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2014年9月21日 (日)

ノートについて

 私が定年まで勤めていた会社の先輩で,常務取締役だった人が,役員を辞めて完全にリタイアしたとき何をしたかというと,衣類の整理だそうだ.
 収入はかなりあったろうから,地位にふさわしい質と量の衣服を持っていたであろう.それをとにかくどんどん捨てたのだそうである.
 私はそんなに高級なスーツやネクタイの類は持ち合わせていないので,そのような断捨離は必要ないのであるが,それでも仕事の匂いのするものはあって,一つはダイアリー類だ.

 これまではバイブルサイズのシステム手帳を使用していたのだが,これを捨てようと思った.いかにも仕事用のアイテムだから.

 それで代わりにこれから使えそうなものがあるかと文房具入れの箱をひっかき回したら,未使用のノート類がたくさん出てきた.
 その中で,どうにも私には縁がなかったノートに,5mm方眼罫のものがある.
 たぶんこれはフローチャートとか,製品寸法図とか,まあそういったものを書き入れるためのノートで,文章を書くためのものではない.
 手書きの字というものは,一字一字の大きさが異なる.例えば漢字は大きく書くが平仮名は小さめにすると見た目がよい.また平仮名でも「ほ」は四角いが「し」は縦長だ.こういうことがあるので,字間を揃えて無理に5mm方眼罫に書き入れようとした場合,どうしても丸文字っぽくなってしまう.
 こいつはよい用途がみつかるまで箱にしまったままになるだろう.
 代替品としてはPCソフトの VISIO を持っているので,手書きノートは捨てるべきかも知れないが,ちょっともったいない.

 ダイアリー類は,月間・週間とかホリゾンタルタイプにバーチカルタイプに色々なものがあるが,老後の爺さんにどんな種類のものが適しているのか,まだよくわからない.
 先の予定よりも今その場のことを書き込めるものがよいだろうとは想像される.
 例えばだ.途中下車しながらプチ旅行の場合.
 ぶらぶら歩いていたら小さな寺があって,中に入ると境内に歌碑があったとする.
 ここで iPhone6 を取り出して写す御仁もいらっしゃるだろうが,それは私の柄ではない.
 私はメモ用紙とか手帳に歌を手書きする種類の人間なのである.
 あるいは散歩の途中で昔風の喫茶店に入って,歩いた道筋を忘れないうちに書きとめるのには,紙に書くしかないだろう.タブレットは荷物になるから散歩に持ち歩きたくない.ポメラも持っているが,ポメラでは地図が描けない.
 やはり紙がいい.
 色々考慮すると,左ページに週間のダイアリーで,右側が横罫線のものがいいように思われるが,もう少し考えてみようと思う.
 世の中には俳句手帳とか盆栽手帳とか特殊化したものがあると聞くが,そこまではいかないだろうなあ.

 あ,ノートと言えば,私には使用しないが捨てることもできないノートがある.

2notebooks

 左側の薄いB5版ノートは昔々,娘に買ってあげたものだ.彼女はこのノートを使わずに大事にしていたが,独り立ちして家を出て行ったとき,書架に置いていった.
 それは二年も前のことだが,今でもこのノートを手に取ると,万感こみ上げるものがある.
 右のはCDを買ったら特典としてついてきたもの.ファンとしてこれを捨てるには忍びないが,さりとて人前で使うのは,はばかられる.どうしたらいいのだ.
(ちなみに私のカメラ,ニコンの P-330 は,こげぱんを顔認識せず,どんなアングルでも薬師丸ひろ子さんにピントを合わせた.カメラも犬と同じく主に似るというから,こいつも薬師丸さんのファンなのであろう.そんなことはいいませんか.そうですか.
 それから,嫁いだ娘のいる爺さまたちに申し上げたい.思い出の品を手に取るときは,イルカの『時の子守歌』をかけて静かに聴いて頂きたい.涙滂沱であります)

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