昔の写真を見て泣いた
なんでも「活動」にしてしまう世の中なので,死ぬに際しての諸々の準備を終活という.
Wikipedia【終活】によれば,「自身のための葬儀や墓などの準備」「残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくこと」が終活の例として挙げられている.
遺産相続の準備が必要な人というのは日本国民の極ごく一握りであるから,遺産のことはいま一般的にいわれている「終活」の範疇に入るのかどうか疑わしい.実際にはもっと細々としたことが大切であり,例えば自分の死亡を知らせる友人知人の範囲を住所録にして残しておくことや,通帳や銀行印の隠し場所のこととか,あるいはクレジットカードの解約手続き,自家用車の処分関係のこと,プロバイダ解約など,ほっておくとややこしいことになることがたくさんある.
もし葬儀を行うのであれば,自分の遺影の準備もしておいたほうがいい.ま,遺影がなくても葬式に支障はないが.
そこで最近の自分の写真をテキトーに遺影用にみつくろってみた.
それはすぐに済んだのだが,作業途中で,未整理の写真,特にデジカメ以前の時代のアルバムをどうしようと思った.
故人の写真なんぞ死んでしまえばただのゴミであるが,分厚いしっかりとしたアルバムに整理されていたりすると,遺族にとってはなかなかゴミ箱にポイと捨てにくいものである.さりとて棺に入れて燃やそうとすると,一枚二枚ならともかくアルバムでは火葬場の係員に文句をいわれる可能性大.
となるとやはりここは昔の写真はデジタライズしてディスクに焼いておくのがよさそうだ.それなら棺に入れて焼いても大丈夫だ.
で,昔の私の写真を見ていると,とても今の私と同一人物とは思えぬ.
下の画像はその一例で,三十年前の私.米国で開催された学会に出張した折に,会場となったリゾートホテルの庭で撮った写真.長髪の青年であった私に感無量である.これを劣化というのであろう.うう.
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