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2014年7月 6日 (日)

小梶記者のヨイショ映画批評

 町山智浩『知ってても偉くないU.S.A語録』(文藝春秋刊) のp.174にこうある.
《(米国の) このにっちもさっちもいかない状況で、3人以上の子どもを余裕で育てられるのは、超リッチなピープルだけ。アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの夫婦が養子も含めて6人の子どもたちを連れて歩いているのは、どんな宝石や自家用ジェットよりも豪勢なリッチの証明なのだ。

 読売新聞の映画評欄で東京本社文化部次長の小梶勝男という男が,アンジェリーナ・ジョリーの最新作『マレフィセント』を取り上げて,こんなことを書いている.(YOMIURI ONLINE 7/4 8:00)
CGによる色鮮やかで幻想的な風景や、妖精が空を飛ぶ場面の高揚感など、様々な見どころはあるが、全体の印象は「ジョリーの映画」に尽きる。傷ついて邪悪になった妖精が、母性愛という真実の愛に目覚める物語自体が、若い頃は破滅的だったが、慈善活動に目覚め、孤児を養子に迎えた彼女の人生と重なっている。

 はて面妖な.
 女優の実人生と,出演作品中の役柄とに何か関係があるわけ?
彼女の人生と重なっている》というが,小梶記者が無理やり重ねているだけだ.
 これが映画でなく,私小説作家とその作品の場合は,乖離が激しいと批判を免れないが,映画なら話が違う.俳優は演じているだけだから.
 例えばチャールトン・ヘストンは,私たち日本人の感覚からすると,無辜の人命よりも個人の銃武装を優先するとんでもない極悪団体である全米ライフル協会の会長であったが,だからといって彼が出演した数々の名作を否定するやつはいない.
 同様に,悪役俳優が実際に悪人だと思う阿呆もいない.
 映画の作品評に俳優の実人生のことを持ち込まないのはお約束以前のことだと思うが,小梶という能天気な記者はそんなことも知らぬらしい.

 話を最初に戻すと,孤児を養子にすることは慈善というより,病んだ米国における金持ちのステイタスの証なのだと町山智浩は書いているのだが,納得だ.アンジェリーナ・ジョリーの場合だが,これを慈善というには養子の数が少なすぎだ.そうは思わないかね,小梶記者.

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