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2014年5月

2014年5月31日 (土)

赤ワインの仮説

 私の親しい友人にワイン好きの男がいる.
 普通は「ワインが好き」というと,懐具合がよくて薀蓄たれという鼻持ちならない野郎であるが,この友人は年金生活者なので,薀蓄こそ盛大にたれるが安ワインしか飲まない (飲めない).
 その薀蓄の一つが「フレンチパラドックス“French paradox”」である.

 Wikipedia【フレンチパラドックス】
フレンチパラドックス(英: French paradox)とは、フランス人が相対的に喫煙率が高く、飽和脂肪酸が豊富に含まれる食事を摂取しているにもかかわらず、冠状動脈性心臓病に罹患することが比較的低いことが観察されていることを言う。フレンチパラドックスの用語は、フランスのボルドー大学の科学者であるセルジュ・レナウド博士による造語である。赤ワインが心臓疾患の発生率を減少させることを推定したこのパラドックスの説明が、1991年に米国の「60 Minutes」で放映されたときは、赤ワインの消費量が44%も増加し、いくつかのワイナリーは、製品に「健康食品」のラベルを付ける権利の獲得のためにロビー活動を始めた。

 これはフランスの研究者 Serge Renaud が立てた仮説に過ぎないのであるが,有名な学術誌である The Lancet に掲載されたとたん,世の酒飲みに大受けした.
 上に書いた私の友人は,冠状動脈疾患に関する仮説に過ぎぬフレンチパラドックスを,強引に「赤ワインこそが百薬の長である」と言い張り,安飲み屋で二本も赤ワインを飲んで翌日は二日酔いに苦しんでいる有様である.
 百薬の長で二日酔いになったら,それこそがパラドックスというものだ.

 さて S. Renaud による赤ワインの仮説が広まったあと,これを批判する研究者がいて,結局,《WHOにより提示された1990年から2000年の統計情報は、フランスで心臓病の発生率が過小評価されている可能性があり、実際には近隣諸国の発生率とあまり変わらないかもしれないとし、食物研究評価の著者は、飽和脂肪酸の消費と冠動脈心疾患リスクとの間に因果関係を確立するためには十分な証拠はなかったと結論付けた》ということになってしまった.(Wikipedia【フレンチパラドックス】)

 一昨日の日本語版 WIRED (5/29) に「赤ワインは健康にいい、わけではない」という記事が掲載された.

 これまでフレンチパラドックスは,赤ワインに含まれるポリフェノールであるレスベラトロールと関係があると考えられてきた.(Wikipedia【レスベラトロール】参照)

 日本語版 WIRED の記事によれば,ジョンズ・ホプキンス大学医学部の研究者たちは,イタリア・トスカーナ州のキャンティ地方にある三つの村落に住む,六十歳以上の約八百人を実験の対象として,尿中のレスベラトロール量を毎日検査した.
 この1998年から2009年まで実施された疫学研究で得られた結論は,炎症マーカー・循環器系疾患・ガン・死亡率と,摂取レスベラトロール量との間に相関関係はないというものであった.(報告は2014年,アメリカ医師会内科学雑誌 Jama Internal Medicine 電子版に掲載され,Wikipedia【レスベラトロール】にも記述されている)

 いささかダメ押しの感はあるけれど,これでフレンチパラドックス仮説は終わったということだろう.件の赤ワイン二日酔いの友人に今度会ったら,貴君が好きなキャンティごとき安ワインは百薬の長ではないと説教してやろうと思う.

 余談だが,日本の某ビールメーカーの研究チームが,ビールは健康にいいという説を発表したが,これは全然話題にならなかった.
 当然である.世の高尿酸値のお父さんたちは,ビールは体によくないと,かたく信じているし,若い人は健康なんぞ気にしつつビールを飲んでいるわけがないからである.

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2014年5月30日 (金)

晩年いかに生くべきか

 本を読んだり,音楽を聴いたり,絵を描いたりなど,頭を使うことをするとボケにくいという説がある.
 また総合的に「頭を使う」という意味で,老いても漫然と家にいるのではなく,社会に出て色んな活動をするのも良いと言われる.
 その一方で,クルミの実を二つ掌に握り,カリカリとこすり合わせるとボケ防止になるとの話も聞いたことがある.これは全然頭を使わないが,指を動かすのが脳に刺激を与えるから良いのだそうである.

 いずれにせよ科学的な根拠のあることではなさそうだが,かといって逆効果も考えにくいことではある.
 そのデンでいくと文章を書くのも効果がありそうで,私がブログに雑文をつづっているのも,ボケ防止になるかもという気がしないでもない.

 ところが,である.
 次の文章を読んで頂きたい.武者小路実篤が最晩年に書いたものである.
(よく知られた文であるが,ここには山田風太郎『人間臨終図巻 4』(徳間文庫版) から転記した)

 僕は人間に生まれ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世を生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間は立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい。

 武者小路実篤がこれを書いたと知っているからこそ胸ふたがれる思いがするが,そうでなければ「なにいってんのかわかんねーよバカヤロー」というところである.
 長編をものする職業作家ですら最後はこうなってしまうのであれば,私ごときがブログに短い文章を書き殴ってみたところで,脳にいかばかりの刺激があるのか,ほとんど望みなしなのかも知れない.
 そうだとすると私も次第に意味不明のことを書くようになるかもしれず,もしそうなったら「なにいってんのかわかんねーよバカヤロー」とコメントをもらっても,なぜそう言われるのか,悲しいかな理解できなくなっているだろう.

 ピンピンコロリで死にたいものだと人々は言う.
 まさにその通りであって,カクシャクとしていながら,ある日突然眠るように大往生というのが理想ではあるが,多少足腰に故障があったとしても,気だけは確かでいたいと誰しもが思うだろう.
 しかし問題は,自分は気が確かだと思っていても他人からみると十分にボケているということが多々あることである.
 つまりカクシャクとボケの境界がはっきりしないのだ.
 頭のボケ具合は人によって実にいろいろだが,老人にはボケていない人,ボケてしまった人,ボケていない人がいる.老人にはいろいろの人がいる.その内には完全にボケた人がいる.ボケずに生きた人,ボケずに生きられない人もいた.しかし人間はボケずに生きた人もいるが,中々生きられない人もいた.老人は皆,ボケずに生きられるだけ生きたいものと思う.この世にはボケずに生きた人,ボケずに生きられなかった人がいる.皆ボケずに生きてもらいたい.皆ボケずに生きて,この世にボケずに生きられる人は,ボケずに生きられるだけ生きてもらいたく思う.皆,人間らしくボケずに生きてもらいたい.
 なにいってんのかわかりませんか.おかしいなあ.

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2014年5月29日 (木)

ブラック政権

 第一次安倍政権が導入を試みたが,「残業代ゼロ」法案と批判されて断念した制度を,現安倍政権は再び持ち出した.
 歴代自民党政権の中でも突出して反動的な現政権の特徴的な政策はいくつもあるが,内政上はこれが最悪のものである.
 厚労省が昨年,いわゆるブラック企業について調査したところ,調査対象とした五千超の事業所のうち約八割で法令違反があった.違反の内容は違法な時間外労働と賃金不払い残業が主だった.
 現行労働基準法では,雇用主が従業員を一日八時間を超えて働かせると割増賃金を払う義務があるが,安倍政権はこの規制を撤廃し,ブラック企業の違法性を解消してしまおうとしている.
 ブラック企業をなくそうというのではなく,ブラック企業が法違反に問われないように労働基準法を根本から変えようというのである.すなわち戦後の労働行政を,労働者保護から産業界保護へと転換するのだ.
 この問題についての全国紙の報道は断片的で緩慢である.今のところ詳しい解説としては東洋経済オンラインの《「ヒラ社員も残業代ゼロ」構想の全内幕》(5/26掲載) がわかりやすい.

 さて一昨日,田村憲久・厚生労働相は,この「残業代ゼロ」法案が《(低所得の) ワーキングプアの人が対象になることはありえない》と述べた.
 安倍政権の成長戦略を担当する甘利明・経済再生相も,この日の記者会見で《極めて所得の低い人があてはまるとは思っていない》と述べた.(以上,《》は朝日新聞DIGITAL 5/28 7:26 から引用)
 この二人の発言で問題なのは「ワーキングプア」や「極めて所得の低い人」が曖昧模糊としていることである.
 しかし一般的な理解としては,「ワーキングプア」とは四人世帯で年収三百万円以下の就労世帯,「極めて所得の低い人」とは生活保護レベル以下の労働者を指すと考えてよかろう.
 となると,両大臣の発言は,言い換えれば勤労者のほとんどが「残業代ゼロ」法案の対象であると言っていることになる.
 労働行政における監督官庁である厚労省は,安倍政権のこの労働基準法改悪になんとか抵抗を試みている (かのように見える).そうしないと,労働基準監督署は有名無実のものとなってしまうからであろう.
 こんな事態が進行しているのに,肝心の勤労者層はほとんど無関心のように思われる.
 いっそのこと,「残業代ゼロ」法案が成立してしまえばいいと私は思う.そうすれば,いくらなんでも国民の安倍政権支持率は低下し,この戦後最悪の政権を窮地に追い込むことができる可能性がでてくる.
 我が国では既に死に体となって久しい労働組合は何もできないだろうが,その代わりにネットがある.これが役に立つのではないかと思う.国会周辺を,スマホを持った十万,二十万人もの低所得勤労者とワーキングプアが埋め尽くす光景を観てみたいものだ.もしも今の下層勤労世代が戦後二度目の怒れる世代となるなら,私は老骨に鞭打ち,這ってでも国会前に参じるのであるが.

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2014年5月26日 (月)

人間臨終図巻「長谷川一夫」

 長年にわたって思い込んできた事柄が事実と異なっていると,大層驚くことになる.

 昨日,山田風太郎『人間臨終図巻 3』(徳間文庫版) を読了した.
 巻末は長谷川一夫である.

 長谷川一夫は,昭和五十九年二月十七日に繁夫人が肺ガンで亡くなったあと,同月二十九日の葬儀の陣頭指揮をとった.
 そして彼自身は,妻の死から二ヶ月も経たぬ四月六日に逝去した.
 当時,長谷川一夫の急逝は,最愛の妻を失った落胆によるところが大きいと語られ,私はそれをずっと信じていた.
 ところが長谷川一夫は,最愛の妻の死後にその遺言書を読み,妻に裏切られていたことを知ったのだという.
 それでは全く話が違うではないか.
 このことは,というより晩年のこと自体が Wikipedia【長谷川一夫】には記載されていない.なぜ?

 上の長谷川一夫のこととは全く違うのだけれど,驚いて二の句が継げないのは尾形乾山だ.
 Wikipedia【尾形乾山】にはこう書かれている.
享保16年(1731年)69歳の時、輪王寺宮公寛法親王の知遇を受け、江戸・入谷に移り住んだ。元文2年(1737年)9月から初冬にかけて下野国佐野で陶芸の指導を行う。その後江戸に戻り、81歳で没した。

その後江戸に戻り、81歳で没した》がどのようなことかというと,『人間臨終図巻 4』(徳間文庫版) によると,乾山は江戸の長屋で誰一人看取る者なく寛保三年六月二日に死去したという.長屋の人々はこの老人が尾形光琳の弟にして光琳と並ぶ大芸術家であるとは知らず,葬式費用も長屋の人たちが工面した.

 日本史の教科書にその名が記されている人物にして,百科事典に《81歳で没した》とのみ書かれているという有様だが,これまで私は別段不思議には思わなかった.

 政治的な意味の「歴史認識」とは全く異なるが,日本の文化に関する私の歴史認識はこの程度なのだと愕然とした.

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2014年5月25日 (日)

櫻井よしこと天皇

 週刊文春 (5/29号) の『私の読書日記』で鹿島茂は,岩井克人の『資本主義から市民主義へ』(ちくま学芸文庫) を取り上げ,岩井克人の法人概念について解説したあと,次のように述べている.

ヒトであると同時にモノ(法)というのが法人の本質なら、天皇こそはその法人の最たるものではないか? とりわけそれを感じるのは、昭和前期、右翼やテロリストたちが抱いていた天皇のイメージである。

 続いて鹿島は『昭和天皇「よもの海の謎」』(新潮選書) を取り上げる.
 昭和十六年九月六日の御前会議において昭和天皇は,明治天皇の御製「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を読み上げて,ヒトとして開戦回避の意志を示した.しかし東条英機陸軍大臣らはこれを無視し,法人天皇の二重性を衝いて,モノとしての天皇を担いで開戦へと突き進んだというのが,鹿島による『昭和天皇「よもの海の謎」』の紹介である.

 さて櫻井よしこが《「日本らしさ」の根本とはいったい何でしょうか。日本が日本である所以、国柄の大もとになっているもの、それは皇室の存在です。王室を戴く国は世界に27ありますが、万世一系で悠久の歴史を保ち続けてきたのは日本の皇室だけです》(SAPIO 2014年6月号) と書くとき,この女の頭の中にあるのは,鹿島茂の表現を借りれば,ヒトとしてではなく,モノとしての天皇である.
 齢六十半ばになりなんとする私のような老人でも,「日本らしさの根本」が何かといえば,それはこの国に住む私たちの暮しであり,心のありかたであると承知している.
 しかるに櫻井は,古色蒼然たる国体概念を《日本が日本である所以、国柄の大もとになっているもの》とソフトに言い換えつつ,しかし「万世一系」「悠久の歴史」のスローガンはそのままに,日本という国家のアイデンティティを天皇に押し付ける.
 そこには人間としての天皇は存在しない.あるのは政治アイテムとしての,担ぎあげるモノとしての天皇にすぎない.その意味で,櫻井よしこは東条英機の直系なのである.

 かつて美智子皇后は,天皇を代弁して「皇室とは祈りである」と語った.そして天皇と皇后は,日本国の日本国たる所以が日本国民にあれかしと祈り続けてきた.
 未曾有の災害に遭って親や子や愛するものを失い,住む家を追われた人々のところに足を運び,共に悲しみ,人々の再起を祈った.
 そこにモノとしての天皇はない.祈りは,人間の行為だからである.

新日本建設ニ関スル詔書 (昭和二十一年一月一日)
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ 終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ 単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ 且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ 延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

 櫻井よしこは《中国人や韓国人と同じことをするとしたら、彼らと同じレベルに落ちてしまう》と書いて他国民に対する偏見を扇動し,「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族」と主張せんがために天皇を利用する.
 人間としての天皇は,櫻井の眼中にはない.
 いったい天皇を何だと思っているのか,この不忠者めがっ.ヾ(--;)こらこら

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2014年5月24日 (土)

櫻井よしこのヘイトスピーチ

 SAPIO (2014年6月号) が櫻井よしこの「ヘイトスピーチは日本人の誇りの欠如が原因」と題した文章を載せている.
 この一文の中で櫻井よしこは,在日韓国人や在日朝鮮人に対するヘイトスピーチは,私たちに日本人としての誇りや道徳が欠如しているからだとして,次のように書いている.
根拠なく日本に罵詈雑言を浴びせ続ける中国人や韓国人と同じことをするとしたら、彼らと同じレベルに落ちてしまうことを自覚すべきです。

 ここまであからさまに隣国人に対する差別感情を書く人物はそう多くない.いかにも根性曲りらしい,ひねくれた言い回しで,あたかもヘイトスピーチをたしなめるかのようなフリをしつつ,この文章そのものがヘイトスピーチに他ならない.
 櫻井よしこは続いてこのように書いている.
「日本らしさ」の根本とはいったい何でしょうか。日本が日本である所以、国柄の大もとになっているもの、それは皇室の存在です。王室を戴く国は世界に27ありますが、万世一系で悠久の歴史を保ち続けてきたのは日本の皇室だけです。

 同様に,ここまであからさまに皇国史観を説く人物はそう多くない.
 この女の頭の中には,先の戦争は一切なかったものであるのだろう.
 だとするならば,《日本が日本である所以、国柄の大もとになっているもの》などと姑息に隠蔽をせず,はっきり国体と書け,国体と.そして旭日旗とハーケンクロイツを押し立てた憎悪と差別のデモ隊列の先頭に立って歩くがいい.

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2014年5月23日 (金)

雑多感想 5/23

(一)
 朝日新聞DIGITAL(5/21) に「パソコンで聴く音楽を高音質にできるUSB-DACとは」と題した記事が掲載されている.
 USB-DACには安価なものから比較的高価格帯の機器まで色々あるけれど,この記事に紹介されているラトックシステム RAL-24192HA1 の,実際の通販価格をみて驚いた.
 安いところでは 27,000円だが,同じものを 55,000円で販売している業者もある.
 実に三万円近い差があって,55,000円ならもう一ランク上 (機能的に) のものが買える.
 高値で売っている業者は,実際にその価格で売れているのだろうか (売れると思っているのだろうか).

(二)
 いささか旧聞に属するが,少年を襲った隣家の犬を体当たりで撃退した飼い猫のこと.
 私が観た動画には“Heroic Cat Saves Boy Dog Attack”とキャプションが付いていて,アップされている他の動画も,みんな“Heroic Cat”とその猫を呼んでいる.
 犬に噛まれた少年と母親が“Hero”と表現しているからであるが,なるほどヒーローである.
 主人を救う飼い犬の話なら,いかにもありそうなことだが,猫でも窮地の友人を救うという行動をするのだなあと感心.

(三)
 理研の小保方研究員の不正な論文について理研は継続調査をしているが,理研の調査委員会が改竄と捏造があると認定して撤回を勧告した論文とは別の論文に、画像の不正があると報じられている.
 しかしもうこれは,誰も騒がぬ小さなネタでしかない.
 小保方晴子は既に消費されたのである.

(四)
 先日の記事「スイトンの謎」に関して,何か参考になることが書いてないかと,暮しの手帳編『戦争中の暮しの記録』(昭和四十四年初刷) をパラパラとめくってみた.
 あいにくスイトンのレシピについての記述はなかったが,忘れていた一枚の写真が目を引いた.
「路傍の畑」の節に載っている「耕せるところはどこでも耕した」とキャプションの付いた写真である.
 その「耕せるところ」とは大日本帝国国会議事堂の前であり,畑の中に議事堂が建っているという,まるで漫画のような光景なのであった.

(五)
 その暮しの手帳の編集長であった花森安治は,戦時中,大政翼賛会の外郭団体に籍を置いて国策広告に携わったために,「欲しがりません勝つまでは」が花森の考案によるとの誤解が広まったと Wikipedia【花森安治】にある.
 花森作といわれるキャッチコピーは他にもあって,それはどうなんだろう.誰か知っている人が Wikipedia【花森安治】に書いてくれないものだろうか.
 私がいま読んでいる山田風太郎『人間臨終図巻 3』に,花森安治の死に際が,批判なしに,むしろあたたかく淡々と書かれている.
 生前の花森は『戦争中の暮しの記録』にこう書いた.
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、そのまた後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。
 私はそうしようと思っている.

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2014年5月22日 (木)

魚用の箸

 昔の殿様は,煮魚でも焼き魚でも,上側の身だけ食べて,あとは残したと聞いたことがある.
 いかにもありそうな話だが,本当かどうかわからない.

 Wikipedia【骨なし魚】には,骨なし魚の消費ターゲットは高齢者や病人向,外食産業向けと書かれているが,学校給食にも採用されていると聞いたことがある.
 というのは,水産庁が学校給食での骨付き魚の普及に乗り出すと新聞に書いてあったからで,つまり現状では骨なし魚が使われているのだろう.(Yomiuri Online 5/21 15:04)
 水産庁としては,子供の頃から骨付きの魚を食べる習慣を付けることで,魚の消費を拡大させようという狙いなんだとか.
 さて,今の子供たちが,骨付きの魚を食べることができるだろうか.

 私はどうかといえば,食べ終わったあと,皮を食える魚なら皿に残るのは骨だけ,皮がうまくない魚の場合は皮と骨だけが残る.
 これはもう意地汚さのなせる技であって,作法とかマナーとか,魚の命をありがたくいただくとかの説教は無関係だ.

 話は横に飛ぶが,昔,東京駅の近くにあった蕎麦屋では,先端が爪楊枝のように尖った特別製の箸を出した.
 指先で触ると,チクッとするくらいの感じである.
 店員の説明によると,この箸なら,蕎麦を盛ったザルの目に入り込んだ蕎麦の切れっぱしも残さず食べることができますとのことであった.
 やってみると確かにそうであったので感心したが,そこで思ったのは,この箸なら小骨の多い魚をきれいに食べるのに重宝だろうなあということ.
 以来,通販でも箸専門店でもこのような箸を見かけたことはないが,柘植箸の先端を自分で削れば自作できそうではある.

 尖った箸なら子供でも上手に魚を食べることができると思うが,しかし学校給食でそんな箸を使おうものなら事故が起きそうだ.
 やはり給食で使用するのは無理だろうなあ.

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2014年5月21日 (水)

雑多感想 5/21

(一)
 朝日新聞DIGITAL(5/19 23:13) に《皇后さま「大きくなって」 皇居でカイコの「給桑」行事》という記事が載った.
 前にも書いた覚えがあるが,明治時代に昭憲皇太后が始めた皇室の養蚕は,美智子皇后が今に受け継いでいる.
 この記事に添えられた画像は,皇后が国産種の蚕「小石丸」に桑の葉を与えているところである.
 これを見ると,竹で作った畳半畳ほどのスノコに畳表のようなものを敷き,その上に「小石丸」と桑の葉が置かれている.
 これが古式の方法なのかと興味深かった.

(二)
 Yomiuru Online の書評『トロイアの真実 アナトリアの発掘現場からシュリーマンの実像を踏査する』(大村幸弘著 山川出版社) を読むと,とてもおもしろそうな本なのだが,2700円という価格なので,ちょっと購入をためらっている.

(三)
 私はこの数ヶ月,ずっと歯の治療を続けている.
 歯周病で前歯数本の根元のセメント質が露出し,そこに虫歯ができたのである.
 で,当然のことながらドリルで患部を削る.
 そのドリルのチャックというか,ドリル刃を回転させるパーツを,七割の歯科医療機関が滅菌せず使い回していることが,国立感染症研究所などの研究班の調査で判明したという.
 私が通っている歯科医も,たぶんそうだ.うわ.

(四)
 昨日の朝刊から朝日新聞が,東電福島原発の元所長,故吉田昌郎氏が政府事故調に語った証言「吉田調書」に関する連載を開始した.
http://www.asahi.com/special/yoshida_report/
 相当気合の入った特集記事になるだろう.
 いつもは朝日新聞DIGITAL を読んで済ませている私だが,久しぶりに駅売りの新聞を買った.

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2014年5月20日 (火)

Tomb Raider Anniversary (3)

第1章 Peru:古代都市ビルカバンバ

 前節の「洞窟」から先に進むと,いきなりクマが出てきて戦闘になる.
 これは,このクマを相手にアドレナリンダッジを練習しなさいとのチュートリアルなんであるが,どうしてもこれが上手くいかない.
 クマのブチかましで体力を二割がた持って行かれてしまう.
 ここを無傷で通過するのは無理そうなので,体力がちょっと減った状態ではあるが,そのままメディパック (薬袋) は使わずに先へ進むと,古代都市ビルカバンバに入った.

画像1
Tra051901

 すると無人の集落(画像2 ↓)にでるのだが,ここでメディパックと弾丸,アーティファクトを一つ手に入れることができる.クマが襲ってくるが,ここは広い場所なので,アタックをかわしながら倒すのは簡単.

画像2
Tra051902

 画像3の二階にも隠しアイテムがあるのだが,画像2の奥に見える檻のような箱をここまで移動させて,その上に乗って二階に上がると手に入れることができる.

画像3
Tra051903

 水路の底とか順路の陰にもメディパックが隠してあるので,取りこぼしのないようにしなければいけない.

 集落廃墟を出ると,遺跡の入り口 (画像4) だ.
 この門の右側通路にある貯水槽にはメディパックが沈んでいる.

画像4
Tra051904

 ビルカバンバを通過すれば次のステージのロスト・バレーであるが,ここまでに拾ったアイテムは,メディパック (大) が3,メディパック (小) が9,ショットガンの弾丸が24発である.
 ここまでメディパックは一つも使うことなく到達できる.たぶん取りこぼしは無いと思う.

画像5
Tra051905

 困ったことに,ビルカバンバでは,いわゆるプチフリーズが頻繁に起きた.
 Win7 64bit でゲームを続けることができるのか,先行きが不安である.

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2014年5月19日 (月)

スイトンの謎

 昨日の記事「赤ウインナ」に《朝も昼もサツマイモの蒸かしたのを食べ,夜はスイトンをすする》と書いた.
 そのスイトンについて続きを.

「所得倍増」をスローガンに掲げた第一次池田内閣が発足したのは昭和三十年(1955年),経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたのは昭和三十一年(1956年) であった.
 この頃には既に都市部における食糧難は去り,時たまサツマイモを食うことはあっても,麦飯が庶民の主食に復帰していた.
 姉と私が小学校に通っている頃の我が家の夕食にスイトンが出ることがあったが,それはもう戦時中の代用食のスイトンではなかった.

 ものの本によれば,本来のスイトンは各地に伝わる郷土料理であって,戦時中のスイトンとは全くの別物であったというのが,まあ常識であるといっていいだろう.
 以下に Wikipedia【すいとん】から引用する.

戦時中の代用食
第二次世界大戦末期から終戦の食糧事情の悪い時期の日本で、主食の米に変わる代用食として「すいとん」という名称の料理が作られた。これは郷土料理のすいとんと同名であるが、調理方法の全く異なる料理である。
戦争による物資に乏しい時代背景から小麦粉が不足していたため、水で緩く溶いた小麦粉を汁、または味の無い湯に直接落とし込んで団子のように固める。昆布、煮干や鰹節が入手できないため、出汁は取られず、味噌、醤油、塩が不足していたためにまともな味付けがされる余裕も無かった。塩味を補うため、海水で煮るなどの調理も行われた。ほとんどの場合、汁に野菜や肉などの具が入ることが無かった。サツマイモの葉や蔓など本来、日本では食用にせず捨てていた部位を具にしていた。当時の体験談によれば、団子は中心部まで火が通らない生煮えの状態で食べることが日常であった。団子を噛むと生煮えの生地が歯にニチャニチャとこびり付き、小麦粉の品質の悪さも手伝って非常に不味かったそうである。現在では終戦記念日に戦時中のすいとんを食べて、過去を偲ぶ行事が日本全国で行われる。

 代用食スイトンの話は,両親だけでなく,私の親の世代の人たちからよく聞かされた. 上の Wikipedia【すいとん】の記述は間違いない.

 ところが,ここに一つヘンな資料がある.
 昭和十八年(1943年)九月十日に読売新聞に掲載された,スイトンの作り方である.
 読売新聞社は,Yomiuri Online の記事のURLを他者がブログ等に記載することは無断引用にあたるとの立場を取っているため,ここにURLを書かないが,コンテンツ『大手小町』トップ→[くらし100年]→[100年レシピ]→[【No.11】すいとん 戦中「代用食の献立」]で見つかる.(Yomiuri Online 掲載日は4/24)

 さてそのスイトンのレシピ概略は以下の通りである.
[材料]
ニンジン100g,ダイコン,タマネギ各150g,長ネギ25g,メリケン粉 (小麦粉)350g,ふくらし粉(ブログ筆者註;ベーキングパウダーのこと)19g,出汁5合,煮干し10本
[作り方]
鍋に長ネギ以外の野菜と出汁,煮干しを入れ,煮込む.
メリケン粉にふくらし粉を混ぜておく.
これに塩を茶さじ1杯加え,3分の1の容量の水で溶く.
野菜が軟らかになったら,しょうゆと塩で調味して,この中へメリケン粉の溶いたものをさじですくい落とす.
小麦の団子が煮えたら長ネギを入れ,さっと煮たてて火を止め,熱いところを供する.

 これだけ読めば,取りたてて変哲のない郷土料理のスイトンであるが,妙なのは,このスイトンの作り方が読売新聞に掲載された日が,前記のように昭和十八年(1943年)九月十日だという点である.

『大手小町』の担当記者は,このレシピを《すいとん 戦中「代用食の献立」》だとして掲載しているのだが,無論これは戦時中の代用食のスイトンではありえない.
(話は横に逸れるが,「メリケン粉」と「小麦粉」は同義ではない.件の読売の記事に「メリケン粉」と記載されていたとしても,はたして戦時中に「メリケン粉」が入手できたものか疑問である)
 連合軍の反攻激しくなり,アッツ島で日本軍守備隊が玉砕し,これ以後,太平洋上の拠点で守備隊が全滅を始める中,国民生活いよいよ耐乏化を深める状況下に,当時の読売新聞はどういうつもりでこのスイトンを掲載したのであろうか.謎である.

 Wikipedia【読売新聞】の記述によれば,戦後の悪名高い読売新聞拡販団の《ヤクザ風に凄んで新聞を取らせる、勝手に半年契約のハンコを押す》働きによって全国紙化を果たすまで《読売新聞は関東一円のブロック紙にすぎなかった》という.《かつては教養ある日本人は読売新聞を読んだり、読んでいることを知られるのを恥じる》という種類の新聞であった.
 つまり戦時中の読売新聞の読者は,あからさまにいって下層階級であったのだが,それならばなおのこと,代用食スイトンならばともかく,具の入ったスイトンを掲載した理由がわからない.
 料理記事なんぞ,どうでもいいものとして適当なことを書いたのであろうか.

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2014年5月18日 (日)

赤ウインナ

 思い出は最高の調味料であると言ったのは誰であったか.

 読売新聞社サイトのコンテンツである掲示板『発言小町』に,母子家庭で育った男性が,仕事で忙しかった母親が作ってくれた目玉焼きとソーセージの食事を懐かしむトピが立っている.(「話題」タブ;5/16)
 ソーセージは,たぶんウインナを炒めたものであろう.
 トピ主は,今はもう亡くなった母を懐かしく思って自分で作ったりするのだが,目玉焼きとソーセージを新婚の妻が「お袋の味がそれ?」「貧乏くさい」と貶すのだそうで,次第に彼は妻が疎ましくなってきたと書いている.

 私の母親は料理下手であった.
 戦時中は親元を離れ,新潟の海軍病院で看護婦見習いとして働き,戦後は群馬で所帯をもったものの,戦時中と変わらぬ食うや食わずの生活.料理をしようにも材料がないわけで,料理がうまくなる道理がなかった.
 朝も昼もサツマイモの蒸かしたのを食べ,夜はスイトンをすする.
 おかげで終戦直後の一時期,目が見えなくなったことがあると母の口から聞いた覚えがある.
 昭和三十年代に入って食糧事情が大分よくなった頃,その料理下手な母がよく拵えたのは,キャベツとキュウリの千切りと,魚肉ソーセージを細く切ったものを混ぜて,これにウスターソースをかけたものであった.
 他人からすれば料理のうちに入らぬものだろうが,そこはそれ,思い出は最高の調味料.
 今でも姉と弟と,たまに会うと「あれはうまかったね」と思い出話で盛り上がる.
 いやもう,この上なく「お袋の味がそれ?」「貧乏くさい」ではありますが.

 母親が料理下手だったから,その反動で姉と私は料理が好きになった.
 中学生の時,新聞の家庭欄に載っていたレシピを頼りに,二人で餃子を作って家族に食べさせたのは今も記憶に残っているし,他にはホットケーキもよく拵えた.
 長じた私は,姉ほど料理上手ではないが,自分が食うくらいのものは一通り作れる.
卵料理なら,卵三個で紡錘形のプレーンオムレツも作れるし,サニーサイドアップもターンオーバーも,ひとに見せて恥ずかしくないものを焼ける.
 ではあるけれど,フライパンに蓋をして卵を蒸し焼きにした家庭風の目玉焼きも結構なものだと思うし,これに赤ウインナの炒めたやつが添えてあれば,昔はご馳走だったことに異論はない.

 さてその赤ウインナだが,昭和中頃の昔は魚肉やウサギの肉を使用していたと聞いているが,今はどうか.原材料を以下に示す.(《》は各社のサイトから引用した)

[日本ハム 切れ目入り赤ウインナー]
豚肉、豚脂肪、鶏肉、鶏皮、結着材料(ポーク粗ゼラチン、大豆たん白、卵たん白、乳たん白)、食塩、香辛料、糖類(水あめ、ぶどう糖、砂糖)、還元水あめ、ポークエキス、豚コラーゲン、たん白加水分解物、酵母エキス、加工デンプン、調味料(有機酸等)、リン酸塩(Na)、カゼインNa、酸化防止剤(ビタミンC)、増粘多糖類、pH調整剤、発色剤(亜硝酸Na)、着色料(コチニール、アナトー)、香辛料抽出物、(原材料の一部に牛肉を含む)

[丸大食品 おべんとうの赤]
豚肉、鶏肉、豚脂肪、結着材料(でん粉、植物性たん白)、食塩、砂糖、チキンエキス、香辛料、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、リン酸塩(Na)、保存料(ソルビン酸)、酸化防止剤(ビタミンC)、pH調整剤、発色剤(亜硝酸Na)、アナトー色素、(原材料の一部に卵、乳、牛肉、大豆を含む)

 比較のために普通のソーセージの例も挙げておく.

[伊藤ハム グランドアルトバイエルン]
豚肉、豚脂肪、糖類(水あめ、砂糖)、食塩、香辛料、調味料(アミノ酸等)、リン酸塩(Na)、酸化防止剤(ビタミンC)、pH調整剤、発色剤(亜硝酸Na)

「切れ目入り赤ウインナー」も「おべんとうの赤」も,使用肉こそ豚肉であるが,わざわざ買ってまで食うことはない品質ではある.
「表面が白くなった目玉焼きの赤ウインナ添え」は遠い昭和の思い出にしておくのがよさそうだ.

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2014年5月16日 (金)

悪質ではない 頭が悪いだけだ

 朝日新聞DIGITAL(5/16 18:18) に「切り張り、セーフとアウトの境目は? STAP論文画像」という記事が掲載された.

 この記事には小保方研究員 ( 以下,小保方) がやった電気泳動像の切り貼りをイラスト化した画像が載っているのだが,あきれたことに,このイラストがデタラメである.
 小保方はもっと悪質なことをやっている (もちろん故意に) のだが,それは理研の「研究論文の疑義に関する調査委員会」の報告書「不服申立てに関する審査の結果の報告」に詳しく述べられている.

 この報告書は,小保方のやったことがなぜ研究不正なのか,委員長を辞任した石井氏の場合はなぜ不正でないかを,非常に丁寧に説明しているのであるが,その丁寧さについて,交代した渡部委員長は「本人 (小保方) にも理解できるように書いた」と発言している (報告書は野依理事長宛てに提出されたものである).

 確かに修士レベルで容易に理解できるくらいに噛み砕いて書かれている.
 しかし残念ながら,調査委員会の報告書に対する小保方サイドの反応をみると,渡部委員長の親切もむなしく,小保方も弁護団もどうやら報告書の内容を理解できなかったようである.

 そして「切り張り、セーフとアウトの境目は? STAP論文画像」という記事のイラストを見る限り,朝日の記者にも理研の報告書に書かれていることが理解できなかったようだ.
 あるいは故意にミスリードしようとしているのかも知れないが,もしそうなら,悪質である.
 しかし私は,朝日の科学記者は悪質ではないと思う.頭が悪いだけだ.こらこら.

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2014年5月14日 (水)

雑多感想 5/14

(一)
 毎日新聞(5/13 21:11 掲載) に,湯川秀樹博士がコロンビア大で客員教授を努めていた頃に使っていた黒板を大阪大学が譲り受け,同大の理学研究科に移されたとの記事が載った.
 その記念式典が13日にあり,大阪大学特別栄誉教授の南部陽一郎先生が出席された.
 毎日新聞の記事にはそのときの写真があり,九十三歳の南部先生の,かくしゃくとして,にこやかな笑顔にわけもなく感動した.

(二)
 同じく毎日新聞.(5/14 4:28)
 ツキノワグマが群馬県桐生市役所の敷地内に迷い込み,守衛から通報があり,警察と地元猟友会メンバーが射殺した.
 桐生猟友会によると《クマは倉庫の奥で丸まって寝ていた。可哀そうだが、市街地だったので駆除はやむをえなかった》とのこと.(《》は毎日新聞の記事から引用)
 体重五十キロのまだ若いクマであった.こんな市街地に出てこなければ死なずに済んだものを哀れである.
 さてこのクマ,どこから来たものか.不思議である.
 どこかで飼われていたものではないかという気がするのだが.

(三)
 Yomiuri Online(5/13 10:55) 他の各紙が報じたところによれば,田村厚生労働相は昨日の記者会見で,基礎年金の受給開始時期を受給者の判断で遅らせ,七十五歳程度までの繰り下げ支給が選択できるようにすることを検討すると述べた.
 現行制度は六十五歳から支給であるが,厚労省は既にこれを七十歳まで引き上げる制度の検討に入っている.
 支給を七十歳開始にして,さらに七十五歳まで繰り下げ支給が可能とする.
 次のステップでは,支給を七十五歳開始にして,さらに八十歳まで繰り下げ支給が可能とする.
 もう一歩進めて,支給を八十歳開始にして,さらに八十五歳まで繰り下げ支給が可能とする.
 ついでだから,支給を八十五歳開始にして,さらに九十歳まで繰り下げ支給が可能とする.
 もう一つおまけに,支給を九十歳開始にして,さらに九十五歳まで繰り下げ支給が可能とする.
 もってけ泥棒っ,というわけで,支給開始を百歳からにすれば遂に年金制度改革の完成である.
 あなた百まで儂ゃ九十九まで,共にしらがの生えるまで,年金支給はありません.
 こうして実質的に,年金を受け取れる国民はほとんどいなくなる.(笑)
 それはそれとして,田村厚労相のプランによれば,生活保護費の増大が不可避となる.
 年金支給まで生活保護で食いつなごうというわけだ.
 これを回避するために,繰り下げ支給を希望した者には生活保護を受けさせない制度にすれば,誰がハイリスクな繰り下げ支給なんぞ希望するものか.
 こういうことに触れずにアドバルーンを上げて,馬鹿じゃなかろうか,この人は.

(四)
 静岡の知人から新茶が届いた.
 まことに美味.
 ところで,茶処静岡の家庭では,季節になれば当たり前のように新茶を飲むが,余所の地方ではどうなんだろう.

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2014年5月13日 (火)

小保方の同類による小保方批判

『世に倦む日日』というブログがある.閲覧カウンターは約15,000,000を示していて,かなり知られたブログのようである.
 記事は無料のものと有料のものとがあり,有料記事の中身はしらないが,最近の小保方論文に関する無料記事を読んだ限りでは,どうもこのブログ筆者は胡散臭い.

 例えば
http://critic20.exblog.jp/22103548/

(上記URLの記事のコピーはhttp://guide-navi.biz/internet/?p=2359にある)

において《3月以来、小保方晴子と若山照彦との間で、凄絶な神経戦が行われている》などと文学的表現満載で書いているが,その根拠は示していない.
 この文章全体的に,いかにも筆者自身が特別な情報を持っているかのごとき,いわゆる「中の人」のような書きぶりであるが,既に知られている筆者のプロフィール (本名など) からして「中の人」ではありえない.
 では,自分で取材したのか.
 そうでもなさそうである.
 つまりこの人は,単なる想像憶測を勝手に断定調で書いているのである.
(ついでに言うと,書いていることを読んだ印象では,この人は自然科学とは無縁の人であり,この記事で書かれている小保方論文の中身の批判はネット情報の寄せ集めであって,たぶんご本人は細胞生物学も自然科学論文の書き方も全く理解していないと思われる)

 おまけに,この『世に倦む日日』には多数の画像が掲載されているのだが,少なくともそれらの幾つかは,既にネット版新聞など他のメディアに掲載された画像をトリミングしたものである.(関心ある向きは,ニュースサイトの既掲載画像と,この『世に倦む日日』に掲載されている画像を重ね合わせてみられたい)
 そして,『世に倦む日日』には,そのトリミングされた画像の引用元が示されていない.(仮に引用元を示したとしても,論旨に不可欠でない引用は正当な引用ではなく,またトリミングは改竄にあたるのだが)
 結論をいうと,このブログ『世に倦む日日』の筆者は他人が撮影した画像の「切り貼り」でブログを書いており,自分が激しく批判している小保方研究員の同類なのである.目くそが鼻く (以下省略).

 それにしても,他人が所有する画像をトリミングして自分のブログに載せるとはいい度胸である.これだけ堂々と著作権を無視している有名ブログは他にないのではないか.

【5月14日追記】
 上に挙げた『世に倦む日日』の小保方批判記事について,私は記事全体をキャプチャして保存してある.『世に倦む日日』の筆者が,あとで画像を削除して画像剽窃を隠蔽したときのためである.もしそんなことをしたら,また私のブログで書くことにする.
 特に若山教授の顔が写っている画像,これは撮影した新聞社が告発すれば一たまりもない盗用であるが,これに限らず,おそらく小保方関連以外にも画像盗用はたくさんあるのではないか.こんな盗人のごとき人物のブログに提灯コメントを書いている人々の気が知れぬ.千五百万ページビューが聞いてあきれる無法ブログだ.

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2014年5月12日 (月)

Tomb Raider Anniversary (2)

第1章 Peru:洞窟

 PCゲームにも色々あって,Windows 標準のキャプチャソフトでスクリーンショットが撮れるものと,そうでないものがある.
 この“Tomb Raider Anniversary”は,撮れないタイプだ.
 そのため,別にキャプチャソフトを用意しないといけないのだが,何千円もするシェアウェアを購入するまでもない.フリーウェアの Bandicam で充分だと思う.
 以下の画像は Bandicam を使用して撮ったスクリーンショット.

 さて多分この節「洞窟」はチュートリアルの位置付けなのだろう.ヒロインのララが進むべきルートは,一本道であった.
 そのため,ついドンドコ前に進んでしまいそうになるのだが,隠しアイテムの取りこぼしがないように要所要所で周囲を見渡して,アイテムが隠されていないかどうか確認しつつ進めた.
 それから,「チェックポイント」では,面倒くさいがすべて日付と時間を記載したセーブ (ex. 2014051004 など) を取っておくよう心掛けた.
 このゲームの「セーブ」は少し変わっていて,隠しアイテムのうち「アーティファクト」と「遺物」は一度獲ると二度は獲れない,というか,一度獲れば二度獲らなくてもよいシステムになっている.
 しかし薬袋,武器弾薬は,古いセーブからやり直す場合は,また獲れる (獲らなくてはいけない) ので注意が必要.

 で,所々にコウモリ,オオカミ,クマが出てきて戦闘になるのだが,これは何度も繰り返して体力の損耗が少ない最善の結果を得てから前に進むようにした.
 例えば「オオカミが襲ってくる窪地」では,吊り橋の上から拳銃を撃ってオオカミを倒してから前進した.
 またクマが出てくるエリア (下《画像1》) では薬袋 (下《画像2》の赤枠) が手に入るのだが,

 《画像1》
Tra0511a

 《画像2》
Tra0511b

 下の《画像3》,穴の左側の,この位置から前に歩いて進むと,下の床から一段高いところに落ちるので,そこからクマを撃てば無傷で元の位置に戻れる.クマとガチンコ勝負して無傷で倒せる人は,穴の底に降りて戦えばよいが.
 左壁の穴にある薬袋を獲って元の位置に戻って穴の向こう側に渡ればOK.

 《画像3》
Tra0511c

 下の画像はこのステージの最後である.

 《画像4》
Tra0511e

 カンヌキのかかった門の右側上方にアイテムが見えるし,ルートも見えているのだが,途中のジャンプするところでキーボードを押すタイミングが難しく,ついにゲットできなかった.
 それから,この門を開く操作には時間制限があるので,まずいったんルートを辿って,出てくるオオカミをすべて倒してから門前に戻り,またルートを辿ってカンヌキを外す装置二基を作動させれば,難なく門を開けることができる.
 以上のようにすれば,無傷でこの「洞窟」ステージを通過できる.

 《画像5》 クリア画面
Tra0511d_2


【追記】
 OS;Windows7 Professional 64bit
 CPU;Core i5-2500K 3.3GHz
 Video; GeForce GT440
 この条件で,「洞窟」の次のステージに進むと,いきなりクマに襲われるのだが,そこでフリーズしてしまった.
 この“Anniversary”は日本語版で,対応 OS は XP と Vista.販売者の公式サイトはもう消滅していて,パッチはない.
 そこでいったんアンインストールし,再インストのときに setup.exe を WinodwsXP 互換モードで,かつ管理者権限でインストールした.
 再インストのあとで,実行ファイル tra.exe を WindowsXP 互換とし,かつ管理者権限で実行するように変更した.
 その結果,フリーズは回避できるようになった.海外のフォーラムをみると Win7 32bit では動くと報告されているが,Win7 64bit でも動くようである.

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2014年5月11日 (日)

臨終

 真夜中に目が覚めて,全巻を買ってベッドの枕元に積み上げてある山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店) を第一巻「15歳~49歳で死んだ人々」から読み始めた.

 今は大抵の人たちが長生きするから,この巻に書かれている夭逝早世の人物は,昔の人が多くなる.そして死因は病死,自殺,刑死,暗殺等々である.
 病死には貧困がまとわりついていること多く,例えば樋口一葉,石川啄木.
 従って,読んでいて次第に気分が沈んでくる.

 甘粕大尉に殺された大杉栄と伊藤野枝,大杉の甥橘宗一の死も,この巻にある.
 甘粕事件異説として,甘粕は罪を被ったのだとする者があるが,私には甘粕が,もし大杉殺しが発覚しなければ他の社会主義者も殺そうと企んでいた殺人鬼のように思える.

 橋本左内や吉田松陰ほか多数を殺した井伊直弼も一種の殺人鬼だろう.

 この本には,こういう臨終が次から次に書かれていて,高橋和己の項でいったん読むのをやめた.朝になっていた.
 私はどんな死に方をするのだろう.

  臨終の人間「ああ、神も仏も無いものか?」
  神仏「無い」
            ―山田風太郎― (同書 p229)

 ま,できれば臨終には,こういう気の利いた笑い話の一つも披露してあの世に行きたいものである.

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2014年5月10日 (土)

Tomb Raider Anniversary (1)

 私が Windows95 PC を手に入れた頃、“Tomb Raiders”という爆発的に人気を博したパズル&アクションゲームがあった.
 これは DOS ゲームで,ゲームに特化した特別なグラボを必要としたため,これでグラボを換装することを覚え,それから私はズルズルとPC自作の道にはまり込んだのであった.

 その“Tomb Raiders”をリメイクした“Tomb Raider Anniversary”をやってみた.
 もちろん Windows ゲームだから,もとの“Tomb Raiders”よりはるかに描画は美しい.

Tra201405102

 ストーリィは説明省略するが,上の画像は,スタート時点にある大扉を開けて中に入り,隠してあるメディパック (薬箱) を手に入れ,次に進んだところ.
 画像の赤い枠のところに,何やらボーッと光るものがある.
 あれを取りなさいというわけだ.
 こんな具合に,時間をかけてでも道中に隠してあるものを全部集める遊び方と,取りこぼしは無視してタイムトライアル的に遊ぶやりかたがある.
 私は指の運動神経が鈍いので,とてもタイムトライアル挑戦は無理.
 ヒロインのララを何度死なせるかわからないが,ゆっくりボス戦までトレジャーハンティングを楽しむことにする.

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2014年5月 9日 (金)

偽守護霊

『小保方晴子さん守護霊インタビュー それでも「STAP細胞」は存在する』
が Amazon のベストセラーランキング一位になっている.
 幸福の科学って信者が多いから,瞬間風速的にベストセラーになるのだろう.
 それはそれとして,エル・カンターレ大川隆法総裁の元に野依理事長の守護霊がやってきて,小保方研究員 (以下,小保方) に反論したそうだが,その反論がすごく低レベルなので驚いた.
URL はこちら↓.
STAP細胞問題で揺れる理研 野依理事長の守護霊が小保方氏に「反論」(2014年4月15日)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7685&gclid=CPDqjpzqnb4CFVZ8vQodVrsAfQ

 小保方の守護霊もかなり頭が悪そうであったが,野依理事長の守護霊も,霊言を読むこちらが心配になるくらいダメダメだ.
 どうして大川総裁のところにやってくる霊はどれもこれも頭が悪いのだろう.
 もしかすると,大川総裁の霊力が低いのにつけこんで,低位の雑魚霊が野依理事長の守護霊を騙って現れたのではあるまいか.
 霊力が低いのに低級霊ばかり相手にしていると憑依される可能性があるのだが,だいじょうぶか大川総裁.心配である.あ,もう遅かったかも知れぬ.

 話はかわるが,大川総裁は菅野美穂さんのファンみたいだ.小保方ファンでも一向に構わぬが,菅野美穂さんのファンだとは許せぬ.

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2014年5月 7日 (水)

おはぎ春秋

 一昨日の記事「ぼたもちの謎」に《昭和三十年代,私の母親は餅をついて小豆の粒餡でくるみ,これを春でも秋でも「おはぎ」と呼んでいた》と書いたあと,吉永南央さんの『その日まで』を読み始めた.

 以下は主人公のお草さんと従業員の久美が話している場面 (文春文庫 p.66) で,季節は四月の後半.

「つづらでおまけにしているのを、まだ知らないみたいだから」
 言った草は奥の自宅の台所から朱塗りの二段重を持ってきて、久美に蓋を開けてみせた。朝のうちに作っておいた、おはぎが詰めてある。
 「おいしそうですねえ」
 「食べてく? 一段持ってく?」
 「もちろん一段いただきます」

 このあと,お草さんと久美が,おはぎで夕食を済ませる場面が続く.

 吉永南央さんは1964年の埼玉県生まれで,群馬県立女子大学卒業.お草さんを主人公にしたシリーズの舞台は群馬県の高崎市がモデルである.

 私の亡くなった母親は新潟県の生まれだが,四十代後半の歳で死ぬまで,人生の半分以上を群馬県で過ごした.
 その母は春でも秋でも「おはぎ」と言い「ぼたもち」とは言わなかった.

 私よりもずっと若い吉永南央さんも春に「おはぎ」を作ることを知って,ちょっと郷里の群馬を懐かしく思った.

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2014年5月 6日 (火)

雑多感想 5/6

(一)
 先日の記事に「このブログを訪問されたかたが,RJAV 被災動物ネットワークをご支援頂けると大変うれしい」と書いた.
 少し経って先日,RJAV代表の佐藤さんからメールがあり「猫の餌の蓄えがなくなってピンチだったのだが,Amazonお願いリスト (このブログの右サイドバーにリンクあり) 経由で猫の餌の支援が増えたので安堵した」とのことであった.
 もしかすると,このブログを訪問されたゲストからの支援かも知れないなあと,大変うれしかった.
 物資の支援をして頂いたかたに心からお礼を申し上げます.ありがとうございました.

(二)
 昨日の明け方,突然の地震に驚いてベッドを降りて部屋の窓を開けて避難口を確保したあと,既に起動してあったPCでNHKのネットラジオを開いた.
 そのときNHKの番組は「ラジオあさいちばん」だったから,小川亜希子アナウンサーと思われるが,各地の震度を読み上げるときに,安房鴨川を「あぼ…あぼ…あぼかもがわ」と読んだ.5:33 頃である.
 民放の女子アナなら許されても (放置されても),NHKアナウンサーは地名駅名は余程の難読でなければ間違わないで欲しいものだ.

(三)
 読売新聞社サイトのコンテンツである『発言小町』掲示板は,某巨大掲示板よりもずっと程度が低く,内容もそうだが,とりわけ日本語の破壊を推進する有力サイトでもある.
 五月二日に「彼氏が週5で私の家に来ますが、生活費を払ってくれません 」と題したトピが立てられた.
 レスをつけた人たちは,当然ながらトピ主 (学生) を女性,相手の彼氏を男性として投稿しているのだが,トピ主の追加書き込みに「私は男だけど、彼氏は女です」とあって,唖然とした.
 最近の若い者は,つきあっている相手が女でも男でも「彼氏」というらしい.

(四)
 その『発言小町』について,香山リカ氏が読売紙上でお世辞満載の提灯記事 (インタビュー) を書いている.その内容を見るに,『発言小町』の主要なトピのジャンルというべき対人関係における憎悪,妬み,諍い,あるいはトピ主に対する集団攻撃レス,またさらに編集部によるレスの改竄等々に全く触れておらず,香山氏はおそらく『発言小町』の読者ではないと思われた.
 この人は以前,理研の小保方研究員を直接診察したわけでもないのに,彼女の性格について論じていた.ご自分の性格を診断してはいかがか.

(五)
 この四月から,調剤薬局に処方箋をだすと,「必ず『お薬手帳』を持参するようにしてください」と言われるようになった.例のシールは薬局側で貼り,服薬履歴を確認することになったのだという.
 私ら年寄りは,病院で出される処方箋が多いから,シールを失くしたり手帳に貼るのを失念することもある.これからは薬局に行くときには手帳を持っていくようにしようと思う.

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2014年5月 5日 (月)

ぼたもちの謎

 仕事の都合で東京に引っ越すまで,私は長いこと鎌倉市街に歩いていけるところに住んでいて,北鎌倉―鶴岡八幡宮―長谷―七里ヶ浜―江ノ島は散歩コースだった.
 鎌倉の寺巡りもよくしたのだが,通称「ぼたもち寺」にはどういうわけか行ったことがなかった.

「ぼたもち寺」は常栄寺のことである.
 鶴岡八幡宮から現在の鎌倉駅に至る一帯が,小町通りでよく知られた小町であるが,その南東の地域が大町だ.
 鎌倉大町には,かつて源頼朝が桟敷をつくって由比ケ浜を遠望したという言い伝えがある.
 この大町の桟敷の辺りに,桟敷の尼という老女が住んでいた.和田一族の後家であったというが,本当のところはどうかわからない.
 文永八年 (1271年) 九月,念仏僧らの訴えで幕府は日蓮を捕え,大町にあった日蓮の草庵から龍口の処刑場に引っ立てて行った.
 この時,日蓮の急を聞いた桟敷の尼は,最後の供養にと胡麻をつけた餅を拵え,護送されていく日蓮に差出して日蓮はこれを食べたと伝えられる.
 日蓮が龍口の刑場で斬首されかかったとき,江ノ島の方角から光を発する球が飛来し,首切りの刀を持った者は倒れ,兵たちは怖れおののいて,処刑は中止となった.
 これが有名な日蓮四大法難の一つ,龍口の法難である.

 余談だが,昭和三十三年 (1958年),熱心な日蓮宗の信者であった大映社長永田雅一が公私混同特撮大作『日蓮と蒙古大襲来』を製作した.出演は日蓮に長谷川一夫の他,勝新太郎,淡島千景, 志村喬,市川雷蔵, 東山千栄子などの豪華俳優多数. 稀代の老け役女優浦辺粂子も出ているのが特筆される.どこが特筆なんだか知らぬが,とにかく浦辺粂子が出ている.
 この時の宣伝ポスターには龍口の法難の一シーン,江ノ島からの光球から発した電撃に首切り役人が撃たれる様が描かれていた.六十年近く経った今もこんなことをよく覚えているものだと自分であきれる.

 さて時代は下って慶長十一年 (1606年),桟敷の尼が住んでいた辺りに,日蓮ゆかりの妙本寺 (鎌倉市大町) 住職であった日詔が常栄寺を創建した.常栄寺の常栄は,桟敷の尼の法名「妙常日栄」から取ったものである.
 そしてこの地の人々は,桟敷の尼が拵えた胡麻餅を,日蓮の斬首を防いだ「首継ぎのぼたもち」と言い伝え,常栄寺を「ぼたもち寺」と呼ぶようになった (たぶん常栄寺の寺伝にある).そして常栄寺は今も,胡麻餅を作る供養を続けている.

 あー,話が長い.
 要するに,普通は「ぼたもち」というと小豆餡で餅をくるんだものを思い浮かべるが,もちろん胡麻をまぶしたものも,桟敷の尼以来の「ぼたもち」だ.
 和風の喫茶店なんかで「ぼたもち」を頼むと,黒文字を添えた塗の皿に載せて小豆餡,胡麻,黄粉の餅が出てくるが,あれです.
 Wikipedia【ぼたもち】には「ぼたもち」と「おはぎ」の名称に関する諸説が紹介されており,また AllAbout【おはぎとぼたもち、本当の違い(執筆者:橋道裕)】は,江戸時代中期の百科事典『倭漢三才図会』(正徳二年[1712年]) に《牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく》とあることを引っ張り出して,《ぼたもちは、牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。一方、おはぎは、萩の季節、秋のお彼岸に食べるものの事で、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです》と述べている.

 しかし,である.
 どこをどう見立てれば,小豆餡の粒が牡丹の花に見えるのか教えてくれと筆者の橋道裕氏にいいたい.無理やりにも程がある.
 それに,『倭漢三才図会』より遥か昔の慶長年間の人々は,桟敷の尼の胡麻餅も「ぼたもち」と呼んでいたのである.
 しかも龍口の法難は秋のこと.桟敷の尼が日蓮のために作った胡麻餅を人々が「ぼたもち」と呼んだという事実は,春の彼岸の牡丹の咲く季節に作る餅だから「牡丹餅→ぼたもち」との橋道裕氏の説に反する.
 これはもう橋道裕という年齢経歴身長体重不詳の人物が,『倭漢三才図会』だけを根拠にしてテキトーなことを書いているとしか思えぬ.日蓮を救った桟敷の尼の帰依信心を馬鹿にするのか君は.責任者でてきなさいっ.

 というわけで,ここからが本題.
 一昨日の記事「雑多感想 5/3」にこう書いた.

しかし,実はこのサイトでは《桟敷尼はそのことを耳にし、ご供養にぼたもちを差し上げようと思い作り始めたが、間に合わず、 ありあわせの赤飯にごま塩をつけてにぎり飯を作ってなべぶたに載せて、それを大聖人に差しあげた と伝えられる》と書かれているのである.日蓮が食べたのは「きな粉と胡麻をまぶした牡丹餅」なのか「赤飯にごま塩をつけたにぎり飯」なのか.どっちなんだろう.

 この一両日で調べた結果は次のようである.

 鎌倉には法源寺という寺がある.
 法源寺は鎌倉市腰越 (龍口はすぐ近くだ) にある日蓮宗の寺院で,嘉元元年 (1303年) に妙音阿闍梨日行が建立したと伝える.腰越近辺ではこの寺も「ぼたもち寺」というらしい.
 この寺の寺伝に曰く.

鎌倉市に源氏山という丘があり、その源氏山から和歌江浦(只今の鎌倉材木座海岸沖合にある日本最初の築港で史蹟になっております)の出船、入船を見物する人々を相手に茶店を出していた日蓮大聖人の帰依者であった老婆がありました、たまたま当小動岬の近くにある自宅に帰宅していた文永八年九月十二日、御法難にあい、竜ノ口の刑場におもむく大聖人が自宅の前を通り遊ばされたので、急ぎ差し出すにぎり飯が、つまづきころんで砂にまみれ、ごまをまぶした如くになりましたが、日蓮大聖人は老婆の心からの御供養を喜び遊ばされ、警護の武士の許しをえてこの世の最後の供養にと喜んで召し上がられました
後世に至り、当山の金子家の墓所に葬られている老婆の供養にと、毎年九月十二日に日蓮大聖人が御難を除かれ命ながらえ給いしにちなんで、『延命のぼたもち』又は『御難よけのぼたもち』とよばれて、いつしかにぎり飯がぼたもちとして皆様に差し上げる様になりました

「日蓮大聖人の帰依者であった老婆」とは誰か.
 源氏山にあった茶店のお婆で,実家は小動岬にあった.その実家の菩提寺が法源寺だと伝える.
 このお婆は,刑場に向かう日蓮に砂まみれの握り飯を差し出し,日蓮はそれを食べた.
 大町に住む桟敷の尼は胡麻餅を日蓮に食べさせ,鎌倉山の茶店のお婆は握り飯を食べさせたわけである.
 このお婆ががいつしか桟敷の尼の伝承と混同一体化して,握り飯は「ぼたもち」に変わり,法源寺も「ぼたもち寺」になってしまったのが実際のところのようである.
 鎌倉観光案内のような個人サイトやブログでは,ここら辺をテキトーに書いているのが多いから注意が必要.

 さらにいうと,このサイトに記載されている
文永8(1271)年9月12日、龍口の頸の座に臨む大聖人は、市中を引き回された。桟敷尼はそのことを耳にし、ご供養にぼたもちを差し上げようと思い作り始めたが、間に合わず、ありあわせの赤飯にごま塩をつけてにぎり飯を作ってなべぶたに載せて、それを大聖人に差しあげた と伝えられる
は,《ありあわせの赤飯にごま塩をつけてにぎり飯を作ってなべぶたに載せて》の箇所が妙に詳しいが,ネット捜索では遂に類似の記述を見つけることができなかった.これは桟敷の尼と源氏山の茶店の老女を混同しているものの一つだが,「赤飯の」握り飯ということを,一体何を根拠にして書いたのかが不明である.体裁からするとどうも何かのサブサイトのようであるが,親サイト不明の謎なサイトであるので,とりあえずこれは無視するのがよいと思われる.

 また,Wikipedia【ぼたもち】に《きな粉と胡麻をまぶして牡丹餅を作り日蓮に献上したという》とあるが,資料は引用されていない.
 また調べた限り,桟敷の尼と「黄粉のぼたもち」について記載した資料もネット上に見当たらない.この黄粉のぼたもちは,どこからやってきたものか.これも謎である.

 さて和菓子屋さんというのは,そこら辺にたくさんあるものではない.私たちが草餅や柏餅を買うとしたら,スーパーが多いだろう.
 スーパーで販売されている,和菓子をパックに二つ三つ包装した形態では,「ぼたもち」よりも最近は「おはぎ」と呼ばれていることが多いようだ.
 桟敷の尼の故事からすると,昔は一年中「ぼたもち」と呼んでいたものが,やがて春には「牡丹餅」,秋には「萩の花」(女房言葉で「おはぎ」) と呼び分ける (『倭漢三才図会』) ようになり,それがまた近年では,年中「おはぎ」で通すようになったようである.これは関東での一般的な話であって,各地方にはその地方の呼び名の変遷があるだろうが.
 それでは,「牡丹餅」という呼び名ができる以前にあった「ぼたもち」の「ぼた」とはなんだろうか.
 鎌倉時代の食生活を調べるなんていう仕事は,まずは資料の発掘からせねばならぬと思われ,これはよほどの時間と気力がないと大変だ.女子大の生活科学科あたりの先生がやってくれないものだろうか.

 昭和三十年代,私の母親は餅をついて小豆の粒餡でくるみ,これを春でも秋でも「おはぎ」と呼んでいた.
 なぜ粒餡かというと,漉し餡は作るのに一手間余計にかかるからである.つまり手抜きであるが,庶民の拵える食い物はそんないい加減なところがあり,Wikipedia【ぼたもち】に書かれている「ぼたもち」と「おはぎ」の名称混乱は,手抜きのことも一要素ではないかと私は思っている.

 全く無関係の話だが,記事のタイトルを「古都鎌倉 ぼたもち寺の謎」とすると,なんだか山村美紗風ではありますまいか.違いますか.そうですね.

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2014年5月 4日 (日)

雑多感想 5/4

(一)
 健康診断の基準値に関して,日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が四月に公表した基準値が,日本動脈硬化学会や日本高血圧学会など他の学会から反発・批判を受けている.
 私たち年寄りは,何かしらの体調不具合を抱えて生きているわけで,果してそれが要治療なのかどうかは大きな関心事である.
 しかるに各学会は自分が正しいと主張していて混乱状態にあり,この事態は私たちにとって大きな迷惑である.
 学会同士の対立に加えて,マスコミ露出の多い例の近藤誠医師も論争に加わり (週刊文春 5/8,15 合併号),もはや何が何だかわからぬ.
 これはもう厚労省が研究班を作って調整するしかないのではないか.
 ちなみに日本高血圧学会元理事長の藤田敏郎・東京大名誉教授は《140以上が高血圧というのは世界共通》であると朝日新聞DIGITAL (5/3 7:35) のインタビューに答えている.しかし素人考えでいうが,遺伝的資質も文化的社会的環境も食生活も異なる世界の諸民族に,共通の基準値があるということ,それ自体が妙なことではないだろうか.

(二)
 いしいひさいち『ののちゃん全集9』(徳間書店) がようやく出版された.
 私ら朝日新聞の定期購読者でない『ののちゃん』ファンは,リアル連載からずっと遅れてこの全集を読むのであるが,第9巻で残念だったのは,吉川ロカちゃんが歌手デビューしたという理由でフェイドアウトしてしまったこと.
 3中野球部の島田佳代ちゃんも野球部をやめてフェイドアウトし,岡田クンの初恋は終わった.
 この二年間の連載では,柴崎商会の人々もほとんど出番なしだった.これで,たまのの市沖の海難事故のお話が再び登場することはないだろう.
 サイドストーリーがなくなって,『ののちゃん』は初期の四コマギャグに回帰するのかも.

(三)
 漫画『美味しんぼ』が,またまた物議を醸している.(Wikipedia【美味しんぼ】の「問題となった記述」参照)
 だいたいこのコミック原作者の雁屋哲は,トンデモ界に名高い渡辺雄二と同類で,根拠を示さない主張が大好きときた.それが今回の福島第一原発に関する風評被害助長問題につながっている.
 小学館はビッグコミックスピリッツ(5/19号) の特集記事で,言い訳または反論を掲載するらしい.きっとその号の売上は普段より増加するであろう.福島県民の不幸で飯を食えるとは,雁屋も小学館もまことにご同慶の至りである.

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2014年5月 3日 (土)

雑多感想 5/3

(一)
 昨日,マイクロソフトが,IEのパッチ配布を開始した.
 私は,行政上の手続きで電子申請を使用しているものがあるのだが,その電子申請のマニュアルには“申請窓口サイトを「信頼済みサイト」に登録した上で更にセキュリティレベルを「低」に設定せよ”とある.
 随分自信満々であるが,一番危ないのは政府関係のサイトじゃないだろうか.
 今回の騒動が起きた時点で,私はその行政手続きの窓口サイトを「信頼済みサイト」から抹消した.
 その上で G.Chrome を使ってみたのだが,なんだか馴染めない.
 そこで,止むなく拡張保護モードを導入してIEに戻そうかと思っていたのだが,昨日帰宅して,うちのPC全部にパッチをあて,拡張保護モードの導入は見送った.
 ま,MSの対応はよく頑張ったといえるのでは.

(二)
 Foresight(5/1 16:08 配信) に,ジャーナリストの平井久志氏が『「自画像」に直面した韓国:「歴史の端境期」に起きた「セウォル号事故」の悲劇』と題した文章を寄稿している.
 韓国船の沈没事故についての冷静な分析であり,感じるところ多かった.

(三)
 昨日,スーパーで「おはぎ」を買ってきて食べた.
「おはぎ」と「ぼたもち」の関係については諸説紛々のカオス状態であるが,Wikipedia【ぼたもち】を読んでみても,何が何だか支離滅裂だ.
 ただ,その記述中に《きな粉と胡麻 1271年(文永8年)9月12日、日蓮が鎌倉の龍ノ口の刑場へ引き立てられていった。急を聞いた桟敷の尼が、なにか最後のご供養をと考えたが、急であったためあんをつくる時間がなく、きな粉と胡麻をまぶして牡丹餅を作り日蓮に献上したという》とあるのが興味をそそられた.
 しかし,実はこのサイトでは《桟敷尼はそのことを耳にし、ご供養にぼたもちを差し上げようと思い作り始めたが、間に合わず、 ありあわせの赤飯にごま塩をつけてにぎり飯を作ってなべぶたに載せて、それを大聖人に差しあげた と伝えられる》と書かれているのである.
 日蓮が食べたのは「きな粉と胡麻をまぶした牡丹餅」なのか「赤飯にごま塩をつけたにぎり飯」なのか.
 どっちなんだろう.

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2014年5月 2日 (金)

I can carry you, com on !

 休日に“THE LORD OF THE RINGS”三部作をぶっ通して鑑賞した.(DVD版コレクターズ・エディション)
 劇場版は三本とも観ているのだが,こうしてみると,かなり忘れているシーンが多い.
『指輪物語』を読んだのは映画公開の前だから遥か昔のこと,それで登場人物の名も「これ誰?」状態で,仕方なくPCでブラウザを立ち上げておいて,主要な登場人物まで詳細確認しながら観たから,すごく時間がかかった.
 この箱入り三部作を購入したのがいつだったかも忘れてしまったが,批判された第一部(タイトルに『旅の仲間』とは書かれていない) の戸田奈津子訳の一部の字幕は修正されている.

 劇場公開のときは,一部,二部,三部の間に時間が経っているので,観るほうのテンションは下がり気味になるわけだけれども,通しで観るとなかなか結構な作品であった.
 原作の『指輪物語』はそれとして,この映画三部作は,庭師サムが勇者サムに成長していく物語であるのですな.
 勇者となったサムがフロドを鼓舞する台詞がよろしい.
  指輪を葬るのです 永遠のかなたに!
  行きましょう 指輪の重荷は負えなくても
  あなたは背負えます! ( I can carry you, com on ! )

 モルドールの黒門前の戦いで発するアラゴルンの台詞も,へこたれた時には効きそうだ.
  引くな 踏みとどまれ!
  ゴンドールとローハンの息子たち わが同胞よ!
  諸君の目の中に 私をも襲うだろう恐れが見える
  人間の 勇気がくじけて 友を見捨てる日が来るかもしれぬ
  だが今日ではない
  魔狼の時代が訪れ 盾が砕かれ 人間の時代が終わるかもしれぬ
  しかし今日ではない
  今日は戦う日だ! ( This day we fight ! )
  かけがえのない すべてのものに懸けて
  踏みとどまって戦うのだ 西方のつわものたち!

 I can carry you, com on ! とか This day we fight ! とか,外国人の友人がいれば,ちょっと使えそうな台詞のように思えるが,どうだろう.

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2014年5月 1日 (木)

リスク受忍

 全国紙各紙が報じたところによれば,インターネットバンキングで使うIDとパスワードの約13,000口座分が盗まれていたという.
 警視庁サイバー犯罪対策課によると,その口座は,みずほ,三菱東京UFJ,三井住友,ゆうちょ等を含む大手都銀と地銀およびネット銀行のものである.
 これまで何度もこの種の漏洩が報道されているが,つい先日も,私の口座がある某大手都銀からインターネットバンキングの使用を勧めるDМが届いた.
 インターネットバンキングの利用は便利であることは間違いないが,利用するにはIDとパスワードの漏洩リスクを受忍する必要がある.しかしそのDМはリスクについて全く触れていなかった.
 これは銀行の社会的責任を放棄する姿勢ではなかろうか.銀行がリスクを利用者にリスクを告知すれば,被害は減ると思うのだが.

 SSLの欠陥については,現在もかなりのサイトが未対応であるという.
 未対応サイトには大手の通販業者も含まれているというのだが,それがどこかは非公表だ.
 たとえ公表されても私たちにはどうしようもないので,公表しなくても結構だが,対応を業者に指導する (強制する) 行政措置はとらなくていいのか.
 消費者庁の仕事のように思われるのだが.

 インターネットエクスプローラの欠陥については,МSの発表によれば,パッチがリリースされるのはまだ先のことになるという.
 他のブラウザを使うように行政がアナウンスしているが,その代替ブラウザが安全を担保されているわけではないし,一体どうしたものか.とほほ.

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ミネオラ

 近所のスーパーの果物売り場に,ミネオラ (カルフォルニア産) という柑橘が袋詰めで積んであったので,買って食べてみた.
 私はこいつは初見であるが,三月から五月が季節であるらしい.
 調べてみると,ミネオラは別に最近の新しい果物ではなく,1931年にダンカングレープフルーツとダンシイタンゼリンを掛け合わせて作出されたものだというから,知らなかったのは私が迂闊なだけであったかも.好物の静岡県産「はるみ」の親戚筋にあたるようだ.

 大きさはL玉の鶏卵くらいで,皮が厚いから中身はずっと小さい.味は,はるみよりも酸味がある.じょうのう膜 (袋) はそのまま食べられる.

 昔,石垣純二という高名な医事評論家がいて,この人は「栄養に関しては柑橘類以外は果物ではない」と言い切っていた.
「野菜や果物を摂りましょう」というときの果物は,柑橘類のことだという意味である.
 週刊誌 (文春だったかな) で,タレントが一週間の食事内容を申告し,石垣氏がこれを批評するという連載をしていたことがある.
 この連載記事では,女優さんなどが,どれほどたくさんイチゴやブドウを食べていても「果物が足りません」と書かれるのが常だった.
 私はそんな記憶があるものだから,柑橘類をしばらく食べていないと「最近果物を食べていないなあ」と感じる.

 私が子供の頃の群馬県では,柑橘類は温州みかんと夏みかんしか八百屋にはなくて,八朔などが店頭に出るようになったのは中学生時代ではなかったか.
 それが今はどうだろう.国産輸入取り混ぜて,一年中なにかしらの柑橘類を食べることができる.
 まことに良い時代になったものだ.

 で,ミネオラのことに戻る.
 ミネオラの皮は軟らかいが,どういうわけか,ポロポロと小さく割れて剥ける.
 普通のオレンジよりもめんどくさい.
 また前述のように,中身のじょうのう膜は薄く,それは結構なのであるが,少し力を入れると果汁がほとばしるのである.
 マーフィー則によれば,ほとばしった果汁は目に入ることになっているが,私は二度も目に命中した.これがミネオラの欠点だといっていいだろう.自分で書いてて意味不明だが.

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