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2014年5月19日 (月)

スイトンの謎

 昨日の記事「赤ウインナ」に《朝も昼もサツマイモの蒸かしたのを食べ,夜はスイトンをすする》と書いた.
 そのスイトンについて続きを.

「所得倍増」をスローガンに掲げた第一次池田内閣が発足したのは昭和三十年(1955年),経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたのは昭和三十一年(1956年) であった.
 この頃には既に都市部における食糧難は去り,時たまサツマイモを食うことはあっても,麦飯が庶民の主食に復帰していた.
 姉と私が小学校に通っている頃の我が家の夕食にスイトンが出ることがあったが,それはもう戦時中の代用食のスイトンではなかった.

 ものの本によれば,本来のスイトンは各地に伝わる郷土料理であって,戦時中のスイトンとは全くの別物であったというのが,まあ常識であるといっていいだろう.
 以下に Wikipedia【すいとん】から引用する.

戦時中の代用食
第二次世界大戦末期から終戦の食糧事情の悪い時期の日本で、主食の米に変わる代用食として「すいとん」という名称の料理が作られた。これは郷土料理のすいとんと同名であるが、調理方法の全く異なる料理である。
戦争による物資に乏しい時代背景から小麦粉が不足していたため、水で緩く溶いた小麦粉を汁、または味の無い湯に直接落とし込んで団子のように固める。昆布、煮干や鰹節が入手できないため、出汁は取られず、味噌、醤油、塩が不足していたためにまともな味付けがされる余裕も無かった。塩味を補うため、海水で煮るなどの調理も行われた。ほとんどの場合、汁に野菜や肉などの具が入ることが無かった。サツマイモの葉や蔓など本来、日本では食用にせず捨てていた部位を具にしていた。当時の体験談によれば、団子は中心部まで火が通らない生煮えの状態で食べることが日常であった。団子を噛むと生煮えの生地が歯にニチャニチャとこびり付き、小麦粉の品質の悪さも手伝って非常に不味かったそうである。現在では終戦記念日に戦時中のすいとんを食べて、過去を偲ぶ行事が日本全国で行われる。

 代用食スイトンの話は,両親だけでなく,私の親の世代の人たちからよく聞かされた. 上の Wikipedia【すいとん】の記述は間違いない.

 ところが,ここに一つヘンな資料がある.
 昭和十八年(1943年)九月十日に読売新聞に掲載された,スイトンの作り方である.
 読売新聞社は,Yomiuri Online の記事のURLを他者がブログ等に記載することは無断引用にあたるとの立場を取っているため,ここにURLを書かないが,コンテンツ『大手小町』トップ→[くらし100年]→[100年レシピ]→[【No.11】すいとん 戦中「代用食の献立」]で見つかる.(Yomiuri Online 掲載日は4/24)

 さてそのスイトンのレシピ概略は以下の通りである.
[材料]
ニンジン100g,ダイコン,タマネギ各150g,長ネギ25g,メリケン粉 (小麦粉)350g,ふくらし粉(ブログ筆者註;ベーキングパウダーのこと)19g,出汁5合,煮干し10本
[作り方]
鍋に長ネギ以外の野菜と出汁,煮干しを入れ,煮込む.
メリケン粉にふくらし粉を混ぜておく.
これに塩を茶さじ1杯加え,3分の1の容量の水で溶く.
野菜が軟らかになったら,しょうゆと塩で調味して,この中へメリケン粉の溶いたものをさじですくい落とす.
小麦の団子が煮えたら長ネギを入れ,さっと煮たてて火を止め,熱いところを供する.

 これだけ読めば,取りたてて変哲のない郷土料理のスイトンであるが,妙なのは,このスイトンの作り方が読売新聞に掲載された日が,前記のように昭和十八年(1943年)九月十日だという点である.

『大手小町』の担当記者は,このレシピを《すいとん 戦中「代用食の献立」》だとして掲載しているのだが,無論これは戦時中の代用食のスイトンではありえない.
(話は横に逸れるが,「メリケン粉」と「小麦粉」は同義ではない.件の読売の記事に「メリケン粉」と記載されていたとしても,はたして戦時中に「メリケン粉」が入手できたものか疑問である)
 連合軍の反攻激しくなり,アッツ島で日本軍守備隊が玉砕し,これ以後,太平洋上の拠点で守備隊が全滅を始める中,国民生活いよいよ耐乏化を深める状況下に,当時の読売新聞はどういうつもりでこのスイトンを掲載したのであろうか.謎である.

 Wikipedia【読売新聞】の記述によれば,戦後の悪名高い読売新聞拡販団の《ヤクザ風に凄んで新聞を取らせる、勝手に半年契約のハンコを押す》働きによって全国紙化を果たすまで《読売新聞は関東一円のブロック紙にすぎなかった》という.《かつては教養ある日本人は読売新聞を読んだり、読んでいることを知られるのを恥じる》という種類の新聞であった.
 つまり戦時中の読売新聞の読者は,あからさまにいって下層階級であったのだが,それならばなおのこと,代用食スイトンならばともかく,具の入ったスイトンを掲載した理由がわからない.
 料理記事なんぞ,どうでもいいものとして適当なことを書いたのであろうか.

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