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2014年7月

2014年7月30日 (水)

リリーの箸使い

 テレビを見ていると,食い物番組に芸能界の人が出演して何かものを食う場面が多い.
 とても美しく上品な女優さんの箸の持ち方がおかしいと,いても立ってもいられない.スタジオに駆けつけて,その白魚のような指に私の手を添えて「こうですよ」と教えて差し上げたいと思う.男の俳優の場合は,手を添えたくないので捨て置く.
 テレビに出た際に箸使いについて視聴者から指摘を受け,これを恥じてそれ以来,その種の番組に出演しなくなった高齢の美人女優さんがおられる.そりゃそうだ.ものを食うのはごくプライベートなことであるからして,そもそも美しい人はそんな下司番組に出演すべきでない.

 とはいうものの,女優さんはテレビになんぞ出なければいいのだが,本職の映画ではそうはいかない.
 昨日『寅次郎忘れな草』を再鑑賞していて,浅丘ルリ子さんの箸使いがだめなことを知った.初見のときは私はまだ若く,浅丘さんの顔ばかり見ていたから気が付かなかった.
 それで「あらら」といったんは残念に思ったのだが,すぐにこれは細かい役作りの一つであることに思い至った.
 だってリリーは,あまり人に語りたくない育ちをして苦労した流れ者のクラブ歌手だからして,たとえ正しい箸使いをできなくても無理からぬことだ.さすがに浅丘ルリ子さんと山田監督だ.芸が細かい.文句あるか.ありません.よしよし.

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2014年7月29日 (火)

雑多感想 (7/29)

(一)
 水田に散布されるカメムシ防除用農薬がミツバチに毒性を示すことが問題になっている.
 先日の記事「かわいそうなミツバチ」(7/21) に書いたように,東北大学大学院農学研究科では,ある種のカメムシがイネを加害するメカニズムを解明し,もって斑点米を減らそうという研究をしているという.
 ところが昨日の読売新聞の記事 (Yomiuri Online 7/28 16:53) によると,農業・食品産業技術総合研究機構 (農研機構) の畜産草地研究所 (茨城県つくば市) の木村澄主任研究員は《ミツバチが水田に近づかないようにする技術開発を進めたい》(同記事から引用) と語った.
 東北大学大学院の研究姿勢は,カメムシが水田に近寄らないようにすればカメムシ防除用農薬の使用を減らせるし,その結果としてミツバチの大量死も避けられるというもの.
 これに対して畜産草地研究所の考えは,ミツバチが水田に近寄らないようにすればカメムシ防除用農薬をこれまでどおり大量に使用できるということ.
 米を食う私たちにとって,どっちがありがたい研究かは言うまでもない.木村澄主任研究員という人は,言うまでもないことを言われないとわからないと見える.

(二)
 ひょんなことからコミックエッセイ『犬が教えてくれたこと』(三浦健太原作,アスコム) を読んだ.
 オビに《柴田理恵さん号泣!》《読んだ人の9割が泣いた!》とある.私も泣きました.第一話「おじいさんの犬」と第八話「母の祈り」は二度読んで二度も泣きました.泣かない一割の人ってどんな人ですか.あなたですか.はい,わかりました.
 第八話で老婦が,死んだ母犬を土に埋め,塔婆がわりにした板切れに書いた「りっぱな母犬の墓」に涙腺決壊です.

(三)
 最近のPCゲームは,“SKYRIM”も“Path of Exile”も,一通りプレイするともう繰り返して遊ぶ気になれませんな.そこにいくと Windows98 時代の傑作“Diablo2 Lord of Destruction”は飽きない.ただ問題は,これが Windows8.1 では Windows7 のように軽く動作しないという点.ゲームの実行ファイルをXP互換に設定するのであるが,このXP互換の仕組みが Win8.1 と Win7 とでは少し違うのだろうか.

(四)
 乱雑を極めた私の書斎兼寝室を整理整頓している.整理はまだ終わっていないが,昨日はゴミの中から落語CD『八代目桂文楽 明烏/心眼』が出てきた.買った覚えがない.なんだかちょっと得した気分だが,これは錯覚だろうか.

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2014年7月26日 (土)

メイン機更新

 三年間使い続けてきたメイン機のPCが逝った.
 まるっきり電源スイッチが入らないという症状で,これは電源ユニットの故障かと思われた.電源を交換して更に使い続ける選択肢もあったが,毎日毎日三年間も稼働し続けてきたのでそろそろリタイアの時期かと.
 それで悪評高い Windows8.1 がどんなものかと思って,新調してみた.
 パソコンの法人需要から 8 は完全にそっぽを向かれたために,たぶん 8 の次の次期OSは 7 ライクなUIに戻ると思われるが,まあ,そこは物珍しさということで触ってみた.

 心臓手術で入院中は既に 8.1 のモバイル機種を病室に持ち込んでいたのだが,まあその使いにくいことといったら…

 新調したマシンはメインに使うものだから,他の何台かのマシンと違和感のないようにしたい.
 Windows8.1 がダメUIなのは,スタートメニューがフルスクリーンだという点に尽きる.たかだか数秒しか見ないものを全画面表示してどうするんだといいたい.UIの開発責任者が開発失敗の結果責任を問われて更迭されたのも納得のひどさである.

 そこでスタート画面を使わずに済むよう,鋭意カスタマイズした結果,下の画像が新機のデスクトップである.
 て,これ Windows98 じゃん.(笑)

Windows81desktop1_3

 メインマシンの主用途はネットブラウズだから,あまり多くのアプリケーションは入れず,取り敢えず必要なテキストエディタとオフィスと画像処理ソフトは載せるが,あとは Windows のアクセサリで済ませる.仕事などに本格的に使用するのは,Windows7 のサブ機にまかせることにする.実は Windows8.1 で動かないソフトが結構あるからである.

 デスクトップの一部を拡大すると下の画像.
 DiabloII-Lord of Destruction のアイコンが目立ちますな.(恥)

Windows81desktop2_4

 下の画像は CorelDRAW X6 のおまけスクリーンセイバーだが,Win7 では背景画面が透過するが,Win8.1 では真っ暗になってしまう.こんな感じで,色んなソフトが Win8.1 に適応するのはまだ先のことかと思われる.

Coreldraw

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2014年7月24日 (木)

無駄ヒット

 まだ定年前の会社員だったとき,同僚と沖縄に出張した.
昼間の仕事はテキトーに終わらせて,夜に国際通りのライブハウスに行った話をこのブログに書いた(2013年8月28日 (水)「江分利万作ハイビスカスの花」).

 一昨日あたりから昨日にかけて,この「江分利万作ハイビスカスの花」がやたらに閲覧される事態となり,不思議なことがあるものだと調べてみたら,札幌に「ハイビスカス江」という妙な人物がいて,この「ハイビスカス江」を検索すると「ハイビスカス」と「江」にひっかかって「江分利万作ハイビスカスの花」がヒットしてしまうのであった.(結果としては随分下位であるが)

 それにしても,検索結果に表示される抜粋をチラとでも読めば,私の書いた記事が「ハイビスカス江」氏には全く無関係であることがわかるから,さっさとスルーすればよさそうに思われるが,ご丁寧にクリックする人がたくさんおられる.検索語に「女装」と入れるだけで検索結果からノイズは除けるのに,それをしないのも不思議である.
 あー,ここに「女装」と書いたから,今度はこの記事が無駄ヒットするかも.「ハイビスカス江」氏ファンの皆様,すみませんね.

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2014年7月22日 (火)

かわいそうなミツバチ (補足訂正)

 昨日の記事「かわいそうなミツバチ」で,
私は「風選技術」の専門家ではないが,多量の粒の中に混入した着色粒を除去するのはそう大して難しいことではないはずである.食品に混入した異物を除去する技術として,かなりハイテクな機械装置が既にある.その装置は,異物を検出すると圧縮空気をノズルから吹き付けて,狙い撃ちのように吹き飛ばしてしまう.これを見ると感動すらする
と書いた.

 ところが,上記の《かなりハイテクな機械装置》は「色彩選別機」というのであるが,既に精米流通業者は,精白した米に混入しているゴミなどの異物と共に斑点米を除去するために色彩選別機を用いているという指摘を,私の知人から受けた.

 つまり技術的には,米1000粒に数粒の斑点米が入っていたところで,これは精米段階で除去されるから,農家がネオニコチノイド系農薬を使ってカメムシを駆除する必要は元々ないのであるという.これには驚いた.

 ではなぜ《斑点米がコメ1,000粒に2粒混入すると1等から2等に落等し、コメの価格は60 kg当たり600~1,000円低下する》(昨日の記事から) という,消費者利益に無関係な米の規格 (正確にいうとその中の着色粒の規格) が今も生きている (昭和四十九年に制定されたままになっている) かというと,これは精米流通業者が買い付け価格を叩いて,その分を利益にするために作られた仕組みらしい.
 農家にしてみれば,この米の規格さえなければ,無意味でコストのかかるネオニコチノイド系農薬を使用しないで済むし,使いたくない.
 消費者は色彩選別機で斑点米が除去された米を買うので,斑点米問題には無関係である.
 それなのにこの規格が廃止されないのは,斑点米が米の品質に関して重大な問題であるかのように大げさに騒ぐことで儲けている人々がいるからで,そうである以上,この規格はなくならないだろうと件の私の知人は言う.

 儲けている人々というのは,あからさまにいえば米の流通業界と農薬メーカーのことであるが,そういう人たちのために,トバッチリを受けてミツバチが死んでいく.ミツバチがかわいそうである.

【参考】 色彩選別機の例

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2014年7月21日 (月)

かわいそうなミツバチ

 東北大学大学院農学研究科・農学部のサイトに「主な研究課題」が記載されており,その課題の一つとして「植食性昆虫の寄主選択機構の解明 斑点米カメムシのイネ加害メカニズムの解明」が挙げられている.

 その冒頭から引用する.
斑点米はコメの等級落ちの主な原因で、斑点米カメムシと総称されるカメムシ類がイネの子実を吸汁することで生じる。斑点米がコメ1,000粒に2粒混入すると1等から2等に落等し、コメの価格は60 kg当たり600~1,000円低下する。このように斑点米は農家に甚大な経済的被害を与える問題となっている。

 いま家庭や外食で,カメムシの加害によって発生した斑点米を目にすることはないから,それがどんなものか知らない人が普通だが,私のような還暦過ぎの年寄りはよく知っている.
 昭和三十年代,私が小学生の頃の話だ.母親に米を研げといわれて米櫃のふたを開けると,米粒の中に黒い斑点のあるものがあり,枡で量り取る際に,目に付いた粒は取り除く.それでも取りきれないのが残るから,米を研いでいるときにまた取り除く.
 こうして炊いた白飯にもわずかに残るのだが,これを口に入れるのも嫌だという神経質な向きは,箸の先で除く.
 私の両親は農家の出だったから,私たち子どもに「そりゃ別に毒じゃないから食え」と言い,私たちも平気で食っていた.
 ま,これが昭和中頃の,いわゆる配給米を食っている庶民の食事であったわけだ.

 それがいつの間にか,斑点米は一粒たりとも許すまじということになった.
 誰が許さないかというと,もちろん消費者である.
 それで農家はカメムシを (カメムシも,だけど) 不倶戴天の敵とみなして,バンバン農薬を使うようになった.有機リン系とか.
 これは生態系なんていう言葉すら国民の頭の中になかった時代の話であるが,さすがにそれでは我が国土の先行きが案じられるとの心配がひろまった.実際に農地からカメムシどころか他の生き物の姿も消えてしまったからである.
 それで開発されたのが,カメムシに「特異的に効くとされる」いくつかの農薬だった.

 ところがこれで問題は解決しなかった.
 ネオニコチノイドと総称されるカメムシ用の農薬が,重要な農業生物であるミツバチに被害をもたらすことがわかってきたのである.
 つい一昨日も,朝日新聞DIGITAL(7/19 15:49) に《ミツバチ大量死、原因は害虫用殺虫剤 分析で成分検出》と題した記事が載った.
夏に北海道などの北日本で多発しているミツバチの大量死現象は、害虫のカメムシを駆除するため水田に散布される殺虫剤が原因の可能性が高いとする調査結果を18日、農研機構畜産草地研究所(茨城県つくば市)などの研究チームがまとめた。
死んだミツバチを分析したところ、全てからネオニコチノイド系を中心に2種類以上の殺虫剤成分が検出された。ウイルスによる病気やスズメバチの襲来などはなく、カメムシ用の殺虫剤が原因の可能性が高いと結論づけた。

 この記事を読んで驚く人がいるかも知れないが,しかしこれは別段目新しい内容ではなく,実はEUは既に2013年12月から,ネオニコチノイド系農薬のうちの三種の使用制限を始めている.使用制限しつつ,この問題に関する研究を進めようとの姿勢である.というか,むしろこれはかなり知られていることなので驚かない人のほうが多いかも.
 で,我が国はどうか.
 農水省はこの件について特に解説↓を設けている.
 農薬による蜜蜂の危害を防止するための我が国の取組 (Q&A)

 この解説の中身は要するに,ミツバチ問題はあるが,ネオニコチノイド系農薬は有用だから使用制限はしませんということである.
 この政府の姿勢を支持する保守派論客もいる.
 松永和紀《ミツバチとネオニコチノイド系農薬、「予防原則」で思考停止にならないために…

 農薬問題という切り口からみて,EUと日本と,どちらの姿勢が正しいのか私には判断できないが,そもそも「斑点米は一粒たりとも許すまじ」という消費者の姿勢に問題はないのかと私は思う.
 冒頭に書いたような大学などの研究者には,ネオニコチノイド系農薬を使わずにカメムシの害を減らす基礎研究 (カメムシを殺すのではなく,カメムシが水田に侵入するのを防ごうという姿勢の研究) をしてもらって,それでも斑点米が絶滅できないなら仕方ないではないか.
「きゃーこの黒いお米って気持ちわるい~」と言うバカ消費者に少し譲るとしても,斑点米が嫌なら,昔のように炊く前に除けばいい.除くのが面倒ならパンを食え.パンがなかったらケーキをお食べ.
 私は「風選技術」の専門家ではないが,多量の粒の中に混入した着色粒を除去するのはそう大して難しいことではないはずである.食品に混入した異物を除去する技術として,かなりハイテクな機械装置が既にある.その装置は,異物を検出すると圧縮空気をノズルから吹き付けて,狙い撃ちのように吹き飛ばしてしまう.これを見ると感動すらする.
 上に挙げた論客のような,ミツバチ被害とネオニコチノイド系農薬の有用性を天秤にかけて,ああだこうだと論じる人は,「きゃーこの黒いお米って気持ちわるい~」と言うバカ消費者と同レベルなんだと思う.

 話は横にぶっ飛んで,スーパーで買ってきた野菜に虫がついていると,「きゃ~」とか言ってそのまま丸ごとゴミ箱に叩き込むバカは,炊いたご飯に斑点米を見つけると炊飯ジャーごとゴミ箱に叩き込むに違いない.調査資料はないが,そうに決まっている.文句あるか.ありません.よしよし.

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2014年7月20日 (日)

それでも猫はでかけていく

 ハルノ宵子『それでも猫は出かけていく』(幻冬舎) 読了.
 本書は,雑誌『猫びより』に連載された『ハルノ宵子のシロミ介護日誌』をまとめたもの.著者が「あとがき」で《『猫びより』の連載原稿は、イラスト・書き文字・入力文字がゴッチャになった、たいへんやっかいなモノでした。そのまま原稿を連載順にベタで印刷しても、本としては成立し得ないシロモノです》と書いているとおり,読みにくい本である.それにオビに《この本は、吉本家最後の8年間の記録でもあるのです》と書かれているが,著者の父君である吉本隆明のことはほとんど出てこない.しかしそれを割り引いてもなかなかおもしろい本だった.

 ペットの殺処分についていうと,犬と猫とでは大きく事情が異なる.犬の場合,野良犬は普通は速やかに捕獲されて殺処分されてしまうのであるが,猫の場合は野良猫と飼猫のあいだに色んな猫たちが地域に生きているからである.
 この中間的な生き方をしている猫に関する著者の考え方には,猫の殺処分をなくすために活動している団体の人からも,猫嫌いの人々からも,批判があると思われる.野良猫を保護して譲渡する活動をしている団体は,決して著者のような人を猫の良い飼い主とは認めないであろう.しかし著者はへこたれずに,少数派として我が道を行く.(その経済的負担は並大抵のものではなかろう)

 私は猫を飼った経験がないので,著者の猫に対する接しかたがよいのか悪いのか判断できないが,とまれこの本に描かれた猫への愛情はよくわかる.

 地方自治体のサイトあたりには「猫はねずみ算式に繁殖する」と書いてあるものがあるが,実際にはそんなことはない.なぜか.そのことについての著者の見解 ,すなわち野良猫という生き物の余りにも短く儚い命についての愛情深い見方は説得力がある.犬好きにも薦めたい一冊である.

 ただし,著者が猫の死骸を隣の寺の墓地に捨てているのは違法行為である (たぶん違法という認識がないと思われる).この本を出版したことでこれが問題にならなければいいのだが.

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2014年7月19日 (土)

ラテン音楽のガイドブック

 先日の記事「小さな星」(7/16) に書いたミロ・ヘルナンデス楽団の『エストレリータ』だが,これが収録されているCDを Amazon に注文するついでに,なにか他にいいものはないかと物色していたら,竹村淳『ラテン音楽名曲名演ベスト111』を見つけた.書籍(280ページ) に「お宝音源CD」が付いて二千八百円,これは安いと思って即購入した.
 本が届いて,私は勘違いに気がついた.「お宝音源CD」は五枚組くらいの豪華付録で,これに百十一曲が入っていると思い込んでいたのであるが,実は一枚だけの二十五曲だった.
 冷静に考えると図々しい勘違いだが,買ってしまったものは仕方がないので,まず書籍のほうから読み始めた.
 すると,である.『ラテン音楽名曲名演ベスト111』は大変に読み応えのある本で,仮に付録「お宝音源CD」なしでも,この内容で二千八百円はかなり安いと思われたのである.

 私はラテン音楽が好きであるが,実はメキシコもカリブ海周辺もアンデス地方も,頭の中でみんなまとめてラテン音楽にしてしまっており,実にいい加減なラテン音楽ファンなのである.
 それを『ラテン音楽名曲名演ベスト111』はわかりやすく解説してくれており,大変参考になった.
 ちなみに Wikipedia【ラテン音楽】によると,ラテン音楽は次のようなスタイルに分類されるらしい.
 ・キューバなどカリブ系
 ・コロンビア,ベネスエラ
 ・ブラジル音楽
 ・アルゼンチン音楽,ウルグアイ音楽
 ・メキシコなど中米
 ・ペルー,ボリビア,エクアドル,チリなどアンデス系

『ラテン音楽名曲名演ベスト111』を読んで思ったのは,上に挙げた各地の音楽をよりよく鑑賞するには,それらの地域の歴史を知ったほうがいいということである.
 例えば本書中の挿話の一つであるが,1996年12月17日夜,ペルーの首都・リマの日本大使公邸をトゥパク・アマル革命運動 (MRTA) の構成員14人が占拠した「在ペルー日本大使公邸占拠事件」(本書p.76).
 私はフジモリ大統領の指示によって惨殺されたMRTAについて,ほとんど知るところがない.MRTAとはなんだったのか.本当にテロ組織だったのか.腐敗した独裁者フジモリによるMRTAメンバー惨殺に道義的正当性はあったのだろうか.(2001年9月,ペルーの司法長官はフジモリを殺人罪で起訴した.日本大使公邸事件の際、投降したゲリラを射殺した容疑である.逃亡したフジモリに対して,2003年3月には国際刑事警察機構を通じ人道犯罪の罪で国際手配の依頼が行われた)

 ついでに本書からの挿話をもう一つ.
 阪神淡路大震災が起きた1995年1月17日の三日後,地震国メキシコからの救援隊が被災地に到着した.
 救援隊員たちは夜になると空き地に集まり,焚き火をして暖をとりながら,持参のギターの弾き語りを披露して被災した人々を慰めた.これがテレビで報道されたとき,流れていた歌は『シェリト・リンド』,メキシコの名歌である.
 このとき救援隊員の一人が言った言葉.《被災地の夜は暗くて淋しいものです。でも音楽があると少しちがいます。》(本書p.62)

 こんなラテン音楽の解説が満載である.ほんとにいい買い物をした.

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2014年7月18日 (金)

雑多感想 (7/18)

(一)
 新聞各紙の報道によれば,ベネッセホールディングスは17日,個人情報漏洩事件被害者への金銭補償などに年間最終利益 (2014年3月期百九十九億円) に相当する費用二百億円を計上せざるを得ないと表明した.
 原田泳幸会長兼社長は17日の会見で,二百億円の費用計上が顧客の信頼を回復するための経営判断であると語った.事件発覚当初,原田会長は金銭補償を考えていないと明言したが,一部会員からの浅ましい要求に屈したとみられる.
 ポイントカード会員の住所などが流出したローソンが2003年,百十五万人に五百円ずつ配布したときにも思ったのだが,一人頭五百円とか千円とかいうわずかな謝罪金に何の意味があるのだろう.セキュリティシステムの再構築に何百億円かかるか知らないが,ポチ袋に入れた端金みたいな謝罪金合計二百億円は,そっちに投資したほうがよほどベネッセの会員にとってはメリットがあると思うのだが,原田会長は会員たちをそのように説得できないのか.情けない.

(二)
 小保方晴子・理化学研究所研究ユニットリーダー (以下,小保方) の博士論文について,早稲田大学の調査委員会は17日,「博士号取り消しに該当しない」とする調査結果を発表した.
 小保方はこの論文について「草稿段階の論文を誤って製本して提出した」と主張し,大学に本来提出すべきであった「草稿ではない博士論文」を今年5月に調査委員会に提出した.調査委員会は製本された論文が提出されたあと,デジタルデータの提出も小保方に求めたのだが,呆れた事にこの「草稿ではない博士論文」のファイルの最終更新日付 (タイムスタンプ) は,博士論文不正問題が発覚したずっとあとの今年の6月24日であり,しかもこれにも不正が認められるという.(要するにこの「草稿ではない博士論文」は,問題が発覚したあと,小保方が調査委員会に提出する直前まで作成を続けていたものであり,博士課程修了時に大学に提出すべきであった論文とは別物だということだ)
 「草稿ではない博士論文」は調査委員会に提示したものであって,学位論文審査とは無関係の,ただの私的文書に過ぎない.すなわち現段階ではあくまでも小保方の博士号は「草稿段階の (不正だらけの) 論文」に対して授与されたものなのである.しかるに調査委は「博士号取り消しに該当しない」と結論した.つまり不正の有無は論文の正当性を損なわないと調査委員会は言うのだ.私にはその理屈が理解できない.支離滅裂にして,科学界のルールを無視したでたらめの極みである.構成委員の氏名不詳のこの調査委員会(すなわち実在の証拠がない) は,いったいそこまでして何故に小保方を擁護するのだろう.
 困ったのは鎌田薫・早大総長である.無能な調査委員会の結論に従って小保方一人を助けるか,大学の名誉を守るかの岐路に立たされているといえよう.

(三)
 週刊プレイボーイ30号の記事《心配する前に読む!徴兵制各国事情》に次のような記述がある.
スイス在住の知人宅に招かれたとき、床の間のようなスペースに実弾入りの軽機関銃が置いてありました。『スイスで一家に一丁(軽機関銃)は当たり前』とのこと。各地域に約1カ月分の水と食料を備蓄した地下シェルターが備えられているとも。スイス人には“自分のことは自分で守る”という自衛意識が根づいているのです。
 スイスでは一家に一丁の軽機関銃があるのは当たり前だというのが事実だとすると,それくらい銃器が民間に拡散していながら銃乱射事件が米国のように発生しているとは聞いたことがない.なぜなんだろう.そこまで書いて欲しいと思うのは私だけか.

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2014年7月16日 (水)

普通に戦争できる国 最後のハードル

 今朝の報道をみて驚いた.これは矢継ぎ早というか,集団的自衛権の行使を容認した閣議決定に続いて,政府は米企業からライセンスを得て三菱重工業が製造している迎撃ミサイル「パトリオット」の部品をライセンス元に輸出することを容認する方針を明らかにした.(7/15)
 これは従来の武器輸出三原則が廃され,日本が公然たる武器輸出国への道を進み始めた第一歩として記憶されるであろう.

 日本戦後史上,最悪の好戦的人物である (そしてあの緩んだ身体を見れば歴然だが,戦時のリーダーとしては使い物にならないはずで,つまり先の戦争で日本軍部が輩出した,後方安全地帯から精神論を振りかざして突撃命令を下すタイプの卑劣漢であるに相違ない) 安倍が次に吹き鳴らす進軍ラッパは何か.
 既に一部週刊誌が取り上げているが,石破茂が国防軍と徴兵制の創設についてアドバルーンをぶち上げ始めている.次は,たぶんこれだ.

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小さな星

 マヌエル・ポンセ (Manuel Ponce, 1882年-1948年)はメキシコの作曲家にしてピアニストで,小歌曲“Estrellita”(エストレリータ=小さな星) の作者として有名である.
 もう大昔のことだが,私は高校に入学してすぐに軽音楽部に入り,最初の定期コンサートのための曲として『エストレリータ』の譜面を見ることになった.
 先輩たちの手垢で黄ばんだその譜面は吹奏楽用にアレンジしたもので,例えば,ちょっとご婦人の手をとって踊りたくなる,こんな軽快な感じ↓であった.(YouTube にはいくつかの部隊の演奏がアップされており,少しずつ編成が異なるので聴きくらべてみるも一興)

 M.ポンセ「エストレリータ」 by 自衛隊音楽隊 20090927

 以来,『エストレリータ』は私の大好きな曲である.
 昭和の頃に人気のあったギター・デュオのロス・インディオス・タバハラスのアルバムに『エストレリータ』の名演を収録したものがあったのだが,今はもう手に入らない.

 その他の奏者のものをネット上で探してみると,ギターのソリストからイージー・リスニングのオーケストラに至るまで種々あり,色物にはハワイアンバンドの奏するものまであるのだが,つい昨日ようやく,これぞ『エストレリータ』ですと言いたい演奏を見つけた.

 それはミロ・ヘルナンデス楽団の奏する『エストレリータ』
  (2016/2/24削除)
 それはミロ・ヘルナンデス楽団の奏する『エストレリータ』
  (上記のリンクがYouTubeから削除されたため2016/2/24に追記)
  (さらにまたYouTubeから削除されたので2016/9/12にリンク抹消)

 CDは「EMIプレミアム・ツイン・ベスト/イージー・リスニング・ベスト」に,このミロ・ヘルナンデス楽団の『エストレリータ』が収録されている.

20140716estrellita

 ちなみにこのCD,マイナー楽団の演奏を寄せ集めた全三十曲のうち,聴くに耐えるのはミロ・ヘルナンデス楽団の演奏する二曲のみという珠玉の二枚組みであります.

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2014年7月15日 (火)

東京ガスのCM

 先日の記事「CMを見て泣いた」(7/4) に書いた東京ガスのTVCM『家族の絆・母からのエール』編が放送中止になった件に関して,13日放送のフジテレビ『ワイドナB面』で松本人志が以下のように語った

これからは、どこの誰か名乗って、どういう理由でこれを見てイヤやったとか、腹が立ったとか、悲しかったとか、しっかり聞いて、それに答えない人はクレームとしてカウントしない方がいいと思いますね。クレームつける人は同じ、クレーム癖がついている人、クレームしてる人は絶対数決まっていて、何にでもクレームつける癖のある人が絶対いますよ!ちゃんとこのデータさえ取ったら、クレーム、僕無くなると思うんですよ。名乗ってまで、クレーム言いたくない人って絶対いるんで、これはカウントしなくていいんですよ。じゃないと世の中にとってよくない!

 狭い世間で生きてきた松本は,ここで大きな勘違いをしている.
 東京ガスは,数件のクレームに屈して『家族の絆・母からのエール』編の放映を中止したのではないはずだ.東京ガスの経営者が放映中止を決断したのは,そのわずかなクレームの向うに,数百人数千人,あるいはそれ以上の就職活動連敗中の学生たちの姿を見たからなのである.
 番組中で他の出演者が「『家族の絆・母からのエール』編を見て元気付けられるひともいる (から放映中止する必要はない) 」と発言していたが,連敗中の就活生全員がこのCMで元気になるわけでもあるまい.このTVCMで心の傷に塩を擦り込まれる学生がたとえ少数でもいるとすれば,その少数の若者たちの心を傷つけるに忍びない,その結果としてTVCM制作費を無駄に捨てることにはなるがそれは構わない,あえて放映中止しようと東京ガス経営陣は考えたに違いないのである.

 私はかつて会社で品質保証部門の責任者だった.品質保証部門の一部署にコールセンターがあり,そこのオペレーターたちは電話を受けると,電話をかけてきた顧客の氏名と連絡先をたずねるが,それはあとで連絡する必要が生じた場合のためにたずねるのであって,氏名を明らかにしないからといってクレーム対応に差をつけることは絶対にしない.これは企業の顧客対応の基本中の基本だ.「名前をいうほどの者ではないんですが,いやちょっと気になることがあったので電話しました」という軽いクレーム電話の向うに重大な品質事故やサービスの欠陥が潜んでいる可能性があるからである.それどころか,住所氏名はもちろん,何が言いたいのかわからない電話に一時間でも二時間でも辛抱強く応対を続けるのが,コールセンターのオペレーターというものなのである.
 《どこの誰か名乗って、どういう理由でこれを見てイヤやったとか、腹が立ったとか、悲しかったとか、しっかり聞いて、それに答えない人はクレームとしてカウントしない方がいい》と松本は言うが,そんなことをしたら企業は自分で自分の首を絞めることになる.松本人志は,こういう企業社会の常識を知らぬのなら,この種のことについて発言すべきでない.ともあれ,まともな企業の顧客対応部門の人間であれば,今回の東京ガスの件については必ずや東京ガスの『家族の絆・母からのエール』編放映中止を支持するであろう.

 余談だが,雁屋哲が『美味しんぼ』で物議を醸したとき,松本人志はテレビ番組で「漫画なら漫画家,映画なら監督がいわば“神”なのであって,まわりが批判してストーリーを変更させたり作品つくるのをやめさせることは“神への冒涜”です」という意見を述べて,雁屋批判を批判した.今回の東京ガスの件に関する松本人志の意見は,これと通底するものがある.企業のTVCMを制作するにあたっては,どんな内容であろうとその企業が“神”であり,消費者が抗議するのはおかしいと松本はいうのであろう.

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2014年7月13日 (日)

STAPと雪の女王

 中森明夫が中央公論から『アナと雪の女王』について原稿を依頼され,それが掲載拒否されたいきさつについては,中森があちこちに書いている.その掲載拒否原稿はこれ
 さて中森による『アナと雪の女王』解釈はこうだ.

女は誰もが自らの内なる雪の女王を抑圧し、王子様を待つ凡庸な少女として生きることを強いられる。エルサとアナに引き裂かれている。

 中森はこの見解を自分の「独自解釈」だというのだが,どんなもんだろう.ディズニー作品に対する批判として一般的なものだと思われるのだが.
 そして中森は《私たちは何人かの雪の女王を知っている》としてその例を挙げる.
 まず松田聖子,松たか子,長谷川三千子(NHK経営委員),雅子妃殿下.

 私には,松田聖子,松たか子,長谷川三千子の三人は全然《エルサとアナに引き裂かれている》ようには思われない.そこら辺からテキトーにみつくろったいい加減な人選だと言いたいが,雅子妃殿下については例としてちょっとリアルかなという気がする.というか,《王子様を待つ凡庸な少女として生きることを強いられ》とはあまりにも無礼が過ぎると思われ,それが中央公論の掲載拒否につながったのかも知れない.
 それはそれとして,しかし中森は,理研の小保方研究員 (以下,小保方) も雪の女王だという.

最初はその能力が称賛されながら、一転、リケジョならぬ魔女扱い、理化学研究所という名の王子様は彼女を裏切って、烙印を押し、王国を追放した。「STAP細胞はあります!」という宣言は、小保方さんが必死で唄う『レット・イット・ゴー』だったかもしれない。

 ここまで読んで私は吹き出した.
 小保方はこれから,不正防止のために設置された三台の監視カメラと監視人の注視の下で,レリゴーレリゴーと歌いながら一人で惨めなSTAP再現実験をしていかにゃならんわけで,この状況を中森は「理研が小保方を魔女扱いにしている」というが,それは違う.彼女が使えるのは魔法ではなく,画像の改竄とか試料のすり替えとかの手品に類することであり,つまり彼女は真正の魔女ではなく魔女を装う「オズの魔法使い」なのである.
 中森の『アナと雪の女王』論は思いつき程度のものであるが,この小保方=雪の女王はお笑いの度が過ぎている.例としては削除したほうがいいと思うぞ.

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2014年7月12日 (土)

雑多感想 (7/12)

(一)
 読売新聞(YOMIURI ONLINE 7/11 7:44) によれば,原田泳幸・ベネッセホールディングス会長兼社長は10日,同社の顧客情報の管理体制について《他社に比べて欠陥があったゆえの事故だとは思っていない。どんなにシステムに二重、三重のパスワードをかけてもその人たちが結託したら(情報を盗むことは)できる。最後は倫理だ》と述べた.
 つまりベネッセという会社は,情報セキュリティシステムに欠陥があったのではなく,倫理的に全くダメだったのだと経営者自ら言っているわけで,大丈夫か,この人.
 原田泳幸氏は日本マクドナルドの経営者だった人.今も日本マクドナルドホールディングスの会長職にあり,役員会議に出席している.
 情報セキュリティとは別のことだけれども,あのマクドナルドの経営者が,まさかまさか「倫理」を語るとは思わなかった.皆驚いたと思う.
 さて警察の調べでは,顧客情報は,ベネッセから管理を委託されている関連会社「シンフォーム」から更に管理を再委託されている会社を通じて漏洩したと考えられている.
 しかるに原田氏は読売新聞のインタビューに答えて,ベネッセの管理体制に問題はなかったと断言している.信じがたい言い分である.
 なぜなら,アウトソーシング先で発生した事故や不祥事は,当然ながら本体企業のマネジメントシステムの欠陥としてPDCAサイクルに乗せられなければならないからだ.アウトソーシング先の選択・採用は,マネジメントシステムの重要な一要素であるとするのが,普通のマネジメントだからである.
 従ってベネッセの管理体制は (というか原田氏の頭の中は) 一般人の目から見れば問題だらけのように思われるが,しかし原田氏は,これ以上情報セキュリティシステムを改善 (これには費用がかかる) する気はないという.仮にお金がないとしても,経済産業大臣が「ベネッセの情報管理体制に問題があれば指導する」と言っているのだから,普通はシステム改善と倫理向上の両方に取り組むと (口先だけでも) 言うところではないだろうか.上述のように原田氏は《他社に比べて欠陥があったゆえの事故だとは思っていない》と言明したが,これはつまり「当社は行政指導を受ける気はない」と言っているわけで,これだけの事故を起こしながら傲岸不遜,いい度胸である.マクドナルドをだめにしたこの経営者,次はベネッセをだめにするのか.

(二)
 Huffington Post (7/11) に《50年間の虐待から救出されて涙を流したゾウ》という記事が掲載されていた.およそ次のような内容である.
 インド北部のウッタル・プラデーシュ州アラハバードで見世物として働かされてきた象のラデューは五十年間にわたって飼い主の象使いから虐待を受けてきた.絶滅の危機に瀕した野生動物を保護するために1995年にインドで設立された Wildlife SOS は,ラデューのことを知り,今月七月二日の夜にラデューの救出作戦を行った.飼い主の象使いは救出を妨害したが,獣医を含む Wildlife SOS や警官らのチームは,虐待されていたラデューの救出に成功した.救い出されたラデューは,自分が自由の身になったことを理解したのか,その目から涙がこぼれたという.
 象の涙.さもありなんと思う.こういう話に懐疑的になる人は多かろうが,私は素直に信じてしまう.『かわいそうなぞう』を読んでオイオイ泣く人間なので.

(三)
 朝日新聞DIGITAL(7/8 22:00) に「初恋の人探します社」という会社のことが紹介されていた.
 この会社のサイトを閲覧した限りでは,社名とは異なって普通の探偵社あるいは興信所であり,それがなぜ「初恋の人探します社」なのか意味不明である.
 意味不明ではあるが,興味本位で「初恋の人探し」の費用を同社のサイトでみてみた.すると,まず「着手金85,000円+消費税+交通費の前預かり金20,000円」を前払いすると調査が開始され,調査が終わると「成功報酬+交通費等実費」が請求されるのだという.
 成功報酬がいくらなのかわからないが,安い料金だとは思われない.私にも初恋の思い出はあるのだが,その人がどこでどうしているのか知るために数十万円を支出する気にはとてもなりませんなあ.

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2014年7月11日 (金)

雑多感想 (7/11)

(一)
 教育事業大手のベネッセホールディングスから顧客の個人情報約760万件が流出した問題で,朝日新聞DIGITALは《ベネッセ顧客にジャストシステムのDM 流出情報流用か》と題した記事を掲載した.
 他紙はどうかというと,読売新聞は「流用」という表現を避けている.毎日新聞は「流用」ではなく「利用」と書き,さらに《ベネッセの顧客情報と知らずに東京都福生市の業者から名簿を購入したとみられる》と説明を加えている.
 TBSラジオは,荒川強啓の番組で山田五郎が「流出情報のジャストシステムによる流用」とし,まるでジャストシステムがベネッセの顧客情報であることを知りながら使ったかのように解説していた.(7/10 16時台の放送)
 この山田五郎の解説を聞いていると,ベネッセから顧客情報を盗み出した人物,ベネッセの顧客情報と知りつつそれを購入・転売した名簿業者のことは関心外のようで,話はもっぱら「流出情報のジャストシステムによる流用」であった.しかし言葉の正確な意味において,この件は「流用」ではない.毎日新聞が書いている通りである.しかるになぜ朝日やTBSラジオなど一部マスコミは犯行当事者ではなくジャストシステムを追求するのか,不思議である.

(二)
 入院中に新聞や週刊誌の切り抜きをしていたのだが,あとで考えると,保存するほどのこともない切り抜きもあった.その一つのこと.
 毎日新聞のオピニオン欄 (6/10) に,1968年暮れから新宿駅西口広場で始まった「フォーク・ゲリラ」についての記事が掲載された.
 記事中に一葉の写真があり,そこに写っているのは,前列にジョーン・バエズとギターを持った高石友也,後列には,いいだもも,城山三郎,開高健,小田実などの人達が腕を組んで歌っているシーンである.写真のキャプションには《旧社会文化会館ホールで1967年1月25日、高石ともや事務所提供》とあった.
 私には,いいだももと城山三郎が腕を組んでいるのがおもしろかったので,この写真を切り抜いたのだが,あとで調べてみると,この写真はあちこちに掲載されているものであった.一例はここ

(三)
 Amazon のおすすめ商品にリストされていたので,大沼紀子『真夜中のパン屋さん 午前3時の眠り姫』を買ってしまった.
 読み始めると,登場人物やその置かれている状況について,何の説明もなくチャラチャラと話が進んでいく.何が何だか皆目わからない.
 もしや,と思って調べてみたら,これは『真夜中のパン屋さん』シリーズの四作目であり,前三作を読んでいないとそういう目にあう作品のようであった.
 かといって,ストーリーを理解するためだけに追加で三冊も買って読むほどの小説とも思われず,ゴミ箱に捨てた.

(四)
 週刊朝日 (6/13 号) の記事で本山輝幸という人が登場して,記者に「いすに軽く腰掛けて右足を十秒間,水平より高く上げてください」と指示した.十秒後に足をおろすと,「足はいま痛いですか」とたずねた.(私もやってみたが,足を上げているときは痛いが,おろせば痛くない.当たり前だ) 痛くないと答えた記者に本山輝幸氏は「あなたは軽度認知症になっているのかもしれません」と宣言した.認知症って,そういうことなんですか本山先生.筋肉関係だとは知りませんでした.
(本山先生についてはここ)

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2014年7月10日 (木)

グルテンフリー

 少し前の週刊文春 (6/19号) の連載『マンハッタン マトリクス』で福岡伸一博士が,最近の米国におけるグルテン忌避ブームについて書いていた.
 そもそもの始まりは,セリアック病だという.
 セリアック病は《小麦・大麦・ライ麦などに含まれるタンパク質の一種であるグルテンに対する免疫反応が引き金になって起こる自己免疫疾患である。》 (《》は Wikipedia【セリアック病】から引用)
 セリアック病の症状は比較的深刻で,また《現時点では完治させる治療法がないために、グルテンフリーの食生活は生涯続けなければならない。》 (《》は同じく Wikipedia【セリアック病】から引用)

 私は文献を未確認であるが,福岡博士の上記記事によれば,欧米人の1~2%がセリアック病で,他のネット情報によると日本人はそれよりやや少ないらしい.
 それにしても,人口の1%はかなりの高率だ.これまで我が国では,原材料に小麦を使用した食品は法令 (食品衛生法第十九条第一項の規定に基づく表示の基準に関する内閣府令別表第四) により,特定原材料としてアレルギー表示が義務付けられてきたわけだが,大麦・ライ麦などは表示義務の適用外になっている.小麦以外の麦類もセリアック病発症の引き金になるのだとすれば,行政として何らかの対応が必要なんではなかろうか.

 話を元に戻して,福岡博士の記事によると,マンハッタンあたりではカフェやレストランに入るとメニューや貼紙にやたら“gluten free !”と書いてあるそうで,これはもうセリアック病とは無関係の騒ぎになっている.ここまでグルテンフリーがブーム化した原因は,米国のセレブたちが「グルテンフリーは健康にいい」と言い出したかららしく,いまや「グルテンフリー食品ってセレブっぽいじゃん!」というお粗末な流行のようだ.もうすぐ日本にもこのブームが上陸するのだろうか.

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2014年7月 9日 (水)

ゴンドールのサラダ

『作りおきサラダ』という書名に引かれて主婦の友社のヒット本を購入した.
 入院中に出た新聞や週刊誌の書評でほめられていたことも購入動機である.
 届いた本を手にとって見ると,表紙に「おかず、おべんとうに 野菜たっぷりの常備菜120品」と書かれていた.

 あらためて考えてみると,サラダってかなり漠然とした料理名だ.
 百科事典にあたってみてもよくわからない.おおかたの向きはサラダと野菜を結びつけてイメージするだろうが,スーパーで売られているマカロニサラダなんぞはほとんど野菜が入っていない.(野菜たっぷりのマカロニサラダはうまくないと思うし)

 こうなるともう言った者勝ちだ.
 だから主婦の友社『作りおきサラダ』の手柄は,作ってすぐに食べるものだと思われがちなサラダを,常備菜と言い換えたところにあると思う.
 ただし,この本がいう常備菜はただの常備菜ではない.茶色い煮しめとかアサリの佃煮とか伽羅蕗ではいけない.ましてイカ塩辛なんかは論外.サラダというからには洋風で,彩り明るく,すこし食卓が楽しくなるようなものでありたい.
 といいながら実は『作りおきサラダ』に掲載されているレシピはなんの変哲もないものだ.しかし,この本の書き手が書きたいのはレシピではないからそれで構わない.本書の主張は,作りおきの常備菜をテーブルに並べて,それだけで結構楽しい食卓に演出できますよホラ,ということなのだ.

 本書が提案する食卓演出のコツは,常備菜の容器にある.
 まず第一に,白くて直方体のホーロー保存容器.サイズは工夫されていて,いくつ冷蔵庫に入れても無駄な隙間ができないようなものでなくてはいけない.本書の記述の中に指定されているわけではないが,本書のフォロワーたちによれば,無印良品の製品でキマリらしい.
 このホーロー保存容器に加えて,ガラス製の保存瓶やココットのような小さい陶製の丸型容器を併用して卓上の見た目に変化をつけるとよい.ホーロー保存容器に入れたサラダの量が減ってきたら,残りをココットに移すなどするわけである.

 さて長過ぎの前ふりに続いて本題であるが,映画『ロード・オブ・ザ・リング / 王の帰還』を観ていると,ゴンドールの執政デネソールがプチトマトみたいな生野菜のサラダを食べている場面が唐突にでてくる.中つ国にもサラダ料理はあるとみえて,それはそれでよいのであるが,荒地ばかりのゴンドールのどこに野菜畑があるのだろうという疑問が湧く.
 ホビットの土地は豊かで,農耕種族である彼らが色々なものを生産して食べていることは映画に描かれているが,人間族に関してはゴンドールだけでなくローハンにおいても生産活動の気配がなく,日常の彼らが何を食料にしているのか作品中に全く描写がない.
 なのに暗鬱な色調の画面に突然登場するデネソール侯のサラダ.
 彩り明るいそのサラダに関して,これが何かの伏線なのか,あるいは伏線の回収なのか,観客には理解できず違和感が残る.デネソール侯の食事が肉料理ならなんの違和感もないのだが…
 小さいことだが,ちょっとこの作品の世界観に不満が残る.

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2014年7月 7日 (月)

言葉を知らぬ書評家って…

 奥村知花さんという女性がいる.
奥村知花 (chicachicao) on Twitter》に書かれている彼女のプロフィルによると,《本しゃべりすと。フリーで書籍のPRをしています。大好きな作家は太宰治、サマセット・モーム》だそうな.「本しゃべりすと」が意味不明だが,週刊アスキー誌ほか,あちこちに書評を書いておられるところをみると書評家に違いない.またラジオ番組にも出演されているという.

 その奥村知花さんが週刊アスキー(7/15,22合併号) 掲載の書評欄《私のハマった3冊》で,『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』(渡辺俊美著,マガジンハウス) を評して次のように書いている.

親は子を思って弁当をあつらえ、子はそれを受けて空になった弁当箱を持って帰る。それはさながら“愛情の往復書簡”だ。

 この引用部分だけ読んだ人は「子に持たせる弁当を,自分で作らずにオーダーメイドしてやる親がいるんだね驚いたなあ」などと思うであろうが,実は違う.『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』の著者である渡辺俊美というかたは,自ら息子さんに弁当をこしらえてあげているのである.
 そのことは奥村知花さんの書評中にもそう書かれていて,しかしながら何故か奥村さんは《弁当をあつらえ》と書き,従ってこの書評の論旨が,わけのわからぬことになっている.

 最近の若いやつは「あつらえる」という言葉の意味を知らないんだね,と思ったら,これが大間違い.念のため失礼ながらネット上の画像を見ると,奥村知花さんは妙齢かつ美貌の女性のようで「最近の若いやつ」ではなかった.
 うーむ,若いというわけではない年齢になるまで「あつらえる」の意味を知らずにきたということは,あまり本を読まない人なのであろう.辞書をひく習慣のない人なんだろう.たぶん「あつらえる」と「こしらえる」を取り違えているのだ.
 あ,でも奥村知花さんの仕事は書評だ.本を読まない書評家って職業としてありなのか.

 以上,私はペテンで世渡りする人を嫌いなので,嫌味ったらしく書いてみたが,ネットやマスコミに露出度の高い人が無教養な言葉の誤用をすると,ネットを通じてすぐ広まってしまうのだよね.いやな予感がするなあ.

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2014年7月 6日 (日)

小梶記者のヨイショ映画批評

 町山智浩『知ってても偉くないU.S.A語録』(文藝春秋刊) のp.174にこうある.
《(米国の) このにっちもさっちもいかない状況で、3人以上の子どもを余裕で育てられるのは、超リッチなピープルだけ。アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの夫婦が養子も含めて6人の子どもたちを連れて歩いているのは、どんな宝石や自家用ジェットよりも豪勢なリッチの証明なのだ。

 読売新聞の映画評欄で東京本社文化部次長の小梶勝男という男が,アンジェリーナ・ジョリーの最新作『マレフィセント』を取り上げて,こんなことを書いている.(YOMIURI ONLINE 7/4 8:00)
CGによる色鮮やかで幻想的な風景や、妖精が空を飛ぶ場面の高揚感など、様々な見どころはあるが、全体の印象は「ジョリーの映画」に尽きる。傷ついて邪悪になった妖精が、母性愛という真実の愛に目覚める物語自体が、若い頃は破滅的だったが、慈善活動に目覚め、孤児を養子に迎えた彼女の人生と重なっている。

 はて面妖な.
 女優の実人生と,出演作品中の役柄とに何か関係があるわけ?
彼女の人生と重なっている》というが,小梶記者が無理やり重ねているだけだ.
 これが映画でなく,私小説作家とその作品の場合は,乖離が激しいと批判を免れないが,映画なら話が違う.俳優は演じているだけだから.
 例えばチャールトン・ヘストンは,私たち日本人の感覚からすると,無辜の人命よりも個人の銃武装を優先するとんでもない極悪団体である全米ライフル協会の会長であったが,だからといって彼が出演した数々の名作を否定するやつはいない.
 同様に,悪役俳優が実際に悪人だと思う阿呆もいない.
 映画の作品評に俳優の実人生のことを持ち込まないのはお約束以前のことだと思うが,小梶という能天気な記者はそんなことも知らぬらしい.

 話を最初に戻すと,孤児を養子にすることは慈善というより,病んだ米国における金持ちのステイタスの証なのだと町山智浩は書いているのだが,納得だ.アンジェリーナ・ジョリーの場合だが,これを慈善というには養子の数が少なすぎだ.そうは思わないかね,小梶記者.

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2014年7月 5日 (土)

昔の写真を見て泣いた

 なんでも「活動」にしてしまう世の中なので,死ぬに際しての諸々の準備を終活という.

 Wikipedia【終活】によれば,「自身のための葬儀や墓などの準備」「残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくこと」が終活の例として挙げられている.
 遺産相続の準備が必要な人というのは日本国民の極ごく一握りであるから,遺産のことはいま一般的にいわれている「終活」の範疇に入るのかどうか疑わしい.実際にはもっと細々としたことが大切であり,例えば自分の死亡を知らせる友人知人の範囲を住所録にして残しておくことや,通帳や銀行印の隠し場所のこととか,あるいはクレジットカードの解約手続き,自家用車の処分関係のこと,プロバイダ解約など,ほっておくとややこしいことになることがたくさんある.
 もし葬儀を行うのであれば,自分の遺影の準備もしておいたほうがいい.ま,遺影がなくても葬式に支障はないが.
 そこで最近の自分の写真をテキトーに遺影用にみつくろってみた.
 それはすぐに済んだのだが,作業途中で,未整理の写真,特にデジカメ以前の時代のアルバムをどうしようと思った.
 故人の写真なんぞ死んでしまえばただのゴミであるが,分厚いしっかりとしたアルバムに整理されていたりすると,遺族にとってはなかなかゴミ箱にポイと捨てにくいものである.さりとて棺に入れて燃やそうとすると,一枚二枚ならともかくアルバムでは火葬場の係員に文句をいわれる可能性大.
 となるとやはりここは昔の写真はデジタライズしてディスクに焼いておくのがよさそうだ.それなら棺に入れて焼いても大丈夫だ.

 で,昔の私の写真を見ていると,とても今の私と同一人物とは思えぬ.
 下の画像はその一例で,三十年前の私.米国で開催された学会に出張した折に,会場となったリゾートホテルの庭で撮った写真.長髪の青年であった私に感無量である.これを劣化というのであろう.うう.

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2014年7月 4日 (金)

CMを見て泣いた

 今日の毎日新聞(7/4 18:08) に《テレビCM:リアルな就活 批判受け東京ガス放映打ち切り》という記事が掲載された.
 記事の内容は《就職活動中の女子学生の厳しい日々を題材にした東京ガスのテレビCM「家族の絆・母からのエール」編が、今年2月1日の放送開始から1カ月足らずで打ち切りになったことが話題となっている》というもの.同社によると,就活生やその母親とみられる人からCMの内容について,リアル過ぎるとのクレームが寄せられたためらしい.
 それで,YouTubeでその「家族の絆・母からのエール」編を見てみた.
 確かに就活生にとってみれば,このCMはリアル過ぎるかも知れない.CMの中で就活に連敗中の女子学生が「世界中から否定されている気持ちになった」と言っているが,そっくり同じことを,かつて数十社の面接に落ちたときに私の息子が言っていたなあと思い出した.
 ただ,企業のTVCMがリアルであってはいけないということもなかろうとは思うので,このCMの評価は難しいだろう.就活生でない視聴者が見れば,素直に感動的な映像ではあるが,しかしきっと連敗中の就活生の心の傷に塩をぐりぐりとなすり込むものでもあるだろうという意味で.

 それはそれとして,ついでに私は東京ガスのTVCMシリーズを次から次に視聴した.
 そしてとうとう「家族の絆・お父さんのチャーハン」編で泣いてしまった.この「お父さんのチャーハン」編はすごく陳腐ではあるのだけれど,リアルでなくても泣けるということはあるのだと思った.

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2014年7月 3日 (木)

ペコロスの母に会いに行く

 このブログ記事「病中閑あり (二)」(6/15) に,waiwai さんから《『ペコロス・・・』はシリーズ化してたんですね。前に『ペコロスの母に会いに行く』という漫画が原作の映画を観たことがあります。母の最期のころの姿とさまざま重なり、泣きました。ひとりで観に行ってよかった。(^^;》というコメントを頂いた.(7/1)

 これに対して《入院するまでは週刊朝日の読者ではなかったものですから,『ペコロスの…』原作も映画も知りませんでした》と書いたのだが,下線部分はこのコメントを読んだ読者をミスリードするものであったので,『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社刊) の「あとがき」などを基に,以下に訂正する.

 月刊タウン誌の編集長であった岡野雄一は,「父が亡くなった年に始まった母のボケ」(作者自身の表現) を題材にして,『たんぽぽ通信』(有限会社長崎健康企画)『長崎市中通り商店街ホームページ』『ナイトながさき』『季刊 樂』(イースワークス発行)『なんでんcafe ペコロスの唄地図』(長崎ケーブルメディア)『漫画評論誌 ビランジ』などに漫画作品を描き始めたが,それらをまとめて『ペコロスの玉手箱』と『ペコロスの母に会いに行く』を自費出版した.
 この自費出版本が詩人の伊藤比呂美の目にとまり,岡野の作品が世に紹介されたのであるが,その後『ペコロスの玉手箱』『ペコロスの母に会いに行く』の中からの作者自選とアレンジを加えて,西日本新聞社版の『ペコロスの母に会いに行く』が発刊(2012年7月)されたのが今に至る経緯である.

 これを原作にした映画作品については Wikipedia に記載がある.
 また『…玉手箱』『…母に会いに行く』の続編『ペコロスの母の玉手箱』は,週刊朝日を掲載誌として2013年6月7日増大号から連載が開始された.この連載開始の一年後に,岡野雄一という詩人と呼んでもいい漫画家の存在を,病床で手にした週刊朝日によって私は知ったのであった.

 さて全くの余談だが,開胸手術というのは思いのほかに体力知力を低下させるもので,退院したとはいえ術後二週間余では,息がきれて上の記事を書くのが精一杯である.はあはあ.

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