揚げパン (一)
「縫い物」(10/26)と「バターがない」(10/28) にコッペパンの話を書く際に,Wikipedia【コッペパン】を覗いてみた.
すると Wikipedia【コッペパン】に [コッペパンの応用例] として次の記述があった.
《揚げパン - パンを油であげてきな粉や砂糖などをまぶしたもの。学校給食にパンが登場したばかりのころは、まだ一般市民にパン食の習慣がなかったため、子どもたちにパンを残さず食べてもらう工夫として登場した。》
戦前の学校給食は,ごく一部の小学校で試みられた程度のものであり,学校給食といえば戦後の1950年頃から全国の小学校で,海外からの食糧援助物資を基に始められたものをいう.全国給食は開始当初からパン食であった.
上の Wikipedia の記述は,だから学校給食開始の頃を指していることになる.
だがはたして《学校給食にパンが登場したばかりのころは、まだ一般市民にパン食の習慣がなかった》のか.
結論からいうと,これは嘘である.昨日の記事「不思議だ」に書いたウイスキー会社の,かつての代表的高級酒に関する Wikipedia の記述が歴史を曲げる大嘘であるように,この【コッペパン】中の揚げパンに関する記述も大嘘である.
私の生まれ育った家は一般庶民というか,あからさまにいうと貧乏人であったが,私は既に幼稚園の頃から,時々は食パンのトーストを食べていた記憶がある.
話は横道に逸れるが,貧乏人の家に電気トースター (雲母板にニクロム線を巻き,これを食パンに近接させてパンを焼く方法の電化製品) なんかあるわけもなく,オーブントースターの登場はもっと時代があとであり,ではどのようにしてパンをトーストするかというと,七輪に炭火をおこして魚焼きの網で焼くのである.炭火焼きトーストだ.いかにもうまそうだが,実際にうまい.アウトドアのBBQ道具を持っているかたはやってみられるとよい.
この Wikipedia の記述をした者は,戦前から海軍がパン食を奨励したこともあってパン食はかなり普及 (木村屋總本店があんパンを発売して大好評を得たのは1874年のことだ) していて,戦時中には,運よく小麦粉を手に入れた人たちの自作になるパン焼き道具があったほどなのを知らぬようだ.
これは戦時中の食生活を記した随筆によく登場する道具だが,こねたパン生地を二枚の板状電極にはさみ,これに電灯線を接続してショートさせ,その発熱でパンを焼こうという極めて乱暴な装置である.乱暴ではあるが実用になったらしく,私は昔,両国にある江戸東京博物館の常設展示室東京ゾーンで見たような記憶がある.今でも探せばどこかで実物を見ることができるのではないか.
閑話休題.
戦時中に生まれて戦後に就学した世代や戦後生まれの世代にとって,パンは初めて口にする珍奇な外国の食品であったわけではない.コッペパンをわざわざ油で揚げてもらわぬでも,そのままでジャムやマーガリンをつけて違和感なく食えたはずである.
それに第一,学校給食が開始された頃,動物脂は無論のこと植物油も高価な食材であった.「油一升米一升」と言われたくらいで,戦争前後,食用油一升と米一升が同じ闇価格であったのだ.どうしてそんな貴重な食用油を,敗戦の痛手から立ち直らんとし,欠食児童を栄養失調から救うために始められた昭和二十年代の学校給食に使えようか.
こんなことは調べるまでもない.少し考えてからものを書けば間違わずに済むのである.
(ちなみに国内の植物油製造業が復興し,安価な植物油が庶民の食卓に出回ったのは高度経済成長期である.当時の代表的食用植物油すなわち大豆油の大量生産技術が確立したのは昭和四十年代であった.)
(続く)
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