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2014年7月 3日 (木)

ペコロスの母に会いに行く

 このブログ記事「病中閑あり (二)」(6/15) に,waiwai さんから《『ペコロス・・・』はシリーズ化してたんですね。前に『ペコロスの母に会いに行く』という漫画が原作の映画を観たことがあります。母の最期のころの姿とさまざま重なり、泣きました。ひとりで観に行ってよかった。(^^;》というコメントを頂いた.(7/1)

 これに対して《入院するまでは週刊朝日の読者ではなかったものですから,『ペコロスの…』原作も映画も知りませんでした》と書いたのだが,下線部分はこのコメントを読んだ読者をミスリードするものであったので,『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社刊) の「あとがき」などを基に,以下に訂正する.

 月刊タウン誌の編集長であった岡野雄一は,「父が亡くなった年に始まった母のボケ」(作者自身の表現) を題材にして,『たんぽぽ通信』(有限会社長崎健康企画)『長崎市中通り商店街ホームページ』『ナイトながさき』『季刊 樂』(イースワークス発行)『なんでんcafe ペコロスの唄地図』(長崎ケーブルメディア)『漫画評論誌 ビランジ』などに漫画作品を描き始めたが,それらをまとめて『ペコロスの玉手箱』と『ペコロスの母に会いに行く』を自費出版した.
 この自費出版本が詩人の伊藤比呂美の目にとまり,岡野の作品が世に紹介されたのであるが,その後『ペコロスの玉手箱』『ペコロスの母に会いに行く』の中からの作者自選とアレンジを加えて,西日本新聞社版の『ペコロスの母に会いに行く』が発刊(2012年7月)されたのが今に至る経緯である.

 これを原作にした映画作品については Wikipedia に記載がある.
 また『…玉手箱』『…母に会いに行く』の続編『ペコロスの母の玉手箱』は,週刊朝日を掲載誌として2013年6月7日増大号から連載が開始された.この連載開始の一年後に,岡野雄一という詩人と呼んでもいい漫画家の存在を,病床で手にした週刊朝日によって私は知ったのであった.

 さて全くの余談だが,開胸手術というのは思いのほかに体力知力を低下させるもので,退院したとはいえ術後二週間余では,息がきれて上の記事を書くのが精一杯である.はあはあ.

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