屋台のDNA (三)
大船軒の創業者は富岡周蔵という人で,文久二年 (1862年) の生まれ.残念ながら Wikipedia に人物像の記載がなく没年不明.
大船軒は戦時中に社屋を海軍に接収されて営業を停止したが,そのときに会社の資料が失われたという.そのため,まとめられた社史がないのかも知れないが,同社のウェブサイトには簡単な記述がある.
これによると大船駅の「サンドウイッチ」と「鯵の押寿し」は富岡周蔵の事業だが,昭和三十二年に始められた駅蕎麦事業はどうも継子扱いで,詳細が不明である.
そもそも Wikipedia【立ち食いそば・うどん店】は《簡単に食事をすませたい場合などに多く利用されているファーストフード店の一種でもある。簡便な食事場所としての立ち食い蕎麦の起源は、江戸時代の江戸の屋台である》としているが,江戸期に屋台の蕎麦屋があったことは確実として,しかし明治・大正期,昭和戦前期に立食い蕎麦屋があったかどうかは資料がないのではないか.
店を構えて商いをしていた,例えば長寿庵系や増田屋系などの蕎麦屋はその歴史をたどれるようだが,超零細の立食い蕎麦屋が先の戦争を乗り切ったとはとても思えない.江戸期の移動屋台に始まって固定屋台化した立食い蕎麦を,戦前戦中の空白期を経て事業として再興したのは大船軒ではないかと私は推測している.
その大船軒の立食い蕎麦が営業開始した昭和三十二年は,日本の高度経済成長が立ち上がってわずか三年,首都圏に集まった大量の勤め人の腹を満たすファストフードのニーズが,この辺りから発生したものとみられる.
奇しくも吉野家が株式会社として設立されたのは昭和三十三年,チェーン展開を開始したのは設立から遅れること十年の昭和四十三年であった.
梅もとが店舗展開を始めたのは先に述べたように昭和四十年,中野駅北口の立食い蕎麦「かさい」の創業は昭和四十八年のことであった.
ちなみに日本マクドナルドが一号店を銀座三越店内に開店したのは昭和四十六年,日本KFCが名古屋で事業をスタートしたのは昭和四十五年である.
(続く)
| 固定リンク
「食品の話題」カテゴリの記事
- 食品のブランドは製法とは無縁のものか /工事中(2022.06.30)
- 崎陽軒の方針(2022.05.06)
- 青唐がらし味噌(2022.03.27)
- 成城石井のピスタチオスプレッドは(2022.02.17)
- インチキ蕎麦 /工事中(2022.02.06)
コメント