎麦を食べた私は大層びっくりした.蕎麦つゆがまっ黒で丼の底が見えなかったからである.
 しかもベラボーに甘辛い.

 昔の上州の家庭で作る蕎麦つゆ,うどんつゆは,麦茶とかウーロン茶くらいの色であり,かつ味醂は隠し味程度にしか使わないものだったから,「梅もと」のうどんのように甘辛い汁に染まって,白いうどんが茶色になってしまうのは驚天動地であった.

 もう昔のことだが,死んだ中島らもが,東京にどうやっても勝てない大阪の人間の最後の拠り所はうどんである (うどんしかない) と書いていた.あんな真っ黒い汁のうどん食えるかいなありゃ人間の食いもんとちゃう (涙目),というわけだが,立食い蕎麦屋の汁については私は全く同意する.濃口醤油を使うのだから黒くてもいいが,あのしつこい甘さだけは何とかならぬかと思う.立食い蕎麦屋のカウンターの表面を指先で触ってみるがよろしい.ぺたぺたするはずだ.そのぺたぺたは糖分である.東京のあんな甘いうどん汁は人間の食い物じゃないだんべ (涙目).
(群馬南部では「だんべに」というかも)

 ところで,Wikipedia【立ち食いそば・うどん店】に次のようにある.
簡便な食事場所としての立ち食い蕎麦の起源は、江戸時代の江戸の屋台である。

 そして東京の立食い蕎麦屋の稲荷鮨もベラボーに甘辛い.甘辛の蕎麦つゆと甘辛の稲荷鮨が同根のものであることが,一口食べれば容易に知れる.
 江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』に,稲荷鮨は屋台の食い物であり《 (尾張) の名古屋等、従来これあり》とある.天保年間に尾張から江戸に伝わったものらしい.
 だとすると,東京の立食い蕎麦の味のルーツはどこだ.尾張か,三河か,はたまた遠州,駿河か.
 興味ある向きは,各県別に調味料,特に味醂と砂糖の消費量を調べてみられたし.静岡愛知が全国有数の濃厚味付け地帯であることを知るだろう.

(続く)

|

« 東海道立食蕎麦 | トップページ | 屋台のDNA (二) »

食品の話題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 屋台のDNA (一):

« 東海道立食蕎麦 | トップページ | 屋台のDNA (二) »