吉野の恋歌
朝日新聞社のサイトにあるコンテンツ「ブック・アサヒ・コム」に,「著者に会いたい」という連載があり,これを見ていたら『考証要集―秘伝!NHK時代考証資料』(大森洋平;文春文庫) の書評が掲載されていた.
著者の大森洋平氏はNHK職員で,大河ドラマなどの時代考証を担当しているという.
NHKの大河ドラマは,つまるところ現代のドラマであり,登場人物の思考も感情も言葉づかいも行動も,現代人そのままであるというのが大方の認識だろう.
そうでなければ江戸時代の武士が妻の肩を真昼間から抱きしめたりするわけがない.
武家の既婚婦人がおはぐろ (鉄漿) をしていないわけがない.
一々挙げればきりがなくて,あれは現代のドラマだと思えばよいのである.
ま,そういう番組の時代考証担当者の書いた本であるからして,その程度の本であろうと思う.
それはそれでいいのだが,その書評にこうあった.
《鍋焼きうどんは江戸時代劇に出してはいけない?》
調べたら,鍋焼きうどんは大阪が発祥で,明治になって東京にも食わせる店ができたらしい.
ついでに,うどん関係をネットサーフィン (死語) して,「おだまきうどん」から「おだまき」「しずのをだまき」まで閲覧してしまった.
枕が長すぎ.
さて文治二年の四月,頼朝に鎌倉まで呼び出された静は,鶴岡八幡宮の社前で舞う.
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今に なすよしもがな
がその時の恋歌であるのは各位ご案内の通り.
Wikipedia【静御前】では,二首目の現代語訳を次のようにしている.
《倭文 (しず) の布を織る麻糸をまるく巻いた苧 (お) だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら》 [出典は河出書房『義経記』(高木卓訳)]
高木卓という人は東京大学教養学部の教授でドイツ文学者だったようだが,この現代語訳は日本語になっていない.
何ですかこの《たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら》ってのは.
意味不明もいいところである.
この現代語訳が意味不明になってしまっているのは,まず第一に,この歌が静御前の思いなのだと勘違いしているから,そのように解釈する上で邪魔な「しづやしづ」を勝手に除いてしまっているためである.
次に,その結果,実はくどくど訳する必要のない「しづのをだまきくり返し」が「昔を今に なすよしもがな」に係っていると誤解し,ますます意味不明にしている.
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」が静の思いであるのと対をなして,「しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今に なすよしもがな」は義経の思いにきまっているのだ.
静よ静よ ああ静よ静よ 昔のあの日々をとりもどせたらなあ
これでいいではないか.言わずもがなだが,私の訳では「賤の苧環繰り返し」は静への呼びかけをリフレインにして「ああ静よ静よ」とした.
(心動かされるこの恋歌を,頼朝に対する皮肉だとか何だとか解説している個人サイトやブログがあるが,余計なことである)
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