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2014年8月 5日 (火)

フラガールの風景

 昨日,関川夏央『昭和時代回想』を再読.

 まえがきにあたる「溶明する民主主義」で関川は次のように書いている.
父は母と結婚すると古い小さな家を買った。それを少し離れた自分の小さな土地に、コロを何本も差し込んで引いてきた。おかげで家はさらに古びた。納屋同然の家で台所もなかったから父が自分で台所を建て増した。裏手にゴミを埋めるための穴を深々と掘り、行水用のかこいをつくった。月に一枚ずつ畳を買った。私はその四枚めか五枚めで生まれた。

 いま五十歳以下の人たちは,これを読んでも関川が何をいっているのか理解できないかもしれない.昭和二十年代の低所得下層庶民の一般的な住宅は,現在のように土地上に設置された土台に固定されておらず,柱の下端は漬物石のような石の上に載っていた.また完全木造で,トタン屋根の家屋も多く,また瓦ぶきであっても瓦をはずせばコロで移動できるくらいに軽かったのである.
 ところが経済成長期に日本の住宅事情は急速に向上した.上水道が整備され,上に引用した関川家のような住宅は昭和三十年代には都市部では見られなくなった.

 関川と同学年である私が生まれたのは昭和二十年代の公務員宿舎 (当時は官舎といっていた) で,まさに関川家のような安普請の,しかも長屋であった.
 これがどんな家屋かというと,実物は山間の廃村にでもいかないと見られないだろうが,映画には出てくる.
 時代劇では撮影用のセットだからリアリティがないが,炭住つまり炭鉱周辺に作られた炭鉱労働者用の住宅はまだ実際に残っていて,映画『フラガール』のロケに使われた.
『フラガール』のオープニングから十五分あたりで,東京からやってきた平山まどか先生が二日酔いで目覚め,寝かされていた家の玄関を開けて外に出るシーンがある.
 そこに映っているのが炭住であるが,昭和二十年代の官舎や関川家の住宅は似たり寄ったりであっただろう.

 映画『フラガール』に描かれた時代は昭和四十年 (常磐ハワイアンセンター開業は昭和四十一年) だが,石炭産業が既に久しく斜陽であったために炭住は古びる一方であり,一般世間では少なくなっていた工法の木造家屋が依然として住居として使われていた.経済成長に置き去りにされた炭住一帯は,当時の一般世間からみると十年前の風景であり,昭和二十~三十年代の雰囲気がするのだが,これが実に平成の現在も残っているというから驚く.ロケに使われたあたりに一度出かけてみたいものだが,行くならついでにスパリゾートハワイアンズでフラガールの皆さんのダンスを見ないわけにはいかない.そんなことを思いつつ『フラガール』を再鑑賞し,挿入曲『虹を』を音源をとっかえひっかえして何度も聴いたりしたものだから,『昭和時代回想』を読むのに一日かかってしまった.

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