愛國の花 (一)
大正十三年 (1924年) 十一月二十九日,社団法人東京放送局が設立された.初代総裁は後藤新平であった.
翌大正十四年,一月十日に社団法人名古屋放送局が,二月二十八日に社団法人大阪放送局が設立された.この年に東京放送局と名古屋放送局が中波の本放送を開始し,翌大正十五年八月二十日に社団法人日本放送協会が設立され,三放送局が統合された.
大阪放送局は社団法人日本放送協会関西支部に改称 (放送局名としては大阪中央放送局と呼称) され,十二月一日に大阪中央放送局 (JOBK) も本放送を開始して,ここに我が国の中波ラジオ全国放送網が整った.
その JOBK が昭和十一年年四月二十九日と五月十七日に『新歌謡曲』という番組を全国放送した.曲目は『夜明けの唄』『防人のうた』『早春の物語』『乙女の唄』『心のふるさと』『野薔薇の歌』『希望の船』『旅から旅へ』『祖国の愛』『ヨットの唄』『若き妻』『娘田草船』『若葉のハイキングに』であった.
『新歌謡曲』の放送成功の後,JOBK はこの番組を『国民歌謡』と改称して六月から定期放送することにした.(音楽番組『国民歌謡』で放送された多くの曲を,国民歌謡と呼ぶ)
この六月の第三週には JOAK (東京中央放送局) が制作した島崎藤村作詞の『朝』が放送された.七月第二週にはやはり島崎藤村作詞の『椰子の実』が放送され,これは今に残る名曲であった.
この『新歌謡曲』『国民歌謡』は,「家庭で歌われる歌謡曲」を放送によって生み出そうとの試みであったが,盧溝橋事件 (昭和十二年七月七日) を境にして,その意図は挫折することとなった.
以下に国民歌謡として現在もCDを入手できるものを挙げる.
夜明けの唄,野薔薇の歌,希望の船,朝,椰子の実,走れ大地を,あげよ日の丸,日本よい国,日の出島,白すみれ,ふるさとの,むかしの仲間,春の唄,新鉄道唱歌,母の歌,乙女の春,旅人
愛国の花,みのり,のぞみ,海ゆかば,愛国行進曲,山はさけ,子等を思う歌,月の夜更けに,子守唄(催眠歌),若葉の歌,白百合,愛馬進軍歌,くろがねの力,のぼる朝日に照る月に,旅愁,紀元二千六百年,かえり道の歌,隣組,興亜行進曲,出せ一億の底力,歩くうた,めんこい子馬,朝だ元気で,今年の燕,子を頌う,みたみわれ,空の父空の兄,僕は空へ君は海へ,あゝ紅の血は燃ゆる,いさおを胸に,お山の杉の子,勝ち抜く僕等少国民,父母のこえ
盧溝橋事件の勃発後,十月に放送された『愛国の花』(作詞福田正夫,作曲古関裕而,渡辺はま子歌唱)以降,『国民歌謡』は俄かに戦時色を強めていく.
『愛国の花』は,JOBKが意図した「家庭で歌われる歌謡曲」から戦意高揚歌へと,国民歌謡が変質していく変曲点に位置する作品なのであった.
(続く)
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