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2014年5月25日 (日)

櫻井よしこと天皇

 週刊文春 (5/29号) の『私の読書日記』で鹿島茂は,岩井克人の『資本主義から市民主義へ』(ちくま学芸文庫) を取り上げ,岩井克人の法人概念について解説したあと,次のように述べている.

ヒトであると同時にモノ(法)というのが法人の本質なら、天皇こそはその法人の最たるものではないか? とりわけそれを感じるのは、昭和前期、右翼やテロリストたちが抱いていた天皇のイメージである。

 続いて鹿島は『昭和天皇「よもの海の謎」』(新潮選書) を取り上げる.
 昭和十六年九月六日の御前会議において昭和天皇は,明治天皇の御製「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を読み上げて,ヒトとして開戦回避の意志を示した.しかし東条英機陸軍大臣らはこれを無視し,法人天皇の二重性を衝いて,モノとしての天皇を担いで開戦へと突き進んだというのが,鹿島による『昭和天皇「よもの海の謎」』の紹介である.

 さて櫻井よしこが《「日本らしさ」の根本とはいったい何でしょうか。日本が日本である所以、国柄の大もとになっているもの、それは皇室の存在です。王室を戴く国は世界に27ありますが、万世一系で悠久の歴史を保ち続けてきたのは日本の皇室だけです》(SAPIO 2014年6月号) と書くとき,この女の頭の中にあるのは,鹿島茂の表現を借りれば,ヒトとしてではなく,モノとしての天皇である.
 齢六十半ばになりなんとする私のような老人でも,「日本らしさの根本」が何かといえば,それはこの国に住む私たちの暮しであり,心のありかたであると承知している.
 しかるに櫻井は,古色蒼然たる国体概念を《日本が日本である所以、国柄の大もとになっているもの》とソフトに言い換えつつ,しかし「万世一系」「悠久の歴史」のスローガンはそのままに,日本という国家のアイデンティティを天皇に押し付ける.
 そこには人間としての天皇は存在しない.あるのは政治アイテムとしての,担ぎあげるモノとしての天皇にすぎない.その意味で,櫻井よしこは東条英機の直系なのである.

 かつて美智子皇后は,天皇を代弁して「皇室とは祈りである」と語った.そして天皇と皇后は,日本国の日本国たる所以が日本国民にあれかしと祈り続けてきた.
 未曾有の災害に遭って親や子や愛するものを失い,住む家を追われた人々のところに足を運び,共に悲しみ,人々の再起を祈った.
 そこにモノとしての天皇はない.祈りは,人間の行為だからである.

新日本建設ニ関スル詔書 (昭和二十一年一月一日)
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ 終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ 単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ 且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ 延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

 櫻井よしこは《中国人や韓国人と同じことをするとしたら、彼らと同じレベルに落ちてしまう》と書いて他国民に対する偏見を扇動し,「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族」と主張せんがために天皇を利用する.
 人間としての天皇は,櫻井の眼中にはない.
 いったい天皇を何だと思っているのか,この不忠者めがっ.ヾ(--;)こらこら

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