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2014年8月25日 (月)

死語「マル」

 先日 (8/22),平松洋子さんの週刊文春連載コラム『この味』について少し書いた.そのコラムの「朝顔とドライカレー」と題した文章中で,新刊の岡崎武志『貧乏は幸せのはじまり』(ちくま文庫) が紹介されている.これは著名な人々の貧乏話を集めたものだ.さっそく読んでみた.
 感想はいずれ書くが,一番最初のほうに稲垣足穂のことが書かれていて,その p.50 に次のような記述がある.

飯塚酒場のことを富永はこう書く。
「ゴッタ煮とドブロク、焼酎の旨かったこと。マルのある時は日本酒かビール。そこには吹きだまりの人生と高貴とがシンホニーを奏していた」
「マル」とはひとケタ多い金額のことか。最底辺の生活を送りながら、足穂との思い出を書くとき、富永の筆は生き生きとし、人生を満喫しているように見えてくるのだ。

「マル」というのは死語だが,「お金」の隠語である.岡崎武志は「マル」を知らなかったとみえて《「マル」とはひとケタ多い金額のことか》と意味を推測しているが,違う.「マル」には別に「多い」という意味はなく,単にお金を隠語で「マル」と昔は呼んだのだが,しかしどちらかというと,「マル」は学生や労働者が日常持っている程度のお金をいうのであり,むしろ多額の現金になると「マル」とはいわなかった.当たり前だが,それはもう隠語を使うようなものではないからである.
 私の世代はもう「マル」という言葉を使わなかったが,焼跡闇市派の作家の書いたものに時折見かけることがある.マルは漢字で書けば「円」だと,これは確か阿佐田哲也の書いたものにあった.
 従って上の引用箇所を書き直せば「お金のある時は日本酒かビール」ということ.

 岡崎武志という人は私より七歳下の人.もう五十七歳だから若くはない.だから「マル」の意味を知らないのは不思議である.プロの物書きに面と向かってそんなことを指摘する人もなかろうから書いておく.

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