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2014年9月 1日 (月)

猫だって思い出は

 関川夏央『やむを得ず早起き2 夏目さんちの黒いネコ』のあとがきにこうある.
 
人間も、年齢を重ねると「期待」の次元から気づかぬうちに遠ざかっている。「期待」すること「考える」こと自体が面倒なのだ。
 すると理屈の上では「回想」の部分がおのずと増すことになるが、いまさら反省しても、という思いが拭えないし、郷愁も手にとってよくよく眺めれば意外に頼りなく、はかないものだと知る。そうして「回想」もまた彼方へ去る。

 
 関川は,猫は先行きに「期待」しないし,過去を反省せず郷愁も感じない,つまり「回想」と縁がないともあとがきに書いていて,つまり《人間も、年齢を重ねると》猫化するのだという.
 そのことをこの本の帯は《それじゃネコとおなじじゃないか》と惹句にしている.
 
 そうはいうものの,この週刊ポスト連載コラム『やむを得ず早起き』には,郷愁はともかく,回想はよく登場する.
 例えば『2 夏目さんちの黒いネコ』の p.63-67『安田南と西岡恭蔵の「プカプカ」』を読むと,安田南のことが書かれている.
 
 西岡恭蔵は昭和二十三年生まれ.有名なシンガーだったが,私と同世代のみんなが知っているわけではないように思われる.ざっといって,三人に一人はライブなり録音で歌を聴いたことがあり,もう一人は西岡恭蔵の名前だけ知っていて,あとの一人は「西岡恭蔵って誰?」だと思う.
 だから西岡恭蔵の『プカプカ』に歌われた「あン娘」のモデルが安田南だというのも,知る人ぞ知る,のことだが,関川は昭和四十九年の暮れに,安田南に会ったことがあると回想している.
 安田南をめぐって,この節には他に片岡義男や原田芳雄のことも書かれていて,これはもう全然《そうして「回想」もまた彼方へ去》っていない.(笑)
 ところで,関川が言うように本当に猫は《郷愁も感じない》のだろうか.
 ハルノ宵子『それでも猫は出かけていく』の p.172-173 に,腎不全で死んだトッポという猫のエピソードが記されている.これを読むと,猫も立派に思い出を懐かしむのだと,私には思われる.

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